ロビンが用意した馬車とは、荷馬車のことだった。
 屋根もなく、荷車を括りつけただけの簡素なものだ。
「これに乗れ、っつうことか」
「はーあ? お嬢様は豪華な箱馬車じゃなきゃ乗れないとでも言うんじゃなかろうな」
 アルカレドの言葉にロビンは反発したように鼻を鳴らす。お嬢様と揶揄したのは、エルフィリアの雰囲気によるものでもあるだろうが、アルカレドが「お嬢」などと呼んでいるからだ。
「いえ、これは……どう乗るものなのでしょう?」
 エルフィリアが抱いたのは純粋な疑問だ。見たところ単純に箱である。椅子もないので、どう座るのかすらわからない。
「まあ直接座るしかないんだが……通常は後ろ向きか」
 荷台を手で示しながら、アルカレドが答える。乗る向きが決まっているわけではないが、前は馬が視界を塞いでしまうので自然と後ろ向きになるのだそうだ。横向きも、揺れが激しいと荷台の形状によっては転がり落ちてしまうので避けられている。
「では、私たちはこちらに座って――ロビンさんは御者ですか?」
「いや、俺も一緒に乗る。あんたたちが目隠しを外さないか監視する必要があるからな」
 御者役として採集仲間の一人を呼んでいるのだそうだ。商売の種である薬草の生息地を、よそ者に知られないための措置である。お礼と称して、そのお仲間にも何か渡しておかなければとエルフィリアは頭に留める。
 そうして、エルフィリアたちは布で目を覆われて、馬で行けるところまでごとごとと荷馬車に揺られていくことになった。
「冒険者用のひどい馬車よりは揺れませんね」
「あんたたち、意外と質の悪い馬車にも乗ってるんだな……」
 魔術具の馬車は、速さを重視するのに比例して揺れが激しくなる。軽量化に伴って安定性が下がるのだ。
 以前作ったクッションはしっかりと役に立っている。予備のものをロビンにも薦めてみたが、乗り慣れているからと言って受け取ってはくれなかった。その分、アルカレドが無駄にせず使ってくれているので良いのだが。
 クッションによって揺れは軽減されているが、目が塞がれた状態で運ばれているというのは妙な心地だ。手足は床に着いているというのに、どこか浮いているような気がして心持が悪い。
 エルフィリアが頭をふらふらとさせていると、アルカレドが引き寄せるように肩に触れた。彼も目を覆われているので、指で背中をたどって当たりを付けるという過程を経てからだ。
「お嬢。不安定だろうから寄っかかってていいぞ」
――では、お言葉に甘えます」
 エルフィリアは身体を傾けて、アルカレドの肩に頭を乗せた。いつもなら不安になるほど近い距離だが、今日はなんだか安心が勝った。視界に入らないからだろうか。彼が意地悪ではないからだろうか。
 アルカレドの身体はがっしりとしていて、エルフィリアが体重を預けても安定している。
「……あんたたち、恋人同士なのか」
「いえ、違います」
 ロビンが気が付いたように尋ねたので、エルフィリアはすかさず否定した。
「即答、だな」
「気にすんな、お嬢はいつもこんな感じだ」
「……苦労してそうだな」
 直線的で硬いロビンの声が、息を吐くような音になる。
 まあな、と答える前に、んーと咽喉を唸らせたアルカレドの声を聞いて、エルフィリアはふと気が付いた。いつもより、やや話し方がゆったりとして深いような気がする。
「アルカレド……もしかして、眠いのですか?」
「え? ――ああ、まあな、誰かさんのせいで」
「……もしかして、私のせいだとおっしゃりたいの? 存じませんでした、あなたが傍に人がいると眠れないほど繊細でいらしたなんて」
「あのなあ……」
 アルカレドの溜息に合わせて、ロビンの得心したような「ああ」という声が響いた。
 会話を聞いて、どうやら宿の部屋が足りなかったようだという状況を理解したようだ。
「……可哀相に」
「だろ」
 すかさず返答したところを見るに、ロビンの同情はアルカレドに向けられたものらしい。
 エルフィリアには理解ができなかった。
 イズといいロビンといい、どうしてアルカレドが不遇の身であるかのような扱いをするのだろうか。


――ここだ」
 ロビンの声に促されて傾斜を上ると、薬草の生えているところに出た。
 馬車は御者と共に置いてきている。馬で入れなくなったので、徒歩に切り替えたのだ。そのため、目隠しも既に外していた。
「摘んでも構いませんか」
 エルフィリアはロビンに許可を取って、早速葉を摘むことにした。通り道にならないような場所にあって取りにくい分、獣に踏み荒らされたりもしていない。少量摘むだけならば姿勢も辛くならないので、普段大量に摘む場所とはまた別なのかもしれない。
「そんなに見てても、参考にならねえぞ」
 エルフィリアの手元を見ているロビンに、アルカレドが声を掛ける。
 薬草を納入する際、処理が済んでいると値段を上乗せしてもらえるという。ただしそれも質によるので、効果の高い方法なら参考にしようとでも思ったのだろう。
 ――そう簡単にはいかないのだが。
「なっ、魔法……?」
 いくつかの葉をぷつぷつと摘み取ったエルフィリアは、その場で処理すると告げたとおり、それらをたちまち乾燥させた。ただし、それは魔法詠唱によってだ。
「ひと手間で済みますから楽ですよ」
 時間も掛からないし、経過状態に気を配る必要もないので面倒な手順が必要ない。――エルフィリアにとっては。
「確かに、参考にはならないな……次は、そっちの方だ」
 ロビンの利益にはまったくならないが、嘘はついていない。溜息を一つ落として、ロビンは次の薬草のある場所へと促した。
 水辺にある薬草だった。根元が水に浸かっている。根を掘り起こさねばならないのだが、空気に晒すと劣化していくのであまり日持ちしない薬草なのだ。水に浸けたまま運ぶという手もあるのだが、まめに取り換える必要がある上に輸送には向かない。そのため、コムの木を加工したものなどでぴっちりと包むというのが主流である。
「これはまあ……このまま採ればいいですね」
 エルフィリアは魔法を呼び出して、あっさりと薬草を水球に入れた。水中で操作したので、水から上げてもいない。
 そのまま洗浄して水を入れ替えるのもお手の物だ。そこに魔法を重ね、切り取った根をすり潰す。道具を準備し、器に移して火に掛ける。先ほど乾燥させていた葉も刻み入れ、他に繋ぎになるものや増幅効果のある材料などを加えて混ぜる。
「本当に、この場で作れるんだな……魔法というのはずいぶん便利なものらしい。あんた、調薬士ってわけじゃないのか」
「免状は取っておりませんから、職業にしているというわけではありませんね」
 薬専門の調合士のことを調薬士というが、一般的には薬を作っていれば調薬士だと思われているのであまり使い分けはされていない。
 薬を売る場合は免状が必要になるが、同時に商業ギルドに納める作成ノルマもあるので面倒なのだ。
「魔法がありゃ万能っつうより、お嬢の技術が高いだけだな。高等魔法士の腕だぜ、その辺の薬屋に甘んじるわけねえだろ」
「そ、そうなのか」
 一般的な平民は魔法の知識が欠けている。魔法の使えない者にとっては特に、どれが高度でどれがそうでないかなどという感覚自体がおそらく存在しないのだ。
 確かにこれでは、魔法による調薬の発展が難航するのも納得である。
 三十分ほどかき混ぜていると、蒸発して水分が減ってきた。エルフィリアはそこに銛鯨の油を入れてさらに混ぜる。十分ほど練るうちに薬が完成に近づいてくるので、その間に魔石を媒介にして銛鯨の魔力を抜く。魔力水の魔力の方は徐々に抜けるので問題はない。
 残りの魔力は、特定の素材を砕いた礫を入れて吸わせていく。植物に含まれる魔力は微々たるものだが、体内に入るものなので抜いてしまう方が良い。調薬の際は含まれる魔力が高いほど良いが、使用時には邪魔になるものである。魔力同士は反発し合うので、残留魔力が高いと効き目が弱くなるのだ。
「魔力抜きと同じやり方じゃあ駄目なのか?」
 処理に手間が掛かると言っているのだろう。アルカレドの疑問にエルフィリアは答える。
「魔力の状態が荒れるので良くありませんね」
 魔力抜きの手法とは、別の魔力を押し付けて魔力を移動させる方法だ。しかしそのやり方では、結果が同じでも過程が違う。調薬途中の魔力を力任せに乱すことになるので、効果が不安定になってしまうのである。
「ふーん……なるほどな」
――さて。あとは寝かせておけばよいので、これで用事は済みました。帰りましょうか」
「は?」
 声を上げたのはロビンだ。
 ずいぶんあっさりしたものだと思ったろうが、エルフィリアの「帰りましょう」は宿に帰りましょうではなく、家に帰りましょうだったことを知って、もう一度吃驚の声を上げることになる。


next
back/ title

2024 01 02