「……そういえば、あんときは言わなかったけど、あんたイズが言うほど薄情でもないですよ」
「……えっ」
「どーせ、すんなり納得してたんだろうけど」
 アルカレドの言葉に、エルフィリアは驚いた反応を返す。
 確かに、エルフィリアはイズの言い分を素直に受け取っていた。イズの分析力は信用していたし、自分だって彼の言ったことは間違っていないと思ったからだ。どうやらエルフィリアは上下関係と損得で他人を見ている、という話である。
 アルカレドが話を蒸し返したこと自体も、少々意外だった。後からとはいえ、いくらかフォローもあったからだ。
 今日は迷宮に来ているので、この場に居るのはエルフィリアとアルカレドだけだ。
「前提が違ってんだよな。イズに人を見る目がないわけじゃねえが、あいつそもそも、そんなにあんたのこと知らんでしょう」
「……それを言えば、どれぐらいなら『知っている』と見なすのか、という話になってしまいますけれど」
「知り合ってから何か月、っつっても、会った回数はそんなにないはずです」一緒に迷宮に行ったのが三回、この国に来るときに馬車に乗り合ったのが一回。「あの話するより前に、プライベートで会ったのなんて昇格祝いに飲んだときぐらいだったでしょう」
 だからそれまでは素材やら迷宮やら調合やらの話しかしていないし、イレギュラーの一回は出国の話だ。
――それでも、お互いを知るには充分な時間だったと思いますけれど」
「……普通ならな。魔物だの調合だのじゃなくて、あんたが個人的なことで何を思ったとか考えたとか、そういう話、全然出ないでしょう。だからイズはあんたが話した内容から組み立てたんだろうが、それがそもそもあんた視点の情報でしかない」
「ええと……私が、客観的に話していないということでしょうか」
「あんたたぶん、自分で思ってる自分と、他人から見た自分がズレてんだよな。だから、前提が違ってる、って言ってんだが」
「では……アルカレドから見た私、とは何でしょうか」
 イズに言われたときにも揺らいだが、なんだかエルフィリアは波に浚われているような心地だった。周りにゆらゆら動かされて、自分が定まっているという感じがしない。
「そう真正面から問われると困るんですが……少なくとも、あんたが自分の感情に疎いってことだけはわかりますよ。誘拐されたときだって、泣きも喚きもしねえ。知り合いの犯行だってのに動揺も見せねえ」
 その後も恨み言を言うでもなく、淡々と事態を処理しただけに終わった。
「奴隷の扱いも随分合理的で距離を置いてると思ったが……あんた、すべてにおいてそんな感じだよな。訊かれない限り家の話も友人の話もしねえ。こないだぽろっと王子のこと言ったぐれえだろ。人嫌いかと思ったらそうじゃねえし、他人と話はしたがる。冷静かと思えば、人相手のことじゃなけりゃ、はしゃぐんだよな。自由奔放かと思えば、『こうじゃなきゃいけない』に縛られてる。警戒心はあるくせに、距離感はめちゃくちゃ。万事ちぐはぐなお嬢様だ」
 アルカレドはこちらを向いて、はあと大きく息を吐いた。
「自己開示が苦手、甘え方がわからない。……っつうか、味方の見分け方がわかんねえんだな。俺を従者と見なしてるときだけ懐の内だ。奴隷は裏切らねえからな。リモーネだって、あんたに懐いてるから絆されてんだろ。いつものあんたなら、あんなことで悩んだりしねえよ。悩む前にさっさと線引いて終わりだろ。どうやら自分じゃ気づいてねえが」
「そう……でしょうか」
「リモーネのことは、あんたの考え方が間違ってたわけじゃない。あの視点がねえと、相手によっては食い物にされんだろ。でもあんたはきっと、人付き合いがわかんねえんだな。誰に気を許していいかわかんねえから、人に親切にしたいのに理由がないとできねえんだ」
 ――それは、もっと単純に言うと、人を見る目がない、という話なのだろうか。
 貴族の世界では、迂遠な話し方に腹芸の仕込みなんてよくある話で、初手から相手を信用するものではない。でもそこから垣根を取り去る方法を、エルフィリアは知らなかった。生前の記憶のせいもあり、「立場とは変わらないもの」という強固な思い込みがあったような気がするのだ。貴族としての価値観が最初から歪んでいたから、貴族の流れに乗れなかったのだろう。エルフィリアが知っていたのは、「冒険者になれば自由になれる」ということだけだった。
「あとは……」
「まだありますの?」
 目を丸くしたエルフィリアにアルカレドは、はっと息で笑った。
「気になる? ……じゃあ、良い傾向か。普段はそんなこと気にしねえもんな。あんた、自分の評価に無関心だから」
「評価、ですか?」
「評価――うん、評価っていうのか? 他人にどう思われようと気にしない、呼ばれ方にもこだわりがない。芯があるとか自信があるとも違って……あんた、自分が好かれてるかどうかにすら興味がねえんだよな。卑屈かといえばそんなことは全くねえし、自分が高度な教育を受けたことは理解してる。それなのに、自分の価値には無頓着だ。自分を認めさせようって気概が感じられねえっつうか……あんた、自分のことがわかってねえから、他人との関係がわかんねえんだろ」
 何が許容できて何が許容できないのか。その境目すら曖昧だ。自分の範囲がわからないから、他人との距離が測定できないのである。
「アルカレドは……私のことを、よく理解しているのですね」
「そりゃ、まあ……一年近くも傍にいりゃあな」
 実際は、週に二度程度だったし期間が空いたこともあったのだが、それでも、イズよりはよほど付き合いが長い。
「私は自分のことがよくわからないので……アルカレドに教えてもらうといいのかしら」
「奴隷とは互いに踏み込まない、ってのはどうなったんです」
「それは……」
 そこで、エルフィリアの思考が止まってしまった。
 そう、奴隷相手とは正しく壁を作って、互いの内情に踏み込むべきではない。互いの立場が崩れてしまうからだ。だからアルカレドのことだって、常に奴隷と忘れないような扱いをしておくべきで――
――そこで、今更だとか、おまえが先に言ったんだとか返せなくてどうすんです。あんた、柔軟に見せかけて実際は頭が固いんだよな。正しい、間違ってるの二元論で考えるのはやめろ。物事は何だって、状況によるし関係による」
「あ……っ」
 そのときあることが頭に浮かんで、エルフィリアの頬がカッと熱を持った。
 様子が変わったことに気付いて、どうしたんだとアルカレドが声を掛ける。
「いえ、いいえ……っ、我が身の卑小さを恥じているだけです」
「……あんたってわりと、極端から極端に走るよな」
 呆れた声のアルカレドは思い至っていない。
 それはエルフィリアが口に出さなかったことなので当たり前なのだが――彼女は気付いてしまったのだ。常日頃、アルカレドのことを頭は悪くないのに単純な思考をする男だなどと――その批評は、エルフィリアに返ってきてしまうのに。
 ――そのさかしらな態度は本当に、恥じるべきだと思った。
 エルフィリアは、アルカレドのことをたぶん、気に入っているのだと思う。アルカレドが――裏切らないとわかっている男が、率直な物言いをするのが楽しいのだ。今まで、エルフィリアにそんな態度をとった者はいなかったのだから。
 だからこそアルカレドを解放してしかるべきで、それなのに厳しい条件を押し付けている。
 本当は、手放しがたいと思っているのだろうかと、そんな思考がほろりと落ちた。
 エルフィリアがほうけている間に、寄ってきた魔物をアルカレドがさくりと葬る。
――ほら、こんなこと話しに来たんじゃねえんだから、行きますよ」


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2023 07 18