-----03



 当事者の男たちは、闖入者を一瞥した。ギャラリーの盛り上がりはさておいて、もともとは私的な喧嘩である。第三者が介入するのは気に入らない。しかも何だか――ふざけている。当然ながら、彼らの不機嫌の度合いは増した。
「何だおまえ」
 若い方の男が吐き捨てるように言葉を投げる。邪魔をされたことに腹を立て、矛先はその闖入者に向いた。
「エントリー三番。フェイド」
 ふざけた答えを返すと、フェイドは周りを見まわした。新しい展開をギャラリーは喜び、どうやらフェイドも賭けの対象となったらしい。彼はメイリンに声をかけた。
「おれに賭けとけよ、嬢ちゃん」
 相手の男たちは――黒髪短髪の若者と、顔の四角い男である――いらいらしつつも、フェイドを観察した。背が高いだけの、何ということもない男である。小さく身軽そうなわけでもなし、筋骨隆々としているわけでもなし、武器を持っているわけでもない。しかもよくよく見れば、前日空腹で店の前に倒れていた男である。勝てる。そう踏んで、同時にフェイドに襲いかかった。
 フェイドは、四角い男の右ストレートを上体を反らしてかわし、次に短髪男の下段蹴りをそのまま後ろへの宙返りでかわした。その際、四角い男の顔に蹴りを入れることも忘れない。男は転倒した。
「見かけで人を判断しちゃぁ、いかんよ」余裕ありげにフェイドは笑ってみせる。
 おおっ、意外と素早いぞ、とギャラリーがどよめく。
「あのふたりが弱すぎるだけと違うか」
「いや、酒呑んで暴れるから目を回したんだろ」
 言いたい放題である。
 頭にきた短髪男と四角い男は、両側から同時にフェイドに飛びかかった。大柄な男ふたりである。その体重で潰してしまおうというわけだ。
 どたん、とすごい音がした。フェイドは倒れ、男ふたりが圧し掛かっている。
「窒息しちゃう!」
 メイリンは小さな悲鳴を上げた。フェイドの体格を考えると、骨が折れていてもおかしくはない。そうでなくとも、彼はベッドから起きられるようになったばかりなのだ。無理にでも止めるべきだった、と彼女は後悔した。
 ――しかし。
「よいせっ」
 場にそぐわないあっけらかんとした声を放ち、フェイドは起きあがった。男ふたりを乗せたままである。どこからそんな力が出るのか、てやっ、と掛け声をかけると、フェイドはふたりを投げ飛ばした。彼らは床に頭を打って昏倒した。
「おれの勝ちだな」
 ふふん、とフェイドは勝ち誇る。
「……強いのね」
 呆気に取られたが、やっと脳が現実に追いついて、メイリンはゆるゆると言葉を発した。
「職業柄な。――それより、肉食わしてくれるかい?」


 成り行き上というか、フェイドは今夜のちょっとした英雄になってしまったので、そのまま酒場で夕食をとった。もちろん、酒も入っている。相変わらずの食べっぷりもそのまま、フェイドはさらに酒豪でもあった。一気に流し込み、口を拭う。
「ぷはっ、旨ぇー」
 メイリンはお代わりをカウンター席にだんっ、と叩きつけるように置くと、いらいらしたように言い放った。
「おじさん臭いッ」
「きついなー、嬢ちゃんは。いいじゃねぇかよ」
 メイリンはさらに機嫌を悪くしたが、周りにいた男たちがまあまあ、となだめる。
「あんた、顔は不味くないし、なかなかの男っぷりだ。だから、そのギャップがメイリンちゃんには許せないんだな」
「そうそう、やっぱり好みの男には理想のままでいて欲しいんだよなぁ」
「メイリンちゃんも年頃だからねぇ。あ、おれにもお代わりね」
 酔っ払いたちは次々と火に油を注いでいる。ふるふるとメイリンの腕がわなないた。
「好き放題言うんじゃないッ!」
 怒鳴りながらも、流石に商売人である。お代わりはしっかりと出している。
「ま、嬢ちゃん、損はさせてねぇだろ?」
 それもそうね、と頷いて、メイリンは怒りの矛を少々収めた。フェイドに賭けた者はおらず、その場合は酒場に金が流れることになっているのだ。実のところ、なかなかの儲けになった。
 その陽気な雰囲気の中、端の方でひとり、暗い雰囲気を醸している男がいる。その様子は、怯えているように見受けられた。
「兄さん、どうしたんだい?」
 フェイドはその男に声をかけた。

-----04



 男が返事をしないので、フェイドはもういちど呼びかける。
「兄さん?」
 といっても男は若いわけではない。三十半ばほどであろうか。フェイドから見れば兄さんでも、メイリンからしてみればおじさんである。
「ユズリさんっ」
 メイリンはカウンターを乗り出して、声をかけてみた。男は店の常連であったのだ。
「あ……ああ、メイリンちゃん」
 ようやく男は顔を上げた。
「どうしたの、心配事でもあるの? 一杯奢ってあげるから、元気出して、ねっ?」
 はああ、とめいっぱい盛大な溜息をついて、ユズリは頭を抱えてしまった。その隙に、フェイドはユズリの隣の椅子をひいて、ちゃっかり腰をおろしている。
「ま、ちっと愚痴ってみな」
 促すと、ユズリはやっと重い口を開いた。
「罪人狩りが始まるらしいんだ」
「罪人……って」メイリンは思わず息を飲んだ。
「メイリンちゃんにはあまり聞かせたくなかったんだけどね。お偉方は、罪人に焼印を押すだなんて話、広めたくないんだ。世間が早く忘れてくれるように、印持ちを一掃するんだってね」
「なるほどな、おまえさん……」
 こくりと頷いて、ユズリは右の袖を捲ってみせた。そこにはくっきりと罪人の印が押されていた。
「僕なんかは制度が廃止されてから釈放されたからね、最後の印持ちかもしれない」なにやったんだよおまえさん、と問われ、「ま、ちょっと豪族から戴けるものを戴いたというか」とユズリは答える。
 顔に似合わず意外と大胆な一面もあるらしい。
 孤児であるユズリは、下町の世界で揉まれて育った。盗みや恐喝などは日常茶飯事である。彼も少々腕に覚えはあるが、大きな仕事に手を出してうっかり捕まってしまったのだった。
 印持ちに対する世間の態度は冷たいものだったが、ユズリなどはもともとからそういう扱いを受けている。ゆえに支障をきたすことなどなかった。メイリンの父親は運が悪かったが、十年もっただけでもたいしたものである。それでもやはり、精神が蝕まれていくのを止めることは出来なかった。
 少々話が外れるが、印持ちが釈放されるのは一級の重罪人ではないからである。そういう者は、死刑にされると相場が決まっているのだ。また役人側から言えば、犯人を上げられなかったときの隠れ蓑として印持ちを差し出すこともできる。
 ――閑話休題それはさておき
「でも、どうやって印持ちを捜すわけ? やりようによってはいくらでも逃げられんじゃないの」
「……どうも魔物と契約したらしい」
 その場にいた者は絶句したが、フェイドだけは、ほう、と感心した声を上げた。
「なるほどな。そういう印は負の匂いを放つ。魔獣に嗅ぎあてさせるってわけか」
「誰よ、そんなこと考えたのはっ。一発殴ってやりたいっ」メイリンは憤ってテーブルをだんっと叩く。
「無理だ。もう食われてるな」
 さらっとフェイドは言った。
「く、食われてるって……」
「魔物だって食わなきゃもたねぇぜ。上級魔族になりゃ、人間食わんでもやってけるだろうが」それから言っておくが、とフェイドはユズリを指差す。
「契約者食われようがなんだろうが、魔物は契約は守るからな。おまえさん、気をつけなきゃやられっちまうぜ」
「そんな、僕はどうしたら……」
 落ち着いていたように見えるユズリだが、正面きってそう言われるとただうろたえるほかない。
「今夜はここに泊まりな。おれがなんとかしてやるよ」
 どうでもいいけど、と頬杖をついてメイリンは言った。
「会話だけ聞いてると、どっちがおじさんだかわからないわね」
「ど、どっちもおじさんじゃないよ!」
 すかさずユズリが反論する。微妙なお年頃らしい。
「それにしてもフェイドくん、詳しいね」
 ユズリが言うと、にやりとフェイドは笑った。
「魔物ハンターが生業なりわいなもんでね」

-----05



 結局、ユズリはここに泊まり、フェイドと同じ部屋で休んだ。用心のためである。フェイドは眠りが浅いのだ。
 朝方は階下に降りて、皆で朝食をとった。フェイドは自前の帯剣を食事時も離さない。
「結局昨夜は何もなかったね……」ほっとしたようにユズリが口にすると、
「いや、わからんぜ。気を抜いた頃が危ないんだ」とフェイドが脅す。
 なぁ、と促すと、知らない、とメイリンはそっぽを向いた。機嫌が悪いのである。眠い所為もあるが、フェイドがその場を取り仕切っていることが気に入らない。一日二日泊めてやっただけの男に好き放題されるいわれはないのだ。
「ごみ捨ててくる」
 メイリンはごみの入った袋を抱えて、扉の方へと向かった。フェイドが行き倒れていたその扉である。
「ちょっと待て。今朝は嫌な気配がする。外は危ないかもしれんぜ」
「脅かさないでッ」
 メイリンはフェイドの言葉を振り切って扉を開けた。
 ――と。
 そこには獣が立っていた。朝の逆光の所為で良くは見えない。犬のような気もするが、それにしてはサイズが大きすぎる。獣が、跳びかかろうとでもするように、ぐぅっと上体を沈めた。
「伏せろ、メイリンっ!」
 フェイドの叫びに答えるように、メイリンの足の力が抜け、その場にへたり込んだ。
 獣がひとつ跳躍する。外からの光で毛並みが白銀に輝く。メイリンの上を飛び越え、しなやかな四肢は床へ着地した。爛々と光る赤い瞳が、フェイドとユズリを見据える。
「魔獣……?」
 ユズリの口から言葉が洩れた。恐怖と混乱で、咄嗟に動くことも出来ない。狙われている、という思いが強いのみ。
 唸りを上げて、魔獣は行動を開始した。歯列から鋭い牙が覗く。おとがいが開き、その牙が喉笛をめがけて襲いかかった。――しかし、その標的はユズリではない。
 魔獣はフェイドへと牙をむいたのだ。
「ずいぶんと、狙いが正確じゃねぇかっ」
 フェイドは跳び上がった魔獣の下へ滑り込むと、手にした剣を手首を返して魔獣の首へ突き立てる。そのまま、ぐいっと刃先を沈めて切り裂いた。
 どう、と魔獣が倒れる。
 フェイドは荒い息を整えながら起きあがった。返り血と汗で、シャツが酷く汚れている。魔獣の爪でも掠ったのか、頬のガーゼは剥がれてどこかへいっていた。そこに斜めに傷跡が走り、彼自身の鮮血が頬を染めていた。フェイドは落ち着いた様子でズボンの埃を払っている。
「悪ぃな嬢ちゃん、床汚しちまった」
「そんなの、いいから、手当てしないと……」
 メイリンはどこかぼうとしている。今起こった出来事をまだきちんと把握できていないのだ。
「いや、まだだ。どいてな」
 きっぱりとそう言って、フェイドは開きっぱなしの扉を睨みつけた。
 微かに唸り声が聞こえたかと思うと、もう一頭の魔獣が姿を現した。先程のものと同じ容貌をしている。
 フェイドは魔獣と目を合わせる。そのまま視線を外さない。魔獣は姿勢を低くしてじりじりとにじり寄ってくるが、跳びかかろうとはしない。あるところまで近づくと、魔獣はその距離を保ったまま、フェイドの周りをゆっくりと回りだした。フェイドも視線を外さないように、魔獣に合わせて体をゆっくり回転させる。
 低い声でフェイドが何かを唸るように言った。瞳の光が強くなる。それに反応したかのように、魔獣はさらに動きを遅くした。しかし唸り声は止めない。
「従え!」
 フェイドが強く言い放つと、魔獣は一声高く鳴いてびくりと動きを止めた。そのままゆっくりと頭が垂れ、頤を床にこすりつける。
「よし、良い子だ」フェイドは口の端を上げる。
「ご主人様に伝えな。明日、日が昇る頃に外れの坑道に来いってな」
 魔獣は頷くように首を縦に振って後退りし、くるりと身を返すと表へ駆け出していった。
 フェイドはふうと溜息をつく。固まったままのメイリンとユズリを残して訪れた静寂が、ふいに破られた。
「何の騒ぎじゃい……うわ、何じゃあこりゃ!」
 散らかった店内――は見なれているが――と床の血溜り、魔獣の屍骸を見て、中年の男が声を上げた。騒ぎに反応して、奥から出てきたらしい。
「お、伯父さん! 何でもないから」弱った足をしゃんとして、メイリンが慌てて立ち上がる。「……とは言えないわね。ええと、何て言ったらいいのかな……」
「いや、店に迷惑かからんならいいけどね、わし。んじゃ、片付けよろしく」
 少々肉を蓄えすぎた体躯と、チャームポイントらしきちょび髭から推し量れる陽気な愛嬌さで返事をすると、男は奥へ引っ込んでしまった。緊迫した空気を思いっきりぶち壊されて、メイリンはしばし放心する。
「あああ伯父さん、そんなこと言ってるとまた伯母さんに怒られるわよ……」
 メイリンの呟きは、フェイドのげらげらという馬鹿笑いにかき消された。
「っひゃっひゃ、苦しい、げほ、あのおっさん、絶対おれと気が合うぜぇ」
「いや、そんなことより」
 極度の緊張から開放されたユズリが口を挟んだ。
「……状況がよくわからないんだけど」
「そ魔獣は従うだけだ。契約をした魔族を倒さねぇとな。だからおびき寄せてやんのさ」
――まさか僕が囮に、とか……」
「いや。おれひとりで行く」
「……印持ちが要るんだろう?」
「そうさ」
 答えてフェイドは、頬にこびり付き乾きかけた血を指で拭う。その下にあるひきつれたような痕は、
 ――罪人の印だった。


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