指先はkey

-----side China



 目が覚めると、私はえんくんにもたれかかっていた。
 慌てて離れたが、縁くんも眠っているようだったので私はほっとする。
 いまは週末の夜。数学の宿題を教えてほしいと縁くんに頼んだら、快く承知してくれたので、もう一歩踏み込んで、思い切って「家まで行っていい?」と訊いてしまった。
 久しぶりに足を踏み入れた縁くんの部屋は、すっきりとしていた。昔は、ちょこっと裕福な家の子供らしくおもちゃやゲームが散乱していたものだが、だいぶ物が少なくなって、奇麗に片付いていた。黒のラックに並べられたDVDや、真正面に鎮座ます液晶テレビは私の部屋には存在しないもので、ちょっと羨ましい。
 ちょっとしたすれ違いのあと仲直りした私たちは、教室内でも会話が増えた。突然べたべたに仲良くなったわけでもなく、もともと幼なじみということは知られていたので、いまのところからかわれるというような目には遭っていない。
 私の心得違いでなければ、どうやら縁くんは私に嫌われたくないと思っているらしく、それが起こり得ることをつい最近まで気がつかなかったほど私に執着しているらしい。割と傲慢だった縁くんは、私に嫌われることを恐れているみたいで、最近はちょっと優しい。
 という話を友人にしたのだが、意外にも「へえー、そうなんだ」という微笑ましいお言葉はもらえなかった。私は「信じられない」という悪態を聞く破目になった。客観的に見れば、縁くんの態度は「二股をかけている」それとほとんど変わりないものだったらしい。私からの好意が途切れないものと一方的に過信し、その一方で別の女の子と付き合っていれば、そう思われるのも無理はないかもしれない。
 意外にも私はそれほどショックを受けなかった。
 どうも、縁くんにはその自覚がないらしいと踏んだからだ。というのも、私はいままで縁くんが付き合ってきた彼女さんたちと比べるとかなり違うタイプで、たぶん、縁くんは私に恋愛感情を抱くという可能性を疑ってすらいないのではないか、というのが私の見解だ。
 つまり、彼にとって私は『特別』だけど『対象外』。まあそんなところではないかと思う。
 私は、成長した縁くんにどきどきすることもあるけど、それが恋心かと問われればたいした自覚もないので、いまのまったりとした関係は願ったり叶ったりというところでもある。
 だいたい、本当に私を意識していたら、隣でぐうすか眠ったりできないよなあ、と思って、私は口の端に笑みを浮かべた。
 縁くんの肩の温度が心地好かったので、私はもう一度彼にもたれて眠ってしまうことにした。

-----side Enn



 肩に軽い重みが乗っかって、そちらを見るとなっちゃんが眠っていた。
 数学の課題をやっつけ、暇ができたので、床に座ったままベッドのへりにもたれるようにして映画を観ていたのだが、サスペンス物はなっちゃんには退屈だったらしく、すうすうと寝息を立てている。
 こうしてふたりでのんびりと過ごすのは実に久しぶりだ。まさかなっちゃんが家にまで来てくれるとは思わなかったので、ひどくくすぐったい思いがする。
 ふと、なっちゃんが身じろぎをして、寝返りを打つようにこちらを向いた。さらりとした髪が俺の頬に触れ、寝息が首筋を掠めることにぞくぞくする。
 その瞬間、まさに思い知った。
 ――しまった、なっちゃんは女の子だ。
 それまでは、俺の中で周囲の人間の分類といえば、『男』と『女』と『なっちゃん』だったのだ。『なっちゃん』は『なっちゃん』であり、それ以外のなにものでもなかった。『女の子』という部類に入るのだと、いまさらながらに気がついて俺は動揺した。
 最近、やたら友人がからんでくると思っていたのだ。わざとなっちゃんの名前を出し、「俺がもらってもいい?」と訊くものだから、「駄目だ、なっちゃんは俺のだ」――と答えたような気がする。あれは、男女の仲のことを指してからかっていたのだと、いま気がついた。
 なぜいままでそのことに気がつかなかったのだろう。思えばごく最近、壁に押し付けるとか後ろから抱き寄せるとか、垂涎モノのシチュエーションに遭遇していながらあっさり流した覚えがある。なぜ平気だったんだと頭を抱えたい気分だ。一度気がついてしまえば、もう後戻りはできない。
 なっちゃんの中で、俺は『男』というカテゴリにきちんと分類されているのかとぼんやり考え、我に返って慌てて打ち消した。
 なっちゃんの指は、俺の服を軽く握っている。なっちゃんの手は、細くて薄いのにぜんぜん骨ばっていなくて、ひどく柔らかい。なっちゃんの掌の感触をまざまざと思い返してしまっている自分に対してすら、なっちゃんをけがすなと噛み付きたいような気分になって、愕然とした。――重症だ。
 いろいろと考えすぎて、頭の中がぐるぐるする。
 またもなっちゃんがもぞもぞと微かに動き、「んー」と軽くうなった。どうやら、目を覚ましそうな気配だ。
 なっちゃんの寝顔にどきどきしていたことを知られたら、嫌われそうな気がした。俺は、なっちゃんに嫌われることがなにより怖い。
 そうして俺は、自分もうっかり寝てしまったというように、必死で寝たふりを貫いた。

<了>


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2008 04 02