ああ、大きくなりたい。
これまでのちびっ子人生の中で、これほどまでに切実にこう思ったことがあっただろうか。
そして今日も奴は私をいじめにやってくるのだ。
「おはようございます、朱子さん」と奴は私の頭をぐりぐりと撫でた。
この広いキャンパス内で、奴が私を見つける確率は驚くほど高い。
もちろん、頭一つ飛び出た奴を私が発見する方が早い。
その瞬間の「よし逃げるぞ」という気配を、奴はビビッと感じ取ってしまうようだ。
「加島、気安く呼ばないでったら」と頼りない角度で私は奴を睨み付ける。
「大学でまでセンパイなんて呼称、あんまり使いませんよ」
いつもの切り返しで、奴は口の端をふっと上げる。
悔しい。完全になめられている。
奴の先輩である私の友人はちゃんと尊敬されているというのに。
私のどこがいけないというのだ。
「私なんか構って、そんなに楽しい?」と、おまえなんか嫌いだオーラを出しつつ言ってみると、
「楽しい」とまた奴はいつもどおりの微笑を浮かべた。
「どこ、が?」
私はもう怒り心頭だ。
「ちっちゃいところ。そんなに小さい指が、簡単に折れそうな腕が、俺と同じ人間の機能を持っているなんて信じられない」
奴は涼しい顔で言い放った。
「私はおもちゃなんかじゃないってば!」
本当に腹が立った。
瞬間、猛獣のような酷薄さが奴の目に表れた。こいつは、デザートの子ネズミちゃんをいたぶるライオンのように私を見ているに違いない。
「君の告白なんて、絶対に信用しないからね!」
私は振り向きもせずに立ち去った。
――そう、奴は私なんかを好きだと言う。この口で。
ふてぶてしく眠り込んだ講義のあと、まだ眠い目をこすりながら行った先の談話室で、私は奴を発見した。
横長のソファーを思いっきり占領して、奴は豪快なでかい態度で眠りについている。
ふむ、やっぱり男と女では仮眠のとり方が違うんだな、と妙なところに感心しながら、私は奴を観察した。
女の子ならソファーの上に足を乗せたりなんかしないし、顔が見えないように机に伏せたり上着を被ったりする。でも奴は男でそんなことはしていなかったので、その顔がよく見えた。
瞬間、私は思い知らされた。
やばい。
普段の憎々しい態度からは想像もつかないほどに、奴の寝顔は可愛かった。そりゃもうやばいくらいに。
うわー、いいなあこんなおもちゃ欲しいなあ。
脈絡なく危ない思考にふけっていた私は、ふとあることに気づいた。
普段の奴の気持ちがちょっぴりわかってしまった、と。
そりゃあちょっとやばいでしょう、と思いながらも好奇心を押さえきれない私の指は、既に奴の頬っぺたを突っついている。
当然のように眠りから目覚めた奴の、寝ぼけた瞳の色もやっぱり可愛かった。しかしそれは瞬きひとつで、いつものライオンアイに戻る。
そして私はやっと、やばいのは今のこの状況だということに気がついた。どのくらいかって、猫に鈴をつけるネズミほどにやばい。なお悪いことに、これはまったく意味のない危険だ。
「珍しいですね。なに見てたんです」
猫が、いやライオンが、子ネズミをひと呑みしようと口を開いた。
「……いや、君がいかに、私の好みとはかけ離れているかということを」
私は無駄な抵抗を試みた。
「じゃあ、どんなタイプが好みなんです」奴はゆっくりと起き上がる。
「背が高くて」
「背は高いですね」自分を見つつ奴は言う。確かに。
「包容力があって」
「包容力、ありますけど」どの口がそんなことを。
「間違っても君みたいな、いかにもラグビーやってそうなむさい野郎ではなく、爽やか好青年が好きなの!」
「……ふうん、見えませんか、サワヤカ野球青年には」
「見え――る、いや、ない、ないないない」
そうだ、ないぞ私。しっかりしろ。
ああ、しかしなにやら言いくるめられている。
そうして私はとっておきの台詞を取り出し、奴に指を突きつけた。
「と、とにかく、私は君に恋心を抱いてはいない!」
ライオンは、炎を閉じ込めながらも透き通った瞳で私を見つめる。
「でも俺は、あんたに恋情してます」
その瞬間、うっかりときめいてしまった心臓を呪う以外、私になにができたろうか。
<了>
2007 03 23