子ネズミの逆襲

加島かしま、釣った魚に餌やらないタイプってほんと?」
 珍しく自分から寄って行った私が素っ頓狂なことを言ったので、奴は目を丸くしている。
「誰から聞いたんですか」
「ときちゃん」
 あっさり私が答えると、奴は困ったように明後日の方向を見た。
「……キミジマ先輩か」
 ぼそりと口にした言葉に、余計なことを、というニュアンスがにじみ出ている。
「で、どういうことなの? おねーさんに説明してみなさい」
 逃げ腰な奴に向かって、ここぞとばかりに私はいばりくさる。さあさあ、と詰め寄ると、奴は眉間に嫌そうな皺を刻んだ。
「別に」
 しかし乙女の好奇心をあなどると痛い目に遭うのだ。むろん私は猛襲の手をゆるめるつもりはなかった。
 珍しく私が優勢だからである。
「付き合った途端、興味がなくなっちゃうの?」
「まあ、そのような……」
 濁した返事。
 しかしなにげに、なんかちょっぴり、ショックだったのだ私は。驚いたことに。
「ふうん……」
 それ以上続く言葉が見つからなくて、わざとらしく腕時計の時刻を確かめるとじゃあね、と私は歩き出した。
 珍しく、奴は追ってこなかった。


 一限目のあと、時間が空いたので私は木陰に座っていた。
 さわりと涼風が吹き抜ける。お行儀悪く直接芝生に座っているため、スカートは草だらけだ。
 木々の隙間から青空を覗きながら、私は考えていた。
 加島は私を好きだと言う。そして、いつか嫌いになるのだろうか。
 なんだか、それは、寂しいなあと思った。
朱子あけこさん」
 低い声がして、私の隣に奴がどさっと腰を下ろした。朱子発見センサーは正常に働いているらしい。
 向こうから寄ってくるところを見ると、もう今朝のことは気にしていないのだろう。さっさと飄々としたライオンフェイスに戻って、憎らしいったらない。
 と心中で毒つきつつ、私は奴がよこしたソーダアイスをしっかり受け取っている。棒付きの、ダブルのものを半分に割ったものだ。
 なんだか、餌付けされてるような気がする。
「なにか、怒ってますか?」
 珍しく、奴の態度は穏やかだ。いつもは私が刺々しい言葉を放って奴がそれをかわして、追ってくる奴から私が逃げて、という感じに慌しい。こんなふうに、ゆったり会話することなんてなかった。
「怒っては、ないんだけど」ぼそりと私は言う。「理解しがたい」
「俺が嫌いですか」
 あまりにストレートな切り返し。驚いて奴の顔をまじまじと見つめると、本当に困ったような顔をしていた。そうだったっけ、と私は思った。加島は私が好きなのだ。
 加島は私が本気で嫌がることを絶対にしない。いつでも妙な展開になるのは私のせいだ。
「いや、嫌いでもないんだけど。加島は、もし仮に私と付き合ったとしたら、私のこと嫌いになっちゃうの?」
「絶対、なりません。朱子さんだけは」
 珍しく勢い込んだ様子で、奴は両手で私の手を握り締めた。一瞬どきっとしたが、それよりも奴が握っていたアイスの棒が手の甲に当たって痛い。
「根拠でも、あるのかな」
 意地悪く、私は尋ねてしまう。だって私は美人でも性格が可愛いわけでもない。なんで加島が私を好きなのかわからない。
「朱子さんは、嘘、つかないから」
「嘘?」きょとんとして私は訊き返す。
「みんな、嘘をつく。付き合う前とあとで、必ず態度が変わる。最初から本音を見せてくれない」
 ――嘘というかなんというか。私は奴の言いたいことが呑み込めた。
「それは……好きな人の前では可愛い私を見せたいとかいう乙女心ってやつなのではないでしょうか」
「理解できない」
 私は唖然とした。加島の元彼女たち、かわいそうに。
 そして私は理解した。奴にはその概念がないのだ。一度だって、加島が実際以上に自分を良く見せようとしたことはない。それでたぶん、付き合ってから特別態度が変わるというわけでもないのだろう。奴は本音を隠すことはあっても、自分をごまかすことだけはしない。
 突然馴れ馴れしくなったり欠点を見せたりする彼女に幻滅を覚えながらその一方、いつもどおりの態度を貫く加島を彼女は冷たいと思いうまくいかなくなる。そんなとこだと思う。それをいまだに加島はわかっていない。
 なんとライオンはいまどき珍しい純情野郎だったのです。
 その点私は本性だだ漏れだったので、ライオンは安心して好きになってしまったというわけなのです。
「……なんてこった」
 思わず私は頭を抱えた。
 私が本性丸出しだったのは、それを取り繕う術を知らなかったからでもなんでもない。完全に、加島が対象外だったからなのだ。
 友人の可愛い弟分に色目なんか使えるか。
 と、いまさら思ってみても仕方がない。
 早くライオンを手なずける術を覚えたいなあ、と願うばかりである。

<了>


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2007 05 01