「古沢さーん。怪我しちゃったので迎えに来てください」
通話を終えた私は、携帯電話をパチリと閉じた。古沢さんとはうちのお手伝いさんの名前だ。運転手さんもいるにはいるが、その人はお祖父ちゃん付きだし、私はそういう人は要らない。友達と一緒に帰る方がずっと楽しい。
怪我といっても、実際は単なる捻挫だった。しかし私には、片足跳びをして帰る気力も根性もない。
迎えが来るまでに間があるので、学校の玄関先で友達と話しながら待っていた。ちょうどよく段差があるのでそこに腰掛ける。
キキッと校門前に車が止まり、降りた人が血相を変えてこちらまで駆けて来た。私はその人の顔を見る。
「うわ、お兄ちゃん!? なに、どうしたの、仕事は!?」
びっくりした私は大声で叫んでしまう。
「なにって」お兄ちゃんは息を切らしていた。苦しいのか、首もとのネクタイを緩める。「社長が、ちはるが大変だから、すぐに行けって……」
「ごめん、お兄ちゃん、ただの捻挫……なんですけど」
さすがの私もバツの悪い顔になる。お祖父ちゃんはまたお兄ちゃんをからかったらしい。お兄ちゃんは力が抜けたように頭を垂れた。
「あ、この人、お兄ちゃん」
のけ者になってしまっている友人に、私はお兄ちゃんを紹介した。途端にお兄ちゃんはムッとした顔になった。瞳が険を帯びるのがわかる。
「こんなところに座り込むな。制服が汚れるだろ」
そう言って、お兄ちゃんは軽々と私を抱き上げた。
「やだ、要らないしっ。車までならケンケンで行けるから降ろしてよっ」
焦った私はジタバタと暴れるが、勿論なんの効果もない。お兄ちゃんの声が、耳元ですごみを帯びた。
「恥ずかしいことなんてないだろ。“お兄ちゃん”なんだし。ん?」
やっぱりお兄ちゃんはいじわるだ。
はいはい、婚約者だって紹介されなかったからすねてるのね。家の中ではお兄ちゃんって呼ぶと、ハイトクテキな気分になるって喜んでたくせに。男のヒトの考えることはよくわからない。
だいたい、私はまだ怒っているのだ。お祖父ちゃんとタッグを組んで、私を騙し討ちするなんてとんでもない。兄弟は母親の妊娠や親の再婚で半ば強制的に増えるといっても過言ではないが、結婚相手はそうはいかない。なのに、それを同列に扱うなんて!
でもせっかく迎えに来てくれたので、少しだけ機嫌をとることにする。
「そんな怒んないでよ、今日は助手席に乗ってあげるから。ね、悠斗サン」
「当たり前だろ」
返答はそっけなかった。
でも私は見逃さなかった。お兄ちゃんの耳の先が、ほんのり赤くなっているのを。
<了>