まだ、秘密。
目が覚めるとすっきりしていた。窓の外は晴れやかな空模様で、カレンはゆっくりと身を起こす。
途端、計ったようにドアがノックされ、返事を待たずにバタンと開いた。
「起きたかカレン。昨日のことは覚えているか?」
兄のレオナルドがずかずかと部屋に入り込んでくる。差し出された朝食のトレイを受け取りながら、カレンは真っ赤になってうつむいた。
「思い出させないで……」
それには頓着せず、兄はカレンの額をぐいと手で探る。
「よし、熱は下がったな。まったく、面白いなあおまえは。グリフが心配していたぞ、顔でも見せてやったらどうだ」
「もう、放っといてよっ」
兄のからかいにカッとなったカレンが投げつけた枕をひょいとかわし、げらげら笑いながらレオナルドは部屋を出て行った。
昨日、カレンは熱を出して弱っていたところをグリフォードにいわば保護され、家まで送ってもらったのだった。お礼を、せめて挨拶をしに行かねば、ということは了解しているが、最悪なことにカレンは前日の記憶がばっちりある。
熱のあるとき、カレンは少しばかり我侭で甘えがちになるのだ。意地悪な兄が、カレンが弱っているときばかりは優しいので、それに甘えていて癖になったとみえる。
兄相手にならまったく気にはならないが、よりにもよって元上司に、七つも年上の男性に向かって泣きついて埒もないことを問い詰めただなんて自慢にもならない。恥ずかしくて、穴があったら入りたいぐらいだ。
「どうしよう……」
カレンはベッドの上で頭を抱えた。
結局、カレンはしらばっくれることに決めた。
こちらから下手に話題を振らなければ、あのグリフォードのことだ、変に追求してくることもないだろう。
しかし、とにかくもお礼は述べねばなるまい。
決心すると、その日のうちにカレンはグリフォードの仕事部屋へと赴いた。もちろん、姫と隊長の許可はきちんと取り付けてある。
部屋へ入ると、それと気づいたグリフォードは硬い声を吐いた。
「何をしている」
「すみません、昨日のお礼をと……」
言いつつ、語尾は既に掠れたようになった。カレンはまだ、グリフォードに対しては兄へのように言いたい放題言うことができない。
「いや、怒ったわけではない。とにかく座りなさい。また具合が悪くなったらどうする」
カレンは促されるまま、椅子に腰掛けた。お礼に焼いたクッキーを差し出すと、気恥ずかしさが手伝って、カレンは視線を逸らしてそっぽを向いた。
お礼を言いに来たはずが、挨拶もままならない。それもこれもみんな、グリフォードが悪いのだ。カレンの心臓はどきどきと激しく音を立てていた。
――実はカレンは、グリフォードの命令口調が好きなのである。
普段は冷たいような口調のグリフォードだが、命令調のときにだけ、それは柔らかな丁寧語に変わる。甘えたところのあるカレンは、優しい口調で促されるのがひどく好きだった。もしくは、意地悪な兄のそれへの反動であったのかもしれない。
カレンは、グリフォードに妙に思われないよう、曖昧に笑顔を見せた。
大抵のときは、つい居たたまれなくなってグリフォードと距離を開けてしまうのだが、こちらへ来なさい、と言われたら一も二もなく従ってしまうと思う。
そのことは、自分だけの秘密にしておこうと思った。
知られたら恥ずかしいということもあるが、まだ少し、相手に自分の気持ちを知られていない片思いのようなこの感情の余韻を味わっていたい。
そう、カレンはひっそりと思った。
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2007 08 26