――そして約束の週末、陽の日であった。
「うわあー、ここが新居ですか。部屋はいくつあるんです?」
「個室は四つですね」
 入口で既にほうけているリモーネに、エルフィリアは答える。
 吹き抜けのエントランスの正面が階段で、個室は二階となる。一階は他に調理場や食堂、使用人部屋、リネン室などがあり、二階には書斎、トイレは各階に設置されていた。部屋数はそこそこだがほとんどは小部屋である。通常のパーティハウスには使用人部屋はないので、さすが富裕層向けといったところだろうか。
 共同用の物件では個室が偶数になっており、少人数のパーティでは人員通りの物件を借りるのが一般的だ。個室が増えると当然家賃が増えるので無駄の回避のためと、大所帯のパーティと比べてメンバーに変更がないことが多いからだ。
「この部屋は空いていますから、リモーネが入ってくださっても構いませんよ」
 リモーネを二階に上げ、エルフィリアはまだ住人のいない部屋を見せた。家具付きなので、最低限の体裁は整っているはずだ。部屋の奥に仕切りがあり、その向こうにベッド、クローゼット、バスルームがある。
「ひ、広いですね……」
 手前のソファとテーブルを見て、リモーネは恐る恐るといったように声を上げた。
「そうですか? わりと機能性重視というか、コンパクトに収まっていると思うのですが」
 富裕層向けにしては狭いが、仕事用だとか出張用だとか、セカンドハウス的な需要なのだろう。
「えっ」
「あー……お嬢の基準は実家か宿だからな……」
 アルカレドの言葉は、暗に世間知らずだと告げていた。
「節約になったのは事実ですよ」
「せっ、節約……?」
 言い返したエルフィリアに、理解ができていないという顔をリモーネは見せた。
「部屋はあまり広くないので」その感覚は間違っていないとつい主張したくなる。「二週間単位だと金貨十八枚で済みます」
――き、金っ……!?」
 三人で割れば一人頭金貨六枚、ひと月でも十二枚だ。たいした額ではない。
 庶民からすればたいした額であっても、そもそも一般的に高いものはより高くなりがちなのだ。貴族は見栄から高い金を払いたがるし、稼いでいる冒険者は地域に金を落とさせるためにより搾り取る対象にされる傾向にある。
「宿は一泊金貨一枚だったから、まあ嘘じゃねえんだよなあ……」
 しかも高級宿の中では安い方だ。これに関してはアルカレドもエルフィリアの感覚に沿っていた。
「ひえ……えっと、家賃は、あの、コンシェルジュを含んだ額ですか……?」
「いいえ、コンシェルジュを付けるなら金貨六枚増えますね」
「う……っ!」
 なるほど、こういう方向で詰めればいいのかとエルフィリアは学習した。リモーネが話を断ったことによって、金貨六枚の出費が発生しようとしているのだ。料理人なども必要ならさらに掛かる。ちなみに、週二度のハウスキーパーなら金貨一枚で済む。
 部屋から出ると、アルカレドが呼び止めたのでエルフィリアは足を止めた。
――あ、お嬢、ちょっと言っとくことがあるんだが」
「はい」
 一言で済むならこの場で言えばよい。手短でない、もしくは人に聞かせられない話かと思い、エルフィリアは少し考えてから、軽い調子で提案した。
「そうですね、よろしければ私の部屋でお聞きします」
「えっ」
 声を上げたのはリモーネだ。
「イズさん、階下の談話室にリモーネを案内して差し上げていただけますか。先にお茶の準備でもお願いできると有難いのですけれど」
「はいはい、イズさんりょーかい」
「えっ」
 再度リモーネが戸惑いの声を上げたが、イズとは二人きりになったこともあるはずなので大丈夫だろう。
 ――すぐ参りますので、と声を掛けて、エルフィリアは自室にアルカレドを招き入れた。
――それで、お話とは」
「とりあえず座んな」
 言われた通りエルフィリアがソファに腰を下ろすと、アルカレドは傍に立って見下ろす形になる。
「俺は用事ってより、餌だな」
「……餌?」
「今ごろイズがリモーネを勧誘してんだろうから、そっちが本命といえば本命」
「……はあ」
 よくわからないが、一対一で話す方が勝率が上がるということだろうか。
「問題は、あんただな」
――はい?」
「不用意に他人を部屋に招き入れるものじゃない。世間知らずってのは、そういうとこだってわかってるか?」
 ――エルフィリアに用事があると言ったのも単なる方便でもないらしい。これは、試されているということなのだろうか。
「……アルカレドは他人ですか?」
 家族とまで思っているわけではないが、それでも長く傍にいた相手だ。突然、用心しろと言われても、そこまで信用のない相手ではない。それをわかっているのかとエルフィリアは問うたつもりだったのだが――
「あんたは俺を信用してるってわけじゃない」
 そう告げて、すとん、とアルカレドが隣に座った。
 ――え、と一瞬動揺して、エルフィリアは言い返そうとした。
 それなのに、ざらりとした不安が肌を撫でる。その理由を考えて、アルカレドの距離が妙に近いことに気付く。今まではいつも、一歩後ろに控えていて自分から距離を詰めてきたことはなかったはずだ。
「ちかく、ありませんか」
「近くねえよ? っつうか、あんたの距離が近いんだ」
「……え?」
 真逆のことを言われ、エルフィリアは混乱した。彼女の戸惑いを理解しているはずなのに、なぜそんな意地悪を言うのだろう。
「あんたの距離感がな、いつもこんなものだった。俺はそれに無理やり慣らされたんだが」
「そう――でしたか?」
 そうだと言うのなら、どうしていま、こんなにも落ち着かないのだろうか。その疑問には、アルカレドがあっさりと回答を寄越した。
「あんたが俺を信用したつもりでいるのは錯覚だ。――あんたが心を許してたのは“奴隷のアルカレド”であって、“冒険者のアルカレド”じゃねえんだよ」
「そ……っ」
 ――そう、なのだろうか。
 ふいに手を掴まれて、エルフィリアはぎょっとした。硬い指先が、すり、と手首を撫でる感触がする。
「あんたにとって、使用人は“男”じゃなかったもんな?」
「あ、あの……っ」
 近い。吐息も触れそうな距離に、思考が乱される。アルカレドの手を握ったことは、何度かあったはずだ。平気だったはずのその感覚を思い出そうとしても、思考が滑ったように定まらないのだった。
「ほーら、警戒心を思い出したか? ……にしてもあんた、あまりにも男慣れしてねえな」
「している、はずは、ありませんが……」
「え、でもあんた、婚約者がいただろ?」
 アルカレドはきょとんとした。途端に、張り詰めていた雰囲気が和らいで、エルフィリアはほっとする。
「そうおっしゃられましても……ほんの四年ほどでしたし、触れたのもエスコートかダンスぐらいのものでしたよ。二人きりになるようなこともございませんでしたので」
「……ああ? 政略とはいえ、婚約者じゃなかったのか?」
「使用人か護衛が側についているのが常でしたから」
 貴族的観点ではカウントしない者なので二人きりだったと言えなくもないが、二人で会うときは部屋のドアを開け放しておくものであったし、そういう意識はなかったのだ。
 本当の意味で二人きりになれたのは学院の談話室ぐらいだったが、皮肉にもそれが適ったのは婚約解消の話をするようになってからだ。
 ――それなのに、今の状況は。
 エルフィリアは初めて、「男と二人きり」だということを意識することになった。
 どくっと心臓が跳ねる。
「……本当に? こういうのも?」
 ぎゅっと手を握られて、エルフィリアは思わず顔をそむけた。ひぅ、と声にならない息が漏れる。
 どうだったかと訊かれてもわからない。意識していたわけではないので記憶に残っていないのだ。あったとしても、婚約者ならこういうものだと思って流していたのだと思う。
「わ、わかりません」
 やっと、か細い声でエルフィリアが答えると、アルカレドはふいに攻勢をやめて彼女を立ち上がらせた。
――ま、こんぐらいにして下に行くか。そろそろ焦らしすぎただろ」
 そうしてやっと、エルフィリアは解放されたのだ。高い授業料だった。


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2023 11 15