――お、お姉さまっ!」
 ――お待たせいたしました、と告げてエルフィリアがアルカレドと共に談話室に入った途端、リモーネが飛びついてきた。
 貴族にはこういうことをする娘がいなかったので、なかなかに新鮮な感覚ではある。
「な、何かされてはいませんよね? イズさんはすぐ来るよとしか言わないしぃ……」
 若干涙声のリモーネに、エルフィリアにもやっと状況が飲み込めた。
 確かにエルフィリアは、餌であり罠であったのだ。思えば、個室で話すように誘導されていた。つまり、意識的にアルカレドと「二人きり」にされたのだ。それに、リモーネがやきもきするだろうことを狙ってである。
 イズがどうやら静観していたのは、その方が効果的だからだ。下手に煽ってしまっては不自然だと見抜かれる。だから、いつもこんなものだという涼しい顔をしていたのだろう、きっと。
 何かされていないかと問われて、束の間エルフィリアの頬に血が上ったが、リモーネは動転していて見逃したようだ。その間に、エルフィリアは呼吸を整えた。
――ほら、問題はありませんから座って。お茶にしましょう」
 茶を喫してはいたようだが、エルフィリアは改めて淹れなおした。落ち着くようにと、甘い香りのフレーバーティーを選ぶ。
「表通りのチーズケーキを買っておりましたのでどうぞ」
 表面は強い焼きが入っているのに中身はレアの食感が楽しめるという、評判の焦がしチーズケーキだ。冷蔵箱から取り出すと、リモーネはそちらにも物珍し気に食いついた。
「あっこれ、食品を冷やせる箱なんですか? 便利ですね」
「冷凍する箱もありますよ、作ったあとは持て余していましたが、共同生活なら役に立ちそうですね」
「えっ、売ってるやつじゃないんですか」
 じゃあ値段なんてわかんないですねえ、とリモーネはどうやら欲しくなっているようである。これも餌になるのかしら、などとエルフィリアが思ったとき――せっかく落ち着いた雰囲気に水を差す声があった。
――あー、前に首輪の抑制っつう話をしたが、そういうあれじゃねえ気がすんな」
 アルカレドだ。何やら考え込んでいると思ったら、先ほど部屋で何かに気付いたものらしい。そちらの話題には、イズが反応した。
「え、何の話?」
「……以前、奴隷の首輪には、欲を抑制する効果があるとお聞きしましたね」
 エルフィリアは思い返しながら、リモーネとイズに説明するように述べる。欲といっても、食欲や睡眠欲などには影響がないということだった。
「えっ、そんなのあった? 誰に聞いた情報なの?」
「あー、っと、奴隷にされたときの牢屋番がいろいろとそういう話を吹き込みたがってな」
 つまり、不安を煽って楽しもうという嗜好の輩だったのだろう。
 他にも、役に立たない話だが、奴隷を閉じ込めるための檻や部屋には特殊な魔法が掛かっていることも教えられたらしい。そう聞くと、単に知識を披露したいという性癖の者だったのかもしれない。ちなみにその魔法とは、髪や爪が伸びないようにしておくというものだ。なるほど、手入れに費用はかけたくないが、客が嫌がる容貌になるのも困るというわけである。
 奴隷の話が飛び出したので、リモーネがぎょっとした声を上げた。
「えっ、その話、私も聞くんですか?」
 彼女は他人の深い事情を不用意に知りたくないのだが、招待客の立場では勝手に帰ることもできない。なにもわざわざ聞かせなくとも、とエルフィリアも思ったものだが、本人は聞かれても構わないと思っているのだというぐらいの助言しかできない。
「うーん、いくら巻軸スクロールとセットとはいえ、首輪にそんな細かい条件分けを仕込めるものかなあ」
 魔道具に詳しいイズは首をひねっているが、アルカレドにとってはその疑問は既に通り過ぎたもののようだ。
「そう、だから実際は嘘――ってほどでもねえが、実態は違うな。っつうことを理解した。犯罪奴隷にとっては学習の問題で、俺にとっては魔力の問題っつう感じだな」
 ――ぽつぽつと引き出される意見の断片を拾っていくとこういうことである。
 犯罪奴隷の首輪というのは、主人の意志に反すると負荷が掛かるようになっている。ただ、履行には奴隷本人の魔力が使われるので、「意に反した」という判定は本人の認識も影響していると思われる。一般奴隷の場合はもう少し条件は緩く、主人に危害を加えた場合に発動する。
 大抵の犯罪奴隷は暴力的で気が短いものだ。つまり、実際に負荷が掛かるという結果も多い。その都度苦しい思いをし、だんだんと犬のしつけのように「学習」するのだろう。そのさまが、暴力性――欲を抑えたように見えると考えられる。
 一方、アルカレドの場合はそれとは少し違っている。実際に負荷が掛かったわけではないからだ。どうやら、奴隷の首輪とは契約に反した瞬間に発動するというものではないらしい。それらしい気配を察知すると――つまりは奴隷本人がそうと認識すると――発動のスタンバイ状態になるのだ。発動前に既に、魔力が使用されているのである。アルカレドは魔力の流れに過敏なので、他の人が気付かないそれにも反応していたのだ。
「はっきり意識に上ってきてたわけじゃねえが、ある種の不快感があったんだろうよ。だから違反の判定に繋がりそうなことは、無意識にできるだけ遠ざけてたわけだな。首輪がなくなったら一気にすっきりした感覚がある」
 ということは、一般奴隷にはあまり関係がない話なのだろう。覇気が薄いとは思っていたが、首輪の問題ではなく、そもそも自分で自分のことが決められないような者が奴隷に落ちやすいのだ。
「わかるようなわからないような……具体的にはどうなるんです?」
 結局は、リモーネも話に加わっている。
「ううーん……エルフィリアちゃんを紳士的に扱う必要がなくなったってことだよねえ……」
「はあ!?」
「えっ」
 イズはかなり極端な言い方をしているが、その内容にエルフィリアもぎょっとした。それが事実だということが理解できたからだ。
 アルカレドは口は悪かったが、エルフィリアに害を為すと判断されるようなことはしていない。緊急時以外、自分からは指一本たりとも触れることはなかった――と言えば伝わるだろうか。先ほど急に手を握ってきたのも、その影響を確認するためだったのかもしれない。
「おっ、お姉さま!? いくらコンシェルジュがいたって、自分から部屋に引き入れてしまったら意味ないですからね!?  しっかりしてくださいね?」
 お姉さまは大丈夫、という顔をしていたはずのリモーネの安寧が揺らいでいる。
 ――そろそろ、エルフィリアにも飲み込めてきた。アルカレドは、わざとリモーネに偏った情報を与えているのだ。その結果、どうやらエルフィリアの信用は下降の一途をたどっているらしい。
「えっと、でも、イズさんもいますよね? この人とお姉さまを二人っきりで放り出したりしませんよね?」
「いや、そもそも、三人で探索に出ること自体がほとんどねえと思うが?」
「なんで!」
 アルカレドの混ぜっ返しに、リモーネは悲鳴を上げた。
 そのわけは、言ってしまえば三人だと過剰戦力なのである。パーティ向けの依頼ならば問題はなかろうが、そもそもエルフィリアは依頼自体をほとんど受けない。そのせいで階位が上がらないのでパーティ向けの依頼自体も高ランクのものは受けられないのだ。その結果、三人全員は必要ないことになる。
 ただの探索にしても同じである。エルフィリアはわざわざ等級の高い迷宮にばかり行っているわけではない。食料として売りたい場合はむしろ、中級あたりが狙い目なのである。上級になるほど魔力を抜くのに手間と廃棄率が増えるため、需要に対して高級すぎる肉になってしまうのだ。高い肉は売れるが高すぎる肉は売れない。高価すぎる食事は客が入らないため、店の方でも日常のメニューとしては入荷しない。エルフィリアならば自前で処理できるので安価で市場に流せるが、その値段で定着してしまうと採算が取れなさ過ぎて誰も参入しなくなる。だから市場の値段に影響するほどは獲れないのだ。貴族向けにすると今度は安定供給が必要なので誰かが獲り続けなくてはいけなくなってしまうが、業者になりたい冒険者などいない。魔力未処理の状態では見合うほど高く売れない上に、上位の冒険者は絶対数が少ないのだ。
 中級の迷宮なら狩り放題だが、三人でかかれば今度は解体の手が足りなくなってしまう。よって、今まで通りエルフィリアとアルカレドの二人で潜るのが合理的だ。アルカレドなら単独で迷宮に行っても良いが、エルフィリアには前衛が必要だろうという判断である。
「そ、そんなあ……」
「うーん、いくらアルカレドでも、探索中に手ぇ出すほど暇じゃないと思うよ?」
 アルカレドのことをいったい何だと思っているのか。イズのフォローも雑である。
――そもそもなあ。本気で危ねえのは、家の中でも探索でもねえぞ」
「えっ、どういうことです?」
「俺が奴隷じゃなくなったってこと忘れてねえか? 俺だって探索にも行くし、ずっとお嬢に付いてるわけじゃねえんだが」
 リモーネはきょとり、と目を瞬かせた。当のエルフィリア自身もまだ少しぴんときていない。
「そだねえ……エルフィリアちゃんは思ったより世間知らずだもんねえ……」
「半年前までは四六時中使用人が側に付いてたようなお嬢様だぞ? ここ半年でも俺が付いてたし」
 厳密にはまだ半年経っていないが、それぐらいではある。季節は夏に差し掛かるところだが、国を発ったときはまだ春にもなっていなかったのだ。
「……つまり?」
「こんな世間知らずが一人でふらふら出歩いて、無事でいられると思ってんのか?」
 ――世間知らず世間知らずと失礼な。庶民の常識に詳しくないのは事実だが、飴を貰って付いて行ってしまう幼子のように思われているのも面白くない。ということで、エルフィリアも反論を試みる。
――わたくし、魔法も嗜んでおりますし、自衛ぐらい心得ておりますが」
「それは、衛兵や従者が機能してる前提なんだよ。あんたは確かに実力はあるし、真正面からの悪意や暴力には対処できるだろうが、それ以外の保証はねえからな」
「けれども――
「そーいや、誘拐されてたよね」
 イズの指摘に、ひたとエルフィリアは動きを止めた。そういえばそうだった。油断した隙に眠らされてしまったことがあった。心身共に傷もなかったので、出立の際のアクシデントぐらいにしか思っていなかったのだ。
「ゆっ、誘拐……?」
 しかしリモーネの方は途端に色を失った。
 さっとエルフィリアに視線を向けたが、落ち着いている彼女を見てますます焦ったような顔をする。
「ほーら、危機感足りてねえだろ? 側で見張ってねえといけねえなあ?」
――わ、私も一緒に住まわせてください!」
 リモーネの完敗が決定した瞬間であった。


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2023 11 20