――問題点。
 イズの挙げた言葉が、エルフィリアの思考を刺激する。
 それは、リモーネの、それともエルフィリアの問題だろうか。
「あー……えっと、エルフィリアちゃん」
「はい」
「君はたぶん、二者間の関係を上下関係か利害関係でしか捉えてない」
――え」
 死角からの言葉に刺されて、思考が空白になる。
 ――が、的外れではない、ということはすぐにエルフィリアの頭に沁みた。
「あ、ええ、そう……そうですね、言われてみれば、対等の相手というのがいた記憶がありません」
 家族については、従う相手だった。婚約者は上に戴く相手であり、政略だった。学友はいたが、エルフィリアよりもいくらか身分が下だったので、いつでもこちらを立ててもらっていた。一番ちかしいといえるアルカレドは、エルフィリアの奴隷だ。
「一方的に何かをしてやるのは施しだ、っていう考えが根底にあるから、そのリモーネさん……リモーネちゃん? に、それに近いことをされて混乱してるんじゃないかな」
 ――そう、確かに、価値のあるものを見返りもなく他人に渡してしまう感覚を不可解だと感じた。
「そういうのはねえ……違う方向から見れば、献身、って呼ぶこともあるんだよ」
「……はい」
 ――くるり、と思想が反転したような心地になる。
「うん、俺はねえ……子供のころ片親で貧乏だったから、いつも腹減らしててねえ。隣の家に住んでた他所のばあちゃんが、これ食べなさい、ってよく食事を分けてくれたんだよねえ。……これは、どっちだと思う?」
「……ええと」それは、一方向からの行為ではあるが、施しや献身という言葉には押し込められないような気がする。「どちらも、違うかと」
「そだねえ、これはどっちでもない。……わかった?」
「はい、有難うございます」
 完全にわかったとは言えないが、自分の考え方が、いろんな枝葉を勝手に削ぎ落していることは理解した。
「私……リモーネに謝らなねばなりませんね」
「そういうのは、自己満足の謝罪だからやんないほうがいいよ」
 すぐにばっさりと否定されて、エルフィリアは驚いた。
「……そのようなところ、イズさんは濁さないのですね」
「まあねえ」
 やんわりとした笑顔が返る。それに、エルフィリアはほっと息を吐いた。
「私、イズさんのような方にお会いしたのは初めてです」
 知識や、資料の読み解き方は幾人にも教わったが、諭してくれるような相手は初めてだった。
――そう? イズさんはねえ、イズさんみたいな人いっぱい会ったよ」
「いくらでも会えますよ、そんなの」
――まあ、私、アルカレドのような人も初めてです」
 そう思ってみれば、リモーネも、ジンシャーも、類似の知り合いが思い浮かばない。
 逆を言えば、貴族の範疇では似たような相手しかいないのかもしれなかった。価値観も、恰好も、言葉遣いも話題も似たり寄ったりだ。
 ――本当に、自分の世界は狭かったのだなと実感する。
――で、この箱って登録できるんですか? 機能的には問題ないと思うんですけど」
「あー……そりゃ、難しいねえ」
「なんでだ」
 アルカレドが話の筋を戻した。この箱を新技術として商業ギルドに登録するという提案だが、それにはどうやら支障がある。
「調合と違って、ある物とある物の組み合わせだから……でしょうか。用途がわかってしまえば、真似されてしまいますね」
 正確な作り方を知らなくても、類似品を作ることはできる。その場合、登録していることにはあまり意味がない。
「そういうことだねえ……これ、鍛冶屋には用途言ってない?」
「はい、全体的な設計だけ伝えて作っていただきましたが」
 とはいえ、何かを冷やすための箱、ということは言わなくても察しているはずだ。
「あ、じゃあ、鍛冶屋に情報売ってもいいかも」
「用途を、ということですか?」
「そのまんまは言っても無駄だよ、庶民が買えるような道具じゃないから」
 用途自体は庶民的なものだが、属性素材を使っているという一点から途端に高級品に化ける。中堅以上の冒険者でないと買えないものになってしまうのだ。作ったところで売れる商品にはならないし、実際は真似されるかどうかも怪しいものだった。
「鍛冶屋ってわりと素材は装備品や刃物にするって思い込みがあるし、そうじゃなくても単純な日用品とはあんまり結びついてないと思うよ。この道具も調合なんかに使うものって認識なんじゃないかなあ。日用品の鍋とか鋳物ってまた別に業者が作ってるからね。だからまあ、この素材で箱を作ると食品の保存に使えるよっていう方向かなあ」
 箱に使っていた素材というのは、熱や冷気を遮断するものである。属性耐性の装備に使われる素材だが、魔力に弱いので迷宮の等級が高くなると魔法を受けきれない。主に中位以下の冒険者が使うものである。属性素材自体が高いので、代替品といえどそこそこの需要はある素材だ。
「拡張式鞄っつうのも、そもそも必須条件じゃないと思いますよ。熱を逃がさないんなら、スープを熱いまま置いとけるってことにもなりますし。そんなものは数時間持てばいいんで」
 朝に作って昼に食べる用に保存しても良いわけだ。夜食なども温め直す手間が減る。
「冷やす方も、仕切りを作って氷を敷き詰めるような構造にでもすれば良いと思うし、そういう調整は鍛冶屋の方で考えるんじゃないかなあ」
「……なるほど」
 何でも登録すればいいというものではない。どうせ真似されるようなものは情報だけを売って、あとは好きにさせるというやり方もあるらしい。
「……殿下とお話ししていたときを思い出しました」
 ――ふふ、とエルフィリアは微笑んだ。
 元婚約者の王子ウィンフレイとは、よく議論を交わしていたのだ。議題は術式や魔石などについて。他の学友はそういうことに興味がなかった。
「あのさあ、エルフィリアちゃんって、王子様のこと好きだったの?」
――おい、何訊いてんだあんた」
「えー、だって気になんない?」
 途端に話が俗っぽくなった。それを、エルフィリアはにこりと笑んでやり過ごす。
 訊かれたくないというわけではないが、返答を持ち合わせていない。
 ウィンフレイのことは、人としてはそれなりに好ましく思っていた。しかしそれが恋愛感情かと問われれば、よくわからないというのが正直なところだ。
 ――実際、エルフィリアには恋愛感情というものがよく飲み込めていない。そしてそう思うということは、まだそういう感情に目覚めていないといえるのかもしれない。
――あ、そうですね、そろそろ殿下にお手紙を差し上げないと」
 話題ついでに思い出す。
 王子にはとりあえずの近況報告をする必要がある。冒険者になったということはひとまず伏せるつもりだが、平民になったことは半年後には知られる予定だ。だからその前に、布石を打って情報を小出しにしておかなければ。
 そして、次兄にも手紙を送る必要がある。こちらにはある程度事情を説明しておきたいが、家の者に感付かれるのもまずい。そのため、商業ギルドの者に理由を付けて手紙を持って行ってもらおうかと思っている。卒業パーティ時に使用した宝飾品も、手元にあるので一緒に返還するつもりだ。
 商業ギルドの職員は、調合の製法を渡すために呼び寄せるつもりなので、そのついでである。
 商業ギルドは冒険者ギルドとは違い、所属するのに国籍を捨てる必要はない。ということは、国ごとに別の組織なのである。提携はしているし機能は同じなのだが、厳密には別物ということになる。エルフィリアが約束したのはアウリセスの商業ギルドなので、直接やり取りをする必要があるというわけだった。
「エルフィリアちゃんはこれから手紙? だったらさ、アルカレドを飲みに連れ出してもいい?」
――は?」
――え、それは、その……」
 エルフィリアはすぐには返答できなかった。どういう扱いにしたらいいのかわからなかったからだ。
「あー……えっと、これは施しとかじゃなくてね、イズさんが友達と飲みたいから言ってんの」
「……お友達、ですか」
「そだよ、エルフィリアちゃんのことも友達だと思ってるからね! ねー、いいよね、アルカレドの分は自分で払わせるからさあ」
 いまやアルカレドは自分の金を持っているのである。
 報酬はギルドに預けてあるので、受付で手続きをすれば引き出せるはずだ。金を貯める目的は身柄を買うことだが、それ以外に使ってはいけないとはエルフィリアは思わない。
「そう……ですね、それなら構いません」
――俺は行くとは言ってねえ」
「えー、いいじゃん、男同士の話もしたいなあイズさん」
 そうして腕を掴まれたアルカレドはイズと賑やかに退出していった。
 静かになった室内にひとつ息を吐いて、エルフィリアは便箋を手に取ったのである。


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2023 07 09