――それは、どういう……?」
 エルフィリアは疑問を口にしたが、もはや何から訊いていいかわからず、曖昧な物言いにとどまった。
「どうやら、アルカレドからエルフィリアちゃんを引きはがすのは難しい。となれば、その逆を狙えばいいと思ったみたいだね」
「逆、ですか」
「そう――アルカレドの方を、エルフィリアちゃんの傍にいられなくすればいいってわけ」
「それで、通報、ですか……?」
 まだ本調子ではないからか、エルフィリアの頭は明瞭には働かない。イズの言葉を一つずつ咀嚼しようとするが、理屈がよく飲み込めないのだ。
 ――いったい、何の罪でアルカレドが捕まったというのか。
「それが、状況だけで判断すれば、通報に足る内容だったんだよね」
 その理由は、エルフィリアが倒れてしまったからだ。主人やそれに準ずる者を連れずに奴隷が単独で行動することは認められていないが、それは、主人が意思決定できる状態ではない場合も該当する。
 つまり、意識のない主人を連れている状態を、害意ありと見なされてしまったのだ。奴隷は主人に危害を加えることはできないが、それは直接に限った話だ。間接的になら危害を加えることができるのである。例えば、わざと屋外に放置して衰弱させたり、悪意のある第三者に引き渡したりすることだって可能だ。
 エルフィリアの意識が戻るまではどうにもできず、アルカレドを捕まえておくしかない――となったところで、イズが戻ってきたのである。エルフィリア自体は、治安維持に呼ばれた騎士が宿まで送り届けたので大事には至らなかった。
 事態の収拾が早かったのは、庇護者として名乗りを上げたイズが信頼に足る人物だと証明できた点が大きい。階一位の冒険者であることに加え、半分ギルドの職員のようなものなので、実績が物を言ったのである。
「ダジルさんは、そのような手を使う方には見えなかったのですが」
 ダジルのやり方については、疑問が浮かんだ。
 エルフィリアの見込み違いであろうか。いろいろと思い込みやこだわりが強そうな分、卑怯な手を使うと負けだという自覚はある男だと思ったのだが。
「それはまあ、前提を捻じ曲げてたな」
「と、申しますと」
 やはり今日はまだ思考が鈍い。エルフィリアが首を傾げると、アルカレドが返答した。
 ダジルは、エルフィリアが先に卑怯な手を使っているのだから対抗手段をとっていい、と正当化して自分を納得させたようである。何が卑怯なのかといえば、アルカレドを不当に拘束している点で既に卑怯だという解釈なのだそうである。
 エルフィリアから引き離せばとりあえず時間が稼げるし、その間に国から手を回そうとでも思ったのかもしれない。
「……まあ、思った以上に似た者同士だったのですね」
「あの聖女か?」
 ――勘弁してくれ、とげんなりしたようにアルカレドは吐き捨てた。エルフィリアの方は、碌な反応が思いつかなかったので、単に感想を述べてみただけである。
 エルフィリアはゆっくりと息を吸った。
 なんとなく、落ち着かない気分になっている。ダジルの件が片付いたからなのか、なんだか――アルカレドの気配が違うのだ。
「通報だけならともかく、エルフィリアちゃんを嵌めた状況は悪質だしねえ。そっちは証明が難しかったんだけど、ギルドの記録を調べれば、トリルの町でエルフィリアちゃんに斬りかかって騒ぎになったことも情報を得ようと照会を掛けてたこともわかるからねえ。変な付きまとい行為は事実だし、問題のある人物だと判断されて、登録抹消になったってわけ」
 犯罪者ではないので永久追放とまではいかないが、ペナルティとして半年は再登録が適わない。無論、階位も最低位からやり直しだ。
「……では、問題が半年間先送りになったということなのでしょうか」
 アルカレドの居場所は割れているわけだから、冒険者の身分にこだわらなければもっと早い可能性もある。
「いーや? もう来ねえだろう」
「来る理由がなくなっちゃったからねえ」
「それは、どういう――
 尋ねようとして、エルフィリアはふと気が付いた。見慣れた物がない。
 エルフィリアは手を伸ばして、アルカレドの首元に触れようとした。
「言ったでしょ? “全部”済んだってね」
 イズが笑う。
 ――黒い首輪は、アルカレドの首から姿を消していた。


「あー……お嬢が寝ている間に、だな。奴隷解放の手続きは終わってんだ」
「道理で、気配が違うと……」
 違和感はそれだったのだと、ようやくエルフィリアは腑に落ちた。
 アルカレドがまったく敬語を使わないのも妙な感じがしていたが、首輪が無くなったために、魔力が倍近くに増えていたのだった。
「そう……ですね、それが一番いい……」
 ぼんやりと、エルフィリアは呟いた。
 ダジルに付きまとわれないためには、その理由がなくなってしまえばいい。アルカレドの自由意志でとどまっていることが証明できれば、ダジルには連れ戻す権利はないのだ。ましてや冒険者は、正当な理由なく拘束すると大きな問題に発展しかねない。
 なんともあっさりとしたものだった。
 奴隷解放申立は、条件さえ整えば、主人がいなくとも手続きができる。主人が不当に奴隷の権利を取り上げるのを防ぐためである。犯罪奴隷といえども、アルカレドの場合は解放条件を記した保証人付きの宣誓書をエルフィリアから貰っている。冒険者登録をしているために身分証もあり、問題のない人物――イズだ――が保証人として名を連ねたので、スムーズに手続きが進んだらしい。ちなみに、本来はアウリセスの管轄なのだが、奴隷解放が他国で行われることも珍しくはないため、裁判所内には各国の出張所が存在するのである。
「……アルカレド。これまで、ご苦労様でした」
 エルフィリアは、アルカレドに労いの言葉を掛けた。もうこれで、彼は自由だ。どこへとなりと行く権利がある。
「あー……お嬢? なんつうか、だな。やっぱりこうなったか……」
「え、どういう――
 歯切れの悪いアルカレドに、エルフィリアは首を傾げた。アルカレドのことだから、あっさりと出立してもおかしくはないとまで思っていたのだが。
「なあ、どうして俺が、さっさと手続きをしなかったと思う」
 そう問うのは、やろうと思えばもっと早く手続きが適ったからだろう。本来は、ダジルが来るまで待って絡まれる必要はどこにもなかったのである。
「貯金が必要だった、からでは……」
「あーそうだな、そう言っとけば納得されると思ったのは確かだが」
 はい? とエルフィリアはますます首をひねった。本日は頭の働きが鈍いせいか、相手の言わんとしていることが掴めていない。
「あんた、一人で放っとくと危なっかしいくせに、さっさと俺を放り出そうとすると思ったからだよ」
「そうおっしゃられても、いまのアルカレドを雇うにはいくらかかるのか――
「ち、が、う、だ、ろ」
「ええ……?」
 アルカレドの怒気が荒い。エルフィリアは、考えようとするほど思考が空回りしていた。
――くそっ、やっぱり根本の考え方が抜けてねえ。なんでそう、上下関係で捉えようとしてんだ」
「あー……イズさん、なんか読めてきちゃったかな……?」
 困惑したような、笑いを含んだような声が、イズから上がる。
 どうやら、分かっていないのはエルフィリアだけらしい。
――俺と、パーティを組めばいいだろう」
「えっ、あの、アルカレドにメリットがありませんよね……?」
 エルフィリアは思わず、反射的に言い返してしまう。一緒にいられる、などの考えが追いつくにはまだ時間があった。
「……手ごわい」
 アルカレドは額に手を当てて、これ見よがしに大きく息を吐いた。なぜそんなに、食い下がろうとしているのかとエルフィリアは不思議に思う。
「あんたの世間知らずっぷりと自覚のなさは、本当に、一人にさせておけねえんだよ。それに、冒険者としても、ソロだと危ねえだろ。あんた、魔法は使えるけど体力はねえし、今回みたいに、罠に掛かったら一人ではどうしようもない」
「それは反論できませんけれど……」
――それに、調査の件とか、あんたに借りもあるしな。……イズ」
「あー、はいはい、イズさんも参加すればいいのね。……頼みたいことってこれか」
 話の行く末が分からなくて、エルフィリアは首を傾げた。今日は本当に、疑問が次から次へと隊列を組んでやって来る。
「えっと、イズさんも入れて、三人でパーティ組みましょうって話だね」
「イズさんもですか……?」
――ほんと頼む、イズ。こいつ、いまのところ全然わかってねえが、俺と二人だとそのうち逃げ出しかねない」
「はい……?」
――いいから、お嬢は頷いてろ。な?」
 無理やり押し切られて、なにやら分からぬうちに、エルフィリアはこっくり頷いた。
 頷くまで終わりそうになかったからだ。
 そのあとで、じわじわと実感が湧いてきた。今後も、アルカレドやイズと一緒に探索に行くことができるのだ。アルカレドが従者ではないということにはまだ実感がないが、元々、言葉遣いも含めそれらしくなかった彼である。そう違和感はないだろうとエルフィリアは納得した。
――あ、パーティなら、パーティハウスが借りられますよね? 私、前々から興味があって」
 ぱっと思い至って、エルフィリアの声が弾む。
 パーティハウスとは、冒険者パーティ向けの物件のことだ。冒険者ギルドで斡旋を請け負っていて、トイレが複数あったり風呂が男女分かれていたり広い調理場があったりと、他人が共同して暮らす用に配慮されているのである。
――だから、あんたの世間知らずっぷりはどうなってんだ!?」
「あー……“いまのところ全然わかってない”ってこれかあ」
 突然激昂したアルカレドをイズがさらりといなす。奴隷から解放されたばかりで情緒が安定していないのかとエルフィリアは首を傾げたが、気にしないことにした。
「パーティ登録が済んだら、物件を見に行きましょうね」
 それにはとりあえず、身体を治すことが先決である。怒涛の情報に溺れて現状把握に難儀したが、現状、エルフィリアは病み上がりなのだ。
 ちなみに、彼女が眠っている間にアルカレドは別の部屋を借りることにしていたらしい。宿泊代も二人分掛かっては勿体ないので、早く解消するのがいいだろう。
――あんた、本当に借りる気なのか? あとからやめたは利かねえからな!?」
 アルカレドは焦ったように念を押してくるが、
「はい」
 浮かれているエルフィリアは、再度こっくりと頷いたのだった。

<第二章:了>


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2023 10 09