――春である。
 気付けば、エルフィリアが家を出ようと決めてから一年近くが経っていた。
 それは取りも直さず、アルカレドと出会ってから一年ともいえる。
――アルカレド、あなた、年齢はいくつになったのかしら」
「俺ですか? 春年齢で二十五ですね」
 返答を聞いて、エルフィリアは鷹揚に頷いた。予想していた年齢からあまり外してはいないようだ。これまでの受け答えを見ても、彼女にとってはそれなりに年長者であるという理解が深まった。
 しかし、エルフィリアが同じ水準まで歳を重ねたところで、アルカレドのような考え方になるとは思えない。一体どういう経歴をたどってきたのかと、興味を持つことになった。
 ――その答えを得る機会は、遠からず訪れることとなる。
 その日向かったのは、トリルという町だ。迷宮を中心に発展した町で、ギルドもあり宿なども充実しているので、二週間ほど滞在しようかという予定で訪れたのだった。
 通常、宿場町は人気のある迷宮によって造られるものだが、この町ではその逆だ。迷宮に合わせて町を造り、その結果、利便性により人気になったというわけだ。この領地で最初に発見された迷宮だったため、利益や発展を見越してそういう形になったと聞いている。
 実際、ここの迷宮は深度によって等級が上がるので、幅広い需要がある。『英姿の迷宮』という名が付いているが、分類上の等級は三だ。新人には厳しいが、中位、またはその手前ぐらいからの冒険者なら潜るのにも支障はない。
 等級が上がれば、財宝も期待できるというものである。
 下級の迷宮では財宝といっても、回復薬や薬草程度だ。中級辺りで上級回復薬、鉱石などの素材、宝飾品などが出る。上級になると一品物が出るようになる。また上級では非常に確率は低いものの、当人の求めている財宝が出ると言われている。イズの武器もその類だろう。霊薬もまたしかりで、だからこそ上級の財宝はめったに市場に流れないという話だ。等級が上がるほど、財宝自体が出にくくなるのだ。
 先に宿を決め、昼からになったが、エルフィリアも『英姿の迷宮』に挑むことにした。
 人気なだけあって、入口まで行くと冒険者の数もそこそこ見受けられる。パーティ単位であろうし、それぞれ違う階層に潜るのだろうからそこまで一度にはかち合わないだろうが、低階層のボスは先に倒されている可能性が高い。
 なるほど、まずは深部を目指して帰還ポイントを開けていく方が良いだろうとエルフィリアは得心した。
 ――そのとき、間近に急激な魔力の高まりを感じ、エルフィリアは咄嗟に障壁を張る。
「《楯と成せ》!」
「《癒しよ》!」
 エルフィリアとアルカレドの前で、発動した魔力の光がきらきらと拡散した。
「……あら?」
「……なんだこれ」
 アルカレドも気の抜けた声を出す。突然ぶつけられたそれは、意外にも癒しの魔法だったらしい。
――ああっ! 何をするんですの!?」
 不躾な声にそちらを向けば、エルフィリアと同じような年のころの少女が立っている。
――人のものに手を出さないでいただける?」
 エルフィリアは硬い声で彼女をたしなめた。癒しだろうが何だろうが、相手の同意を得ずに勝手に魔法を掛ける行為は攻撃と同意だ。よほどの緊急事態でもあれば、また別だろうが。
 そんなわけで、エルフィリアはこの女に忖度の必要はないと判断した。
――まあっ、あなた、奴隷を物扱いですの? 奴隷だって人ですのよ、それなのに怪我をしたまま放っておくだなんて、非常識だとは思いませんの!?」
「お生憎ですこと、わたくしのものに何をしようと、わたくしの勝手でしてよ」
 つい反発して、エルフィリアはわざと傲慢に返した。こういう輩の言う、「可哀相」がエルフィリアは大嫌いだったのだ。
「お嬢様、なんでまた火に油を注ぐようなことを……ところで、これが聖女ってやつですかね?」
「そうなのでしょうね」
 回復魔法が使えるということは、認定されているかはともかく、聖女と呼んでいいのだろう。
 この場にいるということは冒険者だと思われるが、エルフィリアと同様に、とても冒険者には見えないお嬢さんだった。裕福な家の子のようだが、振る舞いに貴族らしさがないので、恐らくは商家のお嬢様といったところだろう。
――そのようなものを着けさせているなんて、あなたに慈悲の心というものはありませんの!?」
「それをあなたに申し上げる義理はございませんね」
 エルフィリアはつんと返した。
 聖女が指差したのはアルカレドの眼帯だ。これは、傷痍保護用として開発された布を使用している。戦場などで、傷をすぐに治せない際に使う物だ。傷口が腐り落ちないように保護するためのものであり、要するにこれを着けている限り傷が悪化しない代わりに治りもしない。長く着けていると魔力の薄い膜が出来るため、痛みに関しては遮断できるという点はある。治療費を稼ぐまで、わざと付けっ放しにするという使い方をする者までいるぐらいだ。
 傷口が塞がっていないと気付いたことが、彼女が聖女である証左だろう。傷を治すというのだから、魔力の流れが正常ではない患部を感知できてもおかしくはない。
「赤の他人にまで慈悲を振りまくなんて、職業病かしら。それとも、押し売りでいらっしゃる?」
――なんですって?」
 通常は、回復魔法でも対価を取るものだ。恐らくは裕福そうな見た目からして、それにこだわってはいなさそうであるが、それをわかった上でのエルフィリアの嫌味である。
「お嬢様、なんか楽しんでねえですか? ……変な方向に情緒が育ったな」
 アルカレドが小声で切り込むが、確かにエルフィリアは楽しんでいた。初めこそ見当違いの正義感にむっとしたものの、真正面から噛みついてくる相手というのは珍しく、この聖女の態度には新鮮味を感じていたのだ。
「わたくしの奴隷は、納得してこれを着けております。そちら方には口を出す権利はございませんの、ご理解は及びまして?」
 はっきり言うと、エルフィリアは興が乗っているのだった。
「納得? 納得ですって? 奴隷に抗う権利がないと知っての所業ですの? なんてお可哀相なの!」
「お可哀相ですって」
「可哀相な俺」
 アルカレドは涼しい顔で含みを持たせた返答をする。
 エルフィリアから詳細な説明は受けていないが、アルカレドとてこの布の機能は知っている。納得して着けているというのも嘘ではないのだ。
 ――というのも、傷口を塞いでしまえば今後再生させる見込みがなくなるからである。回復魔法では欠損を治せない以上、癒しを受けたところで事態が向上するわけではない。ということをこの聖女は理解していないが、エルフィリアもアルカレドも諭してやるつもりはないのだった。
 ところでこの押し問答は発展がないと気付いて、エルフィリアは少々飽きてきた。こういう輩は、相手が非を認めるまで何度でも同じことを繰り返せるのである。
――ベルナ様、このような輩に構う必要はございません」
 そうと気付いたのか、彼女の傍にいた従者が諫めるように声を掛けた。とはいえ、先ほどまで気づかぬほど影が薄い男だった。
 聖女の名は、ベルナというらしい。
――そうね、私もそこまで暇ではないわ……しかしこの、奴隷を虐げる女を見過ごすわけにはいきませんの」
「まあ、あなた、虐げられていましたの?」
「可哀相な俺」
 エルフィリアもアルカレドもまともな返答を寄越さないため、ベルナの顔に苛立ちの色が濃くなった。しかし自分から身を引くことはできないと見たので、エルフィリアの方で引いてやることにする。
――ほら奴隷さん、参りますわよ」わざと奴隷という言葉でアルカレドを促すと、
「あっ、待ちなさいよ!」
 制止の声は掛かったが、さすがに追っては来なかった。
 迷宮の中に退避してから、二人は話を再開する。
――あの従者、首輪してましたね」
「奴隷にしてはただの荷物持ちとも思えませんね……訓練でも受けさせたのでしょうか」
 冒険者が連れている奴隷は、基本的には荷運び用だ。それも、拡張式鞄を持つようになれば用済みになってしまう。迷宮の等級が中級から上がってくると、ただの奴隷では却って足手まといになるからだ。それに比例して、冒険者も素材の数で稼ぐことはなくなってくる。結果、別の者に下げ渡すか、事務や雑用係として居室に残すか、である。迷宮に連れてくることはそうそうない。
 それが、ベルナの場合は少なくとも戦える奴隷ではあるらしい。裕福そうなので、訓練に金を掛けたという線もあり得る。用済みにするのは、彼女の言う聖女の慈悲として認められないのかもしれなかった。
「恐らくは純粋な魔法士ってのも珍しかったですね」
 アルカレドが言うのは聖女のことだ。
 エルフィリアも以前はよく知らなかったのだが、どうやら冒険者には純粋な魔法士というのはあまり数がいないらしい。後方タイプの上、自力で身を護れなけばまず迷宮に入ることが適わないからだ。そうするとパーティを組む必要があるが、実力のわからない初心者のサポート要員として組んでくれる人はそういない。自然と、ある程度は自分で鍛えるか、初めからパーティを組めるほど仲の良い人がいるか、のどちらかになる。
 聖女はどう見ても鍛えているという風情ではなかった。奴隷に訓練を施しているか適当なパーティ要員がいるかはわからないが、金で解決する手段は持っているだろう。
 ――もしかするとそれで、エルフィリアに絡んできたのかもしれない。金を持っていそうなお嬢様、専門の魔法士、奴隷の従者。タイプが被っている。自己顕示欲の強いタイプなら、エルフィリアのことが妙に気になることだろう。
 なるほど、と納得したエルフィリアは、この後起こり得る展開に気付くことはなかった。
 こうしてのんびり迷宮に潜っている間に、エルフィリアの悪評がばら撒かれていたのである。


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2023 07 30