「またピスキス種でも獲るのか?」
 同じ迷宮に何度か潜ることは珍しくないが、水の迷宮もまた幾度も訪れている処である。
 エルフィリアは、アルカレドを従者にしていた頃の名残もあって、探索に行く前にあまり説明をしないのだ。アルカレドの方も、是が非でも聞きたいというわけでもないらしく、放っているのでだいたいが現地に着いてから確認されることになる。
「今日はピスキス種でも魚型の方ではなくて、銛鯨という名の魔物ですね」
 全く同じカテゴリに入る生物とは思えないが、魔物の分類は大雑把なので水の中で泳いでいればとりあえずピスキス種にされている。ちなみに、銛鯨は頭に長い角が一本生えている魔物だ。
「大型のものが欲しいので深層に参りますけれど」
 馴染みの迷宮を選んだのは、帰還ポイントから入構できるので一から潜る必要がないということもあった。
 何層辺りからを深いと見なすかは諸説あるが、一般的に迷宮には底がないと言われている。魔物の等級が変わる迷宮であってもそうでなくとも、六十層辺りからほとんど変化が見られなくなり、八十層辺りからは帰還ポイントが出なくなる。これは、どこかの階層から先はループしているのではないかと囁かれている。ただし、財宝だけは潜れば潜るほど出る確率が高くなるという真偽の定かではない話もあり、ひたすら潜る者も中にはいるそうだ。
 以前訪れた階よりもう少し先に進むと、遠目に黒い魔物がぐあらんと優雅に泳いでいた。どうやらお目当ての銛鯨である。
「……でけえな」
「この距離でもそれなりに目視できるということは、かなり大きなサイズみたいですね」
 さらに近寄ってみると、目算で二十メートルほどはあった。あまり近づくと視界に納まらないだろうという感覚がある。
「遠距離から仕留めてしまった方が良いのかもしれませんね。気付かれているでしょうか」
「警戒はしてねえようだが」
 こちらを視界に入れてはいるようだが、有難いことにあまり好戦的ではないらしい。すぐに襲ってくるというわけではなさそうだ。大きな魔物なだけに、小さな生き物にいちいち反応していられないということなのかもしれない。
「《業火の贄に報いたる、星降る明けの》――
 杖で大きさを調整しながら、エルフィリアは魔力を錬る。水の迷宮では火の魔法は延焼しないが、打撃としては使えるのだ。そして、単なるそれとは違い、属性によるダメージも入るのでちょうど良い。
「《火をここに》!」
 杖を勢いよく振り下ろすと、上方からいくつも叩きつけた火の魔法が、銛鯨を水底まで沈めた。殺傷には至らないが、脳震盪のような状態を引き起こしたのだ。
 そこをアルカレドが拾いに行って、止めを刺せば終わりだ。迷宮内では血煙もすぐに魔素に分解されてしまうので、汚れる心配もあまりなかった。
「目当ては角か?」
「いえ――脂です」
 調合に使うだろうという推測自体は合っている。が、必要としているのは別のものだ。
 調薬の素材として、最も使いやすいのは油である。調薬の際に魔力を足すと効能が上がるのだが、油だといろんな素材と馴染ませやすいのだ。癖も臭いも控えめなのは植物性の油なのだが、植物系の魔物は魔力自体が少ない。動物性のものは獣脂も試しているが、クジラ型のものを使用してみようと思って今回は狩りに来ているのである。
「皮と……骨も頂きたいですね。細かい処理は必要ありません」
 皮の内側に付いている脂が欲しいので、削り落とされては困る。
「それから、魔石はこの魔物のものだとわかるように分けておいてください」
 薬の材料を混ぜる際には魔力が必要だが、完成前には抜かなければならない。魔石があれば、それを媒介にして処置が簡単になるのだ。
 ここまで大物だと解体が大変だ。解体道具も初期に比べると充実してきて、大包丁や大鉈、骨切鋸に手鉤など、解体業が専門で必要となるのもわかろうというものだ。
 アルカレドは、解体を済ませた素材を共有にして拡張式鞄に入れた。
 互いの拡張式鞄は、エルフィリアのものが特別製なのでそれを親、アルカレドのものを子として連動させている。具体的には、共同に指定したものはどちらからでも取り出せるということになるが、厳密にはエルフィリアの鞄の方に入っているので連動を解除すると彼女の鞄の中に残ることとなる。
「……そういえば、具体的な配分の取り決めをしておりませんでしたね」
「別にまあ、いままでとそんな変わんねえだろ」
 アルカレドの返答はおざなりだ。
「そういうわけにも参りません」
 何の話かといえば、報酬の取り決めである。アルカレドを冒険者に登録してからは取り置きの素材以外は半々にしていたが、それをそのまま踏襲するというわけにもいかない。解体はすべてアルカレドが担当しているからである。それに、成果自体も半々とは言い難い。エルフィリアが手を出すまでもないことがよくあるのだ。
 つまり、半々にするにはエルフィリアの働きが足りないのである。
「……今回も、素材を必要としているのは私ですから、むしろ報酬を払うべき立場ではありませんか?」
「あー……そういうこと言い出すと面倒なんだよなあ……それを言えば俺こそ、あんたに借りがある立場なんだが」
 アルカレドは真面目に取り合ってくれない。
 奴隷時代に、世話を焼いたり祖国の事情を調べてやったりしたことなどを言っているようだが、いつまでもそれに甘えるというわけにもいかないだろう。今までは衣食住を与えてやっていたが、それもエルフィリアが手配できるものではなくなってきているのだ。住居費は別々に支払うことになったし、食事も今ではリモーネの仕事になっている。かろうじて服は用意してやれるが、それもアルカレドが獲った素材となるのでエルフィリアの持ち出しではない。
「だから、そういうとこ細かく分けだすと面倒なんだよ。まあ、お目当て以外で、道中俺が仕留めて俺が解体した獲物ぐらいは丸ごと貰うが。薬はあんたが作ったりしてるし、装備もデザインやら素材の組み合わせやらはあんたに丸投げだろ。拡張式鞄と武器は貰っちまったし、解体道具も借りてるわけだしな」
 そう言われてしまうと反論が難しいが、先払いしたからタダ働きだというようなものである。そのうち不満が出てくるものだと思ったが、
「今更っつうか何つうか、もう慣れちまったんだよな」
 などと言うので、エルフィリアもそれ以上押し通すのは躊躇する。――が、
「いえ……リモーネにはあれだけ心を砕いておいて、それでは手抜きではありませんか」
 施しにはならぬよう、甘えにもならぬよう、しっかりと線引きを選んだはずだ。それなのに、自分のことはなあなあにしてしまえというのは、卑怯なのではないか。自己嫌悪がちくちくとエルフィリアの胸を刺す。
「そうは言ってもなあ……あいつとあんたとでは事情が違うだろ。あんたは俺の主人だったし、俺はあんたに借りもある。一つ一つを正しく清算するなんて無理な話なんだ、こういうのは」
 反論を封じられて、エルフィリアはむう、と口を結んでしまう。
 世間知らずだという評を全面的に受け入れているわけではないが、市井のやり方をよく知らないというのは事実なのだ。自身の知見の狭さを痛感しているところではあり、世事に通じていそうな相手にさも常識と言わんばかりに押し切られると弱いのである。
「わかり……ました」
「あんたって意外とちょろいよな」
「ちょろい?」
 理解は及ばなくとも、なんとなく褒められていないことはわかる。素直に訊くのも癪なので、「リモーネに訊いてみようかしら」とこぼすと慌てて止められた。なるほど、やはり良くない言葉だったらしい。
「それよりあんた、なんか服に快適な術式を仕込もうとしてんだろ? 俺の分もやってくんねえかな」
「……承知いたしました」
 露骨に話を逸らされたが、エルフィリアは承諾することにした。
 それで手打ちだということだ。いわば、気になるのなら折々にそういうもので返せということなのだろう。
――しかし、そうですね……その術式について少々悩んでいるのですが」
 エルフィリアは顔を上げ、ふとアルカレドの首元に指を滑らせた。
「……首輪は、単独の魔術具ではありませんでしたね。巻軸スクロールとセットということは、二つのものに分けているということになります。それを応用できるかもしれません」
 服に直接魔石を仕込むのではなく、別々に分けて連動するように術式を組み立てられないものか。
 ううん、と思考が走り出したところで、エルフィリアの手首が掴まれた。――あら、と彼女は目の前の男の顔を見る。
「……すげえなあんた、実は学習能力ないんじゃねえか?」
「……はい?」
 手が伸びてきて、エルフィリアの顎先を捉えた。耳の下まで、するり、と男の指がたどる。彼女が一歩下がろうとしたときには、首の後ろに指が添えられていて、その場から動くことができなかった。
「俺はあんたに無体を強いる気はねえんだが、そっちから手を出す分にはやり返すからな」
「手を……?」
「自覚しろ、自覚」
 苦く笑って、アルカレドはエルフィリアのうなじを、すり、と撫でるようにする。
――は、い」
 こくんと唾を呑んでエルフィリアは顎を引いた。
 不用意に触れたからやり返されたのだということだけは理解した。そして、どうやらここで是以外の返事をしてはならぬということも理解したのだった。


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2023 11 30