――で、魚ですか」
 迷宮の入口で、確認するようにアルカレドはこぼした。
 エルフィリアは、先日イズと契約を交わした。ギルドを通した正式なものではないが、報酬付きの依頼という形にしたのだ。イズが要求した報酬は、「今まで食べたことのない魔物料理」だった。これは、メニュー自体が珍しいなどという意味ではなく、文字通り魔物肉と料理の組み合わせのことである。
 基本的には、過去にエルフィリアが食べさせたもの以外はほとんど当てはまると思われる。市販にも魔物料理はあるが、庶民向けのものはあまり質の良い肉を使っていない。イズは塩漬けや串焼きなど、味の濃い定番のものは食べていたようだが、魔物肉はどれも似たような味だと思っていたぐらいだ。他に食べていたとも思えない。
 この国ではアウリセスよりも質の良い肉を入手しやすいとはいえ、高品質の肉を食べようと思うと貴族向けか高級店でとなる。そこまでして魔物肉を食べたいか、といえばイズはそういう手合いではない。
 では個人で、かといえばイズはそもそも料理をしない。解体もしないので、自発的に肉を手に入れるということもない。エルフィリアが自分で獲って調理したものなら、大抵は初めて食べる料理だといえるだろう。
 リモーネの相伴に与ることも考えられるが、彼女が狩りやすい、または買いやすい肉といえば種類が決まってくる。
 定番ではないものを――という点を見れば、魚は意外と盲点ではないかと思ったのだ。
 そんなわけで、冒頭のアルカレドの確認に戻る。
 今日は水の迷宮に来ているので、ピスキス種が獲れることはあらかじめわかっていた。それはイズの依頼のせいだったかとアルカレドは気付いたということだ。
「そうですね。まあ私も、味は気になりますし」
 イズのためだろうとなかろうと、未知の食は気になるに決まっているのだった。


 ――水の迷宮、というのは一種の総称だ。水で満たされている迷宮をそう呼ぶのだった。
 本日の迷宮は、厳密に言えば海の迷宮と呼ぶべきだろうか。ピスキス種の中でも、海魚に似た種が獲れるということだった。
 水の迷宮はまた変わった構造になっており、文字通り水の中を進むのだが呼吸はできる。水底を蹴るとふわふわと浮かぶし泳ぐように進めるのだが、不思議と濡れないのである。迷宮内では濡れているような感覚ではあるのだが、外に出ると乾いている、というわけだ。
 見た目は水だが、構造上は迷宮が生成した特殊な液体ということなのだろう。
 呼吸による弊害はないが、少々攻略にコツが要る迷宮ではあるのだった。
 例えば、水中戦になるのでまるで空中のように敵の行動範囲が広がる。足の踏ん張りが利かないので武器に力を込めづらい。炎の魔法は利かず、雷の魔法は感電が危なくて使えない。
 ――つまり、制約がやや多いのである。
 その上、魚肉というのはあまり金にならない。単に人気がないからだ。獣肉の方が食べ応えがあるという理由もあるが、地域によっては馴染みのない食材であり、傷みやすいのでそもそも広くは出回らない。保存食になっているものは、干すか発酵させるかなど、癖があるので好む者が限られている。
 というわけで、魔物肉でもピスキス種は求められていない。
 他の肉と比べて、魔力抜きが甘いととても食べられたものではない。これは、ピスキス種の質が悪いという話ではなく、元々魚を食べ慣れない者が多いため、少しでも違和感があると不味いと判定されやすいのだ。徹底して魔力を抜けば美味しいはずだが、ずいぶんと高価な物になってしまう。そうまでして食べたい者は少ないため、需要がないということだ。逆に言えば高品質のものなら供給が少ないので貴族用に高く売れるかもしれないが、気軽に手を出すのは荷が重いだろう。
 その上、水の迷宮というのは攻略が面倒なため、迷宮自体に人気がないというわけであった。エルフィリアは依頼書やギルドの薦めで迷宮を選んでいたので、今まで縁がなかったのである。
「アルカレドは、お魚を食べたことがありますか?」
 ――水の迷宮に行きましょう、わかりました、という程度の会話でここに来たので、そういえば魚についての話はしていないな、と思い付いてエルフィリアは尋ねた。
「アンチョビぐらいならありますが……それも、パンや芋につけて食った程度ですかね。お嬢様は?」
「私はありますけれど……鱒や鮭ぐらいですね。海の魚は食べたことがないので楽しみです」
 魚を食べ慣れているような地域ではなかったが、そこは貴族なので、氷魔法と早馬によるお取り寄せであった。
 水中でも会話に支障はない。低層では、噛みついてくる小魚型の魔物――食用にはなりそうにない――や、巻き付いてくる海藻のようなプラント種が多く、いまだ大物とは遭遇していない。
 虫でも払うようにアルカレドが剣で斬り捨てていたが、エルフィリアにはひとつ試してみたいことがあった。
「火魔法を使うとどうなるのかが気になります」
「消えるんじゃねえんですか?」
「原理を考えると、そうとも言い切れない気がしますね」
 魔法の属性というのは術式によって与えられたものである。魔物の場合は素材に属性が残留しているところからして仕組みが違うようだが、人の場合は魔力自体に属性はない。つまり、魔力を火に変換したものが火魔法であり、燃料と酸素で燃えている火とはそもそも原理が違うのだ。酸素がないから消えるものとも思えないし、だいたい呼吸ができている時点で、酸素がないとも決まっていない。
「発動しない、ということはないだろうと思いますけれど」
「周囲の延焼もねえだろうし、やってみりゃあどうです?」
 ――では、とエルフィリアは杖を構えた。アルカレドに許可を取る必要は全くないため勝手にやってもいいのだが、声を掛けたのは単に獲物を残しておいてほしかったからである。
「《火をここに》!」
 術式を唱えると、火球が出現した。消えるから使えないというわけではないということだ。
 火球はそのまま水中を走り、狙いを付けた二十センチ程度のピスキス種にどんっとぶつかった。その結果、魔物がよろよろと底の方に落ちてくる。
「……燃えませんね」
「……燃えないですね」
 火は出せても水分があって燃え移らないために意味がないとされているようである。
 つまり、この迷宮では火魔法はただの鈍器なのであった。


 何層か下りると、ようやく大きなピスキス種が泳いでいるのに行き会った。
 これまで一メートル程度のものならいたのだが、アルカレドが斬って捨ててしまったので素材は拾っていない。需要の低い素材でもあり、半端なところで断ち切れたものは要らないだろうという判断だ。どうせなら、大物をきちんと倒した方が良い。
 ちなみに大抵の魔物は斬ると血が出るが、迷宮では流れたものは魔素へと変換されていく。通常は少し時間が掛かるものだが、水中では還元が早いらしく血煙で視界が遮られるということがなくて助かった。
――あ、そうですアルカレド、魚にも血抜きが必要なようですので、斬るならエラにしてください」
「そういうことは先に言ってくれませんかねえ!?」
「いま言いましたよ」
 言うなら早く言えということだろうが、エルフィリアは気付かなかったことにした。どうせ小さな個体では碌な素材も取れないし、下手に意識しても倒すのに手間取るだけである。必要なときに言えばそれでいいと思ったのだ。
 水の迷宮では、初めからこちらを狙ってくる個体は少ない。さすがに四方から囲まれれば身動きが取れなくなってしまうので、その辺りの調整が為されているのかもしれなかった。
 アルカレドは地面を蹴ると、そこの四メートルはありそうなピスキス種に向かって泳いでいった。この大きさなら、一太刀でいけると判断したらしい。腕を振る力を足すために、ぐるっと宙返りして魔物のエラを――というより頭を断ち切ったのである。
 魔素になっていく血を流しながら、魔物はあっけなく水底へと沈んだ。尾も切らせ、とりあえずエルフィリアは魔物の血を抜く。どのみち魔石で操作できるので、血抜きは簡単にできるのだ。
「ではまず、鱗取りですね」
――このサイズを?」
 エルフィリアは、はいどうぞ、と鱗取りを握らせた。手が滑らないよう木製の柄の先に、円形の蓋を伏せたような形の金属が付いているものだ。なるほど、まずこの手間があるから魚肉を狙う冒険者は少ないのかもしれない。
「それが終わったら、三枚に下ろしてくださいね」
「……へいへい」
 面倒くさそうな返事を寄越して、アルカレドは作業を開始したのだった。


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2023 08 19