本日訪れたるは炎の迷宮である。
 エルフィリアはそろそろ、夏用に炎属性の素材が欲しいと思っていたのだ。糸の材料が獲れるならそれで良いし、そうでなければ防具に使える素材があれば良い。
 属性の素材というのは、性質が双方向にある。
 例えば、武器になるものは属性を帯びており、防具になるものは耐性を持っている。炎属性なら、熱を発するものと熱を防ぐものになる、といえようか。調合となるとまた性質が変わり、加工によって方向性が変質することがある。魔術具になるとまた別で、例えば炎の術式を刻印しても、炎を防ぐものにはならない。その場合は、対極にある氷の術式を使う必要がある。
 エルフィリアは炎の迷宮に対して、以前の雷の迷宮と同様の対策を施していた。
 つまりは店売りで買った素材から耐性付きのマントを作り、ついでに肺が焼けないように市販の不味い耐性薬を飲んでいる。
「今日は少々試してみたいことがあるのです」
「……そうですか」
 何を考えているんだか、とでも言いたげな目つきでアルカレドがこちらを向いた。思い付きを試すのは珍しいことではないが、わざわざ宣言することに不審を感じたらしい。
 ちなみに本日の一応のお目当てはアリエス種となる。一応、と付くのは素材として一番分かりやすいからだ。最低限、この素材が手に入れば目的を果たせるという意味である。
 実際は、密かにアリエス種の肉もお目当てに入っていた。
 エルフィリアは先日ピスキス種のフライを作った際に、アルカレドが一瞬物足りなさそうな顔をしたことに気付いていただ。あれは絶対、この調理法ならカツレツが食べたい、と思っていたに違いない。
 無論、本人が直接そう訴えたわけではない。しかしエルフィリアはそれぐらい用意する甲斐性はあるのである。この考え方は、ある意味で貴族らしいともいえる。
 種類としてはオクス種でもよいのだが、アリエス種ならば羊毛も刈れるのでちょうど良いという判断なのだ。
 下調べをしてきているのでアリエス種がいることはわかっているのだが、まだ出会えてはいない。潜っている階層で多く出現しているのは、火を纏いながら飛ぶ火焔蝙蝠や毛皮が発火する炎狼などである。ちなみに、炎狼は毛皮が売れるので解体している。
 さてボスは――と思えば、これがまた火を吐くアウェス種だった。例に洩れず数メートルのサイズはある。
 迷宮によって、階層のボスは入る度に同じものが出るところもあれば、複数のボスからランダムで引き当てるところもある。この迷宮は後者だった。
「揚げ物なら鳥肉でもいいかもしれませんね……」
――何言ってんです?」
 あっさり方針を変えようとしているエルフィリアの目がきらりと光る。風属性のアウェス種には一度お目にかかっているのだが、炎氷雷の三属性の魔物は魔力が強くなる傾向にあるので、恐らく肉はより美味い。
「どうします?」
 上空にいるアウェス種を見ながらアルカレドが問う。対応に困っている様子はない。つまりは、エルフィリアの意見を促しているだけなのだろう。彼女が、試したいことがあるなどと言ったからだ。
 アウェス種が羽ばたいて、熱風が吹き付ける。耐性薬を飲んでいるので肺が焼けることはないが呼吸は辛い。エルフィリアの楯となるかの様に、アルカレドが一歩前に出た。
 その隙にエルフィリアは魔石を取り出して、術式を口にする。
――アルカレド、これを魔物の口に放り込めますか?」
「やってみます……?」
 何のまじないかと言うようにアルカレドの口調が訝しげになる。それでもとりあえず、文句も言わず受け取った。
 その間にエルフィリアは後ろに下がる。上空から素早く攻撃してくる魔物にエルフィリアが対処する術はない。丸ごと引き裂いていいなら話は別だが、細かい対応には身体能力が足りていないのだ。
 アルカレドが魔物の前を挑発するように動く。魔物は一度ひらりと上方に向かってから、角度を変えて地上へと突っ込んできた。アルカレドはそれを飛び込むような前転で避けて、その隙に魔物の口に魔石を放り込む。
 魔物はそれを飲み込むように首をもたげてまた上空へ飛び上がり、
――投擲しました!」
 アルカレドはエルフィリアに合図を出した。
――《氷雪をここに》!」
 エルフィリアが術式を唱えた途端、魔物はびしっと動きを止め、そのまま垂直に落下した。どおん、という衝撃と共に砂埃が舞う。
「……どうなってんです?」
――魔法のストックですよ」
 魔物の絶命を確認したアルカレドに、エルフィリアは微笑んだ。
 楯の魔法に使っているものと原理は同じである。魔石に魔法を充填していたのだ。
「だがあれは、魔石に触れてねえと発動できないんじゃなかったんです?」
「声に出して詠唱した場合は状態が変わるというお話はしましたよね?」
 通常は無詠唱で魔法を充填するが、詠唱しても同様の効果は得られる。ただしその場合、声に魔力が乗るので、発動するまでずっと魔力が流れている状態になってしまうのだ。ストックして使うという観点からは効率が悪い。
 しかし今回はそれを逆手に取ったというわけである。すぐに発動させるならデメリットは大きくはない。それどころか声によって魔力の筋道ができている状態なので、手を触れずとも発動させることができたのだ。
「熱気によって肺が焼けるなら、逆に氷結によって腑が灼けてもおかしくはないかと思案しました。けれども体内に魔法を打ち込むのは難しいので、ストックした魔法を使ってみたという次第です」
「……つまりこれは、内部からの凍死なんですね?」
 口元をひきつらせたアルカレドは、ひとつ首を振って解体に取り掛かったのである。内部を攻撃したため、外傷もなく綺麗な素材が取れたのだった。
 その日の探索はそれで終わったが、日をまたいで何度か迷宮には潜った。深層に行くほど、魔物の等級が上がる迷宮であった。
 エルフィリアは、結局は素材に妥協できなかったのだ。
 初日はともかく、アリエス種もキャプラ種もそのうちお目に掛かったが、魔物素材の服や装備を作るのも回を重ねているので、せっかくならばとことんこだわりたくなったのである。
 そうなるとアリエス種など平凡すぎるし糸にすると魔力も弱くなる。炎狼の毛皮は耐性が高いが夏用の服にしたくはない。アウェス種の羽根は装飾品ならともかくも、服に仕立てるのには向かない。
 ――と、そんなこんなであれも嫌これも嫌、と言っている間にずいぶんと深層にたどり着いたのだった。
 そうしてその決着は、魔物を倒すこと以外でつくことになったのだ。
「これは……錦糸蜘蛛の糸ですね」
 なんと、宝箱の中に入っていた。錦糸蜘蛛は糸を吐くタイプのインセクト種だ。光沢のある、細く繊細な糸だが、柔らかいのに鋼のように剣をも通さぬ性質を持つ。
――意外な解決でしたね」
 アルカレドはこれで一段落ついたかというように息を吐いた。
 等級の高い迷宮は、探索者の願望を読んで財宝を与えることがあるという。
 都合よく炎属性の糸がぽんと手に入るのは偶然にしては出来すぎなので、恐らくはそういうことなのだろう。エルフィリアの執念の勝利である。ちなみに糸は、素材としてきちんと取り分けられた上で紡錘に巻かれているという処理が済んでいる。
 最上級の財宝がめったに市場に出回らないのには理由があった。
 つまりは手に入れた冒険者が手放したがらないのである。とはいえ、こういった事情でもなければ白金貨何枚もの品が乱れ飛ぶことになり、国内の金が冒険者にごっそり持っていかれただろうから、迷宮に意思があるとすればなかなかに計算された結果なのかもしれない。


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2023 09 11