「術式分けんの? ……あー、うん、刺繍は見えるとこ?」
 エルフィリアが魔術具をセットにするアイデアを披露すると、イズは真面目に相談に乗ってくれた。
 彼女は、術式を刺繍と魔石とに分けようと考えているのだ。魔石はブローチにしようかと思っていたが、探索時にも使用するなら外れてしまう可能性があるため、ペンダントにでもする方が無難かもしれない。
 イズが刺繍の位置を確認しているのは、通常、魔術具の術式は隠すものだからである。簡単には真似されないように、サインを混ぜ込んだり、隠蔽の術を仕込んだりはするが、わかるものが見れば解析されてしまうのだ。
「見られて困るほど複雑な術式は編めませんからね……飾り文字にすれば綺麗な模様に見えるのではないかしら」
 見せても良いのなら服の全面に描くことができるので、術式のサイズを小さくする必要がない。しかしその分、魔石の方の術式がかなり繊細なものにならざるを得ない。
「ペンダントってことは魔石の土台に仕込むんだよね?」まだせめて、ブレスレットならある程度のサイズを見込めたのかもしれないが。「ペンで描けるかなあ」
「専用のインクさえ使用すれば良いのなら、ペンにこだわる必要もありませんよ」
「……ってえと?」
 なまじ慣れ親しんだ道具だから、イズには思いつかないのかもしれない。
「針の先を使えば細い線が引けます」
「はー……なるほどねえ……」
 考え込んでしまったイズだがそれ以上の言葉は出ず、可能であると納得したようだった。
「それって、製法は登録できるやつか?」
「あ、アルカレドご苦労様」
 ひょいと話に入り込んできたアルカレドは、包みを手に抱えていた。昼食の買い出しに行って帰ってきたところである。
 この時間、リモーネは薬屋の店番などで不在が多い。昼食は各自に任されているが、全員が別々に外出していることも珍しいので、大抵は誰かが買い出しに行くかその辺りで外食するかエルフィリアが作るか、要するに一緒に食事を摂っているのだ。
 アルカレドがどさりとエルフィリアの隣に座る。ソファが沈み込む重さににわかに存在感が増し、落ち着かなくなったエルフィリアは少し間を空けて座り直した。
 受け取った食事をテーブルに広げながら、イズは会話を受ける。
「製法自体の登録はあんまりメリットないんじゃない? そんなに特別な術式でもないし、術式を分けるのは珍しいけど、実例はあるから画期的ってことでもないしね。簡単に真似されちゃうから意味ないってのもあるけど、それ以前にこの魔術具を作ろうとする人がいるかどうか」
「そうですか? 私は非常に欲しておりますが」
 快適に過ごすための服である。欲しがらない人などいるのだろうか。
「いやー、これ、作るのめちゃめちゃ面倒くさいからね……」
 インクで線を引くだけならともかく、刺繍となれば手間もかかる。刺繍の腕だけではなく、魔術具なのだから魔力操作に長けていることも必要だ。糸も魔力の込もったものである必要があるし、当然、金がかかる。いくら便利でも、庶民にとっては値段が価値に見合わないのだ。
 貴族ならば金はあるが、その分衣装持ちである。何百とある衣装にいちいち針を入れるのか。入れたとて、同じ模様の服ばかりになってしまうではないか。だいたい、それだけの技術のある者が、そんな大量生産じみた仕事を請け負うのかどうか。
「まあ確かに……個人の趣味の範疇になってしまいますね」
「エルフィリアちゃんは何着も刺繍すんの? 魔石の用意も面倒なことになると思うけど」
「ああ、それは……同期させてしまおうかと」
「同期」
 刺繍を入れるのは容易だが、その都度魔石を用意するのでは非効率だ。
「魔石は使いまわすことにして、その都度同期させることができれば良いのではありませんか」
 つまり、一セットずつ作るのではなく、魔石の方を複数ある術式の一つと合わせて作動させるようにすれば良いのである。ただしこれは、同時に作動することを防ぐため、使用する対象を特定せねばならない。使用時に魔力を通して一体化させれば良さそうだが、そのためには魔石の魔力も自前で詰める必要があるだろう。
 作成だけではなく、使用時も人を選ぶ代物だというわけである。当然、魔力を込められない者が扱うのは難しい。
――うん、その、魔石の方を使いまわせるってえアイデア自体は、登録できるかもしんないねえ」
 イズの感触もなかなかに良い。
「それでこの術式の省略が――
「で、あんたらいつまでやってんだ?」
 すっと低い声が入り込んで、エルフィリアははっと我に返る。
「あ、ごめんごめん、冷めちゃうよね」
 イズもすんなりと謝罪して、パニーニの入った包みを剥がす。串焼きの方は、エルフィリアが渡していたコムの紙で包んで持って帰ってきたようだ。屋台だとわざわざ包んでもらえないのである。
「術式の方はある程度形になりそうなのですが――アルカレド、あなたの服にも施すということでよろしいのですよね?」
 作業の手は止めたが、頭の中はまだ術式が巡っている。アルカレドの分も、訊けるうちに訊いてしまおうと思ったのだ。まったく同じにするか、少し違うものを試そうか。
「あー、そうだな、俺の分はそんないくつも要らねえし……マントかスカーフにでもしてもらって、留め具を魔石にしたら一つで充分なんだが」
「それだ!」
「それです!」
 アルカレドの返事に、イズとエルフィリアは思わず食いついた。
「そっかー、いっそ装備にしちゃえばいいんだ」
「それなら、冒険者の方にも需要がありますよね」
 需要がなくとも良いのだが、登録の話が出たので思考がそっちに寄っているのである。
 確かに、装備となるならば冒険者は金を出す。一つでいいのなら同期を考える必要もない。これは、真似される前にどこかの防具屋にでも売り込もうかな、と考えていると、
――お嬢、お嬢」
 アルカレドに声を掛けられた。その声がやけに近い。
 じっとりとした視線の先を見れば、エルフィリアの両の手がアルカレドの太腿に掛かっている。勢い込んで、身を乗り出してしまったのだ。
「すっ、みません……!」
 状況を理解したエルフィリアは、慌てて一歩飛びのいた。
「あれ? エルフィリアちゃん、なんか珍しい反応」
 イズの方はのんびりとした様子で、昼食を口に入れている。
「あー……やっと、ちょっと警戒されるようになったもんでな。奴隷のときは完全に気が緩んでたらしいが、そういうわけにもいかねえんだろ」
「あー、それはそーだねえ……」
 そういう言い方をされると、まるでエルフィリアのせいみたいである。なんだか釈然としないので、エルフィリアはついつい言い返した。
「アルカレドは、私があなたを信用していないとおっしゃっていましたけれど、それは言いがかりではありませんか? ――私がではなく、あなたが私をそう仕向けているのではありませんか」
 だって気を許してでもいなければ、すぐ油断して距離を詰めるようなことにはならないと思うのだ。警戒してしまうのは、アルカレドの反応が意地悪になったからである。
――な、こいつやべえだろ」
「うん、全然わかってないね」
 それなのに、エルフィリアの訴えは無視されてしまった。
「ま、こいつに散々もてあそばれたからな。仕返しする気はあるから、せいぜい警戒しててほしい」
「なんですそれ、人聞きの悪い――
 それこそ言いがかりだと思ったが、スカートの上からするっと膝を撫でられて、エルフィリアの息がひゅっと詰まる。
 イズの前だというブレーキが意識に掛かったせいで、良くも悪くも騒がずに済んだ。一瞬頭が真っ白になったが、先ほど太腿に触れてしまった“仕返し”だということはうっかり気が付いてしまったのだ。
 やはりこれはアルカレドが悪いと静かに怒りが燻ったが、
「うんうん、かわいそーに……」
 イズがアルカレドの言葉を全く否定しないのが解せなかった。


next
back/ title

2023 12 05