単に起きた事象だけを上げるならば、問題にするほどのことではない。
 他人のことだったら、エルフィリアだって――そうだったの、と告げて終わりにしただろう。本当に、ほとんど何も起こっていないようなものなのだ。
 エルフィリアが気にしているだけで。
 それは昨日のことだった。きっと、記憶がまだ生々しいので気になってしまうのだろう。
 術式を仕込んだ服ができたので、アルカレドに見せに行ったのだ。エルフィリアの分はワンピースとペンダント、アルカレドの分はスカーフと留め具のセットである。術式だけだと可愛くないので蔓薔薇の刺繍も足したが、アルカレドは薔薇は要らないだろうと思って月桂樹の葉をデザインした。
「アルカレド、どうですか?」
 具合を確かめるために、エルフィリアはアルカレドにスカーフを巻かせる。
「あー、そうだな、首回りが涼しいだけでだいぶ違うな。これ、口元まで巻けば炎の迷宮でも使えそうだからちょうど良いんじゃねえか」
 不味い耐性薬を飲まなくても咽喉が焼けなくて済むのでは、というわけである。さすがにアルカレドは装備視点からの意見だ。
「あんたの方はいま着てるやつか? ……確かに、あんまり涼しそうな恰好じゃねえな」
 魔術具がなければあまり快適そうには見えない、ということである。エルフィリアは貴族の令嬢だったので、肌を出すことに抵抗があるのだ。スカート丈は膝より長く、夜会のドレスでもなければ肩や胸元は晒さない。袖も、袖口は広くとっても二の腕は見せない長さとなっている。
「貴族でしたからね」
「アウリセスってなんか、他所より厳格な気がすんな」
 貴族の地位が高く平民と差別化されているのはどの国でも同じだが、中でもエルフィリアの生国はその傾向が強いのではないかという話だ。貴族婚についても他国はそこまで厳しくなく、叙爵した者も実質的に貴族として認められるのだという。
 その結果、市井の者にも魔力の強い者が生まれており、魔術士の数はアウリセスよりも多い。では、アウリセスの国力が低いのかといえばそういうわけでもない。血統を守っているがゆえに、貴族の魔力は他国よりも圧倒的に高いのだ。何事にも良い点、悪い点があるという話である。
 しかしエルフィリアにとっては既に関係のない話だ。気を取り直して魔術具の点検を続ける。
「スカーフの冷気は周囲に洩れていませんか? スカーフだと裏表を気にする必要があるかしら……」
 機能的には洩れていても変わらないが、すれ違った人に皆振り向かれるのも煩わしいだろう。
 エルフィリアは、アルカレドの首元と肩に手を触れて何度か撫でるようにした。
「触れると少しひんやりしていますが、周囲に影響が出るというわけではなさそうですね」
「そうだな……」
――あら、アルカレド? 機嫌が悪いのですか?」
 落とされたのは咽喉をこするような低い声だったので、エルフィリアは驚いた。先ほどまでは普段通りだったはずだ。エルフィリアが触るまで――さわったな、とエルフィリアは気が付いた。これは、仕返しをされる。
「……お嬢の方は、俺が確認してやろうか」
「えっ……」
 突如、肩をぐいっと引き寄せられて、エルフィリアは慌てて手をついた。その手の先がアルカレドの胸元だったことにぎょっとしたが、間に腕を挟んだおかげで密着せずに済んでいるので外すわけにはいかない。相手は薄着なので、なおさらにどぎまぎする。
 それ以上無理強いはされなかったが、背中に回ったアルカレドの手が、するすると肩を撫でていった。
――なるほど、確かにこの距離でも冷気は洩れてねえが……触るとひんやりして気持ちがいいな」
「ひえっ」
 アルカレドが頬を寄せてきたので、エルフィリアは淑女らしからぬ声を上げてしまった。
 なにゆえ全然動揺していないのだこの男は、と信じられぬ思いである。
 エルフィリアは、たちまちアルカレドの腕から逃げ出してそのまま部屋まで逃げ帰った。敗北である。しかし改めて整理してみると、ただちょっと肩を引き寄せられただけのことなのだ。
 それを保証するかのように、翌朝に顔を見たアルカレドは、いつもの調子とまったく変わりがなかった。


「遠出をするのも久しぶりですね」
 数時間揺られた馬車から降りて、エルフィリアはうんと伸びをした。
 王都からそこそこ離れている地方に来たが、さすがに日帰りは厳しいので一泊以上は見積もっている。
 馬車の中だと向かい合っていてもある程度の距離があるので、二人きりでも気まずくならずに済んだ。どうやら、近づきすぎなければ大丈夫だと、エルフィリアは自己分析をしている。
「リモーネが許してくれてほっとしましたね」
「あー……まあな」
 アルカレドの歯切れは悪い。
 実は、出発前にひと悶着あったのだ。地方でしばらく過ごすのも、それがアルカレドとなのも初めてではないため、出かける前に一言告げるだけでよいと思っていたエルフィリアだったが、リモーネがご立腹だったのである。
 イズも一緒だと思っていたらしいのだが、そうではないと知ってさっと顔色を変えていた。
 結局、イズとアルカレドがなんとか言い含めたらしく、渋々ながら送り出してくれたのだった。
「リモーネには、何と言って納得してもらったのですか?」
「……花を手折る趣味はないと言っておいた」
 ――花? とエルフィリアは首を傾げた。花が女性を意味することがあるとは知っているのだが、話の流れがいまひとつ頭の中で繋がらない。市井ではわかりやすい言い回しなのだろうか。
「ええと……花は、愛でるものだということですか?」
 話を続けたことが意外だったのか、アルカレドは片眉を上げて答える。
「花は――咲かせるのが愉しいに決まっているが?」
「……そう、なのですね」
 なんだか話が広がらないような気がしたので、エルフィリアはそれ以上話題を引っ張るのはやめた。
 その代わりなのか、アルカレドの方が話題を提供する。
「今回は、薬草を採りに行くんだって?」
「ええ、そうなのです。迷宮では薬草が採れませんので」
 財宝として手に入ることもあるが、入手不可能に近いものでなければ自分で採りに行った方が早い。
「商会から回してもらっても良かったんじゃねえか?」
「うーん……いま、薬草の効能をいろいろと試しているのですけれど」
 効能を高めるための素材というのはいくつかあるのだが、結局のところ上位の素材であるほど良いという結論にならざるを得ない。あまり発展性がないのだ。
 他のやり方を模索するなら、効能の固定というものもある。薬は触れた場所から体内に浸透していこうとするので、拡散させず患部に留めておくために親和性の高い素材を使ったりするのだ。骨ならばコクランソウ、内臓ならばコンウの実、といった具合に。
「そうして熟考した結果、基本的なところから見直すのが良いのでは、と」
「基本、っつうと」
「薬草の保存ですね」
 そもそも薬草は摘んだ端から劣化していくものだ。それを抑えるためには乾燥させる、燻す、水に浸けるなど、各々の処理方法があるが、劣化を完全になくすことはできない。これらの処理は、調薬の際に一番効能を発揮しやすい状態だという側面もある。
 摘み取らずにそのまま土ごと運ぶという手もあるが、温度や湿度、水などが変わると結局効能が落ちるのだ。運搬の手間や量を考えれば、あまり選ばれる手段ではない。薬草園で育てやすいように品種改良もされているのだが、改良したものは原種と比べて効能が落ちるのである。
「要するに、商会から買っても劣化はしてるわけだな」
「専門の方が処理されているのでそこまで質が落ちているわけではないのですけれど……それでも、摘んだ状態からは変化してしまいますね」
「つまり?」
「摘んですぐ使えば良いのではないでしょうか」
 効能が一番残っている状態で試してみたい、というのがエルフィリアの希望であった。
 そのためには、まずどこに生えているかを探さねばならないのだが。


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2023 12 16