-----side China
「なんか、クラスの子に、私が縁くんのものだ、みたいなこと言ったんだって?」
放課後の教室で帰宅の準備をしていたら、うまい具合に二人きりになったので、私は気になっていたことを縁くんに訊いてみた。
「な、なんで、それ」
縁くんの肩がぎくっとして、それを取り繕うかのように慌てて動いた手が滑り、どさっと鞄を床に落とす。何冊か、ノートや教科書が散らばり、私はそれを拾うべく縁くんに近寄った。
「私、別に縁くんのものじゃないよ」
「わかってる」
返事は一瞬で返ってきた。固い声だった。
「わかってるから言ったんだ。他の誰かのものになったら、なっちゃんは俺から離れていくだろ。なっちゃんは、俺のものにはならない」
「どうしたの?」
私は不安になって尋ねた。縁くんがこんなに切羽詰っているところを見たことがない。
「俺は、自分が人に好かれる人間だなんて思っていない。でもその相手に、なっちゃんが入るなんて、考えたこともなかったんだ。なっちゃんが、義務感から俺と居るなんて思ったこともなかったんだ。なっちゃんは、幼なじみだから、面倒看てくれと頼まれたから俺と居るんだろう。でもそんなもの、やめようと思えばいつでもやめてしまえる。なっちゃんには、俺を必要とする道理がない」
だから言ったんだ、と縁くんは言った。
「……なんで私なの、って訊いちゃだめ?」
そうだ、だいたいなんでそんなに私に執着してるんだ。私は混乱した頭を整理したいだけだったけど、縁くんは、駄目じゃない、と困ったように笑った。
「俺は、ひとりだとどんどん間違った方に行ってしまう。俺を、正しい方へ導いてくれるのは、なっちゃんだけだ――なっちゃんだけなんだ」
最後の一言は、聞き逃しそうなほどにぽつりと落とされた。私だけだ、って。
縁くんのお母さんは、その役目を私に振ってしまったのだ。小言を言うことで、縁くんに嫌われたくなかったんだろう。だから、真正面から縁くんを叱るのは、本当に、私だけだった。
「縁くん。自分の中で、ひとりで勝手に話を進められても、私にはわかんないよ。私に言いたいことがあるんなら、ちゃんと言わないと伝わらないでしょう?」
嘘、本当はわかっている。でもこれは、縁くんが自分から口にしないと意味がない。
「……なっちゃん」
それに応えて静かに呼びかける縁くんの声は、かすかに震えていた。
「俺にはなっちゃんが必要なんだ。ずっと傍にいてくれ」
「はい」
よくできました、とばかりに私は微笑んだ。
――それが、かなり含みのある発言だということに気づいたのはもう少しあとだった。
-----side Enn
こちらに向けられたなっちゃんの笑顔に、目眩がするような気がした。
ずっと、というのはいつまでのことだと思っているのだろう。
誰のものにもなるな、と言っていることに気づいたろうか。
なにか確かなものが欲しくて、俺は衝動的になっちゃんに触れたくなった。思わずなっちゃんの手を取って握り締めると、なっちゃんは少し驚いたような顔をしたが振りほどきはしなかった。掌は、一度触れることを許したので抵抗が少ないらしい。
「――依存してると思うか」
俺はなっちゃんに依存している。そう、なっちゃんは思っているだろうと、敢えて口にした。
「そうだね。しつけ方間違ったかな、と思っちゃった」
ふふとなっちゃんは笑った。冗談に紛れて、俺は少しほっとした。
なっちゃんは、俺が自分のためになっちゃんを必要としていると思っただろう。自分が間違えないために。
――でも本当は違う。
俺は自分が間違えることを厭ってはいない。俺は、自分が間違える人間だということを知っている。
でも、ひとりでどんどんと間違った方へ行ってしまったら、それを重ねていってしまったら、なっちゃんと同じ側にはいられなくなりそうな気がした。
俺からなっちゃんが遠くなってしまうのが怖かった。
そういう意味の執着だと、知ったならなっちゃんはどう思うだろう。
「帰ろうか」
そう促して、俺は鞄を拾い上げた。
靴を履き替えて玄関を出ると、俺はもう一度なっちゃんの手に触れた。
なっちゃんは驚いたように一歩身を引いたが、俺が不安がっていると思ったのだろう、こちらを見上げて呆れたように口を開いた。
「言っとくけど、いまのところ、誰かのものになる予定はないからね!」
俺は笑みを返し、それ以上なっちゃんには触れなかった。
なっちゃんは、ずっと俺の傍にいてくれると思ったからだ。
たとえ、なっちゃんを、この手に抱けるような日が来なくても。
<了>
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2008 04 11