アルカレドは時々、店の外で待たされている。
 それは、エルフィリアが寄った店が狭くて一緒には入らなかったり、違う理由だったりだ。現在は後者である。
 今日の店は仕立て屋だった。
 エルフィリアは庶民にはとても見えないので、身体にぴったり合った服を着ていないと違和感によって妙に目立つのだ。既製品を手直しするという手もあったが、体型に合わせて詰める位置を確認するのに他人の手が必要になるのでやめた。金がないわけではないので、冒険者から地域への還元という意味もあって、きっちり仕立てているのである。それに刺繍やレースを足して着用しているのだ。レース編みの腕にも覚えがあるので、付け襟を作ったりして楽しんでいる。
 下着なども範疇なので、きまり悪がってアルカレドは店には入ってこない。とはいえ番犬の役割はこなしている。魔力が読めるため、この程度の距離だとエルフィリアに何かあれば気付くようになっているのだ。
 キィッと店のドアを開けると、寒風がどっと吹き付けた。首に巻いたストールを口元に引き上げて、あら、とエルフィリアは気が付いた。
――イズさん」
「やあやあ、ごきげんよう」
 イズがひらひらと片手を振った。アルカレドを見つけて話し込んでいたらしい。
――ああ、そうですイズさん、この後例の食料箱を受取りに参りますので、ご興味がおありでしたら同道なさいませんか」
「えっ、見たい見たい!」
 誘いを掛けると、イズは嬉しそうに乗ってきた。
 そんなわけで、連れ立って鍛冶屋へと足を向ける。特に問題なく受け渡しが済んだので、そのまま三人で宿の部屋へと戻った。
「わあ、ソファもあるしお高い部屋って感じ……あっ、いいな、お風呂もあるぅ」
 イズは暫しはしゃいで部屋を観察している。彼の宿は、安宿ではないがさすがに個別の風呂はないそうだ。
 階一位で指名依頼も受けているなら金はうなるほど持っていてもおかしくないのだが、イズはあまり贅沢慣れしていないようだった。装備も都度買い換えたり、素材のストックも持たずに売ってしまうという話なので、恐らくは余剰や無駄を持て余すことが苦手なのだろう。
「それで、こちらが例の箱なのですが――
 アルカレドに命じて、エルフィリアは蓋付きの箱をテーブルに乗せる。
 箱は二種類、冷凍用と冷蔵用だ。両手で抱えるサイズの箱の中に、それぞれ氷属性のナイフがセットされている。
「へええ、これが。この中に入れておくと冷えるってえわけね」ふんふんと感心しているイズは、エルフィリアの表情に気付いて声を上げた。「――なんか、浮かない顔してんね」
「気に入らねえんですか」
 アルカレドも重ねて懸念の声を掛ける。
「いえ、その……ふと我に返ってしまったと申しますか」
「どゆこと」
「思い付きに任せて、無意味なものを作ってしまったのではないかと」
 実物を前にすると、これで合っていたのだろうかという思いがじわじわと湧いてくる。
 できる、と、やってみたい、が合わさると行動に移してしまうのがエルフィリアだ。気持ちが先行した結果、準備や調査が追いついていないことも珍しくはない。
「無意味、ではないんじゃない……? 武器を使うのは珍しい発想だけど」
――そこです!」
「えっ」
 武器からの発想なので、武器が必要だと思い込んでいた。武器の形状がベストだとの判断が間違っていたとは思わないが。
「食材の保存は一般的な発想ですよね? でしたら既に、私たちが知らないだけで、そういう用途のものが存在しているのではないでしょうか」
 ――そもそもの話、属性素材を使う必要性があっただろうか。
「氷は使うとおっしゃっていましたね。ではその氷と食材を一緒に箱に入れてしまえば済む話です」
 シンプルな結論だ。む、とイズも言葉に詰まってしまったが、
「それで、その箱を拡張式鞄に入れれば目的は達しますよね?」
――待って、普通の人は拡張式鞄持ってないから!」
 後の方にはすぐに反論が来た。
「うーん……冒険者向けの話だったとしても、そもそもまめに氷を換えるとかしないと思うよ」
 だから先ほどのエルフィリアの結論は正解ではない。新しい食材を入れる度に温度は上がるのだから、氷は取り換える手間が必要だが、冒険者にはそういう細かい作業を嫌がる手合いが多い。そもそも、拡張式鞄を持つほど稼いでいるのなら、食事を作るよりも金を払って食べる方を選ぶ。
「あとはまあ……氷だと冷えすぎるとか冷え方にムラがあるとか、あるんじゃないかなあ。食材によるとは思うけど」
「そうですか……冷凍の方も、さらに単純な話になるかと思ったのですが」
「凍らせる方?」
 議題が移って、イズが首を傾げる。
「はい、魔法で凍らせて拡張式鞄に入れればそれで終わり――
「待って、拡張式鞄もだけど! 普通の人は氷魔法使えないから!」
 ――言われてみれば、とエルフィリアは息を吐いた。どうにも思考がすぐ走ってしまう。
「……なーんか、先走ってんねえ」
「どうせ世間知らずなんだから、変に焦ってもいいことないですよ」
 突き放したようなアルカレドの言葉が、すとんと納得を生んだ。
「……そうですね」
 知っているつもりでも全然足りていなかった、という事例に当たって、必要以上に慎重になってしまったようだ。
 エルフィリアの世界は狭い。貴族の世界――しかも政治にも足を踏み入れていない学生の世界でしかない――しか知らず、生前の記憶でも屋敷とその周辺しか知らなかった。どこへ向かっても知らないことだらけだ、ということがわかってきたところだ。
「……エルフィリアちゃんて全然怒んないね」
――え、そうですか?」
 問い返すと、イズは苦笑を浮かべてアルカレドの方を向いた。どうやら、彼の発言が失礼だという趣旨らしい。
「事実ですから、怒るかどうかは私の問題ですね」
 アルカレドが無礼であることは確かだが、初めの方こそ頑なだったことを除けば、見下されているように感じたことはない。
「……そう? じゃあ、事実じゃないことは?」
「悪意のある誘導なら反論しますが、そうでないなら相手にするだけ時間の無駄ですね」
 虚偽の押し付けならば反論はすべきだが、容姿や能力に対する侮辱ならば相手にする必要はない。事実ではないことを言われても、的外れだと思うだけでダメージにはならないからである。
「うーん、なかなか芯が太いねえ」イズは感心しているが、
「……いえ、あまり心が動くことがなかったということなのだと思います」
 エルフィリアは今まで、自由の意味もよくわかっていなかった。
 ただ、届かないところにあるから憧れのように手を伸ばしただけで、それの意味するところもあまり理解してはいなかったのだ。
 ――なぜなら、何が不自由かもよくわかっていないから。
 与えられたもの、それを良しとされたものを受け取っていただけだ。次兄が彼女を詰まらないと感じていたのも当然だ。淡い好き嫌いはあったが、自分で何かを選ぶようなことはほとんどなかった。それは生前の記憶でも同様で、だからこそ「そういうものだ」として疑わなかったのかもしれない。
 いまはただ、何かをしたいと思うことが新鮮で、それを試すことが自由だと思っている。
「この箱だって、本当に欲しかったのかどうか、よくわかりません」
 作れると思ったから試しただけだ。あれば便利だとは思うが、欲していたという気はしない。
「こういうものを欲しがるのはたぶん、リモーネのような――
「リモーネさんって?」
「ジンシャーの幼馴染なのですが」
 とエルフィリアはイズに説明した。薬屋の裏を借りることも言っていなかったので近況も交え、そして、リモーネとの距離感に悩んでいる、という話になった。
 話して初めて、気にしていたんだなと自覚した。自分の中ではもう割り切ったつもりになっていたからだ。
「えっと……そうね、一方的に何でもあげちゃうのは良くないとは思うけど」
――そうなんです、期待されても困るけれど、こちらも彼女が魔物肉を欲しがっているのは存じておりまして」
「あげようか迷っちゃうけど、良くないなあって感じなのかなあ。……そいえば、イズさんはなんかいっぱい食わせてもらった気がするけど」
 迷宮に行った際に、イズにも肉やら菓子やらを振る舞っていたことを言っている。
「イズさんには素材を獲るのを手伝っていただきましたし、お互いに利のある関係ですから構わないと思うのですけれど」
 初対面のときはお互い様ということでもなかったが、そのときはゲスト扱いだった。
「……んん?」
「それなのに、先日リモーネから夕食を御馳走していただきまして……頂いた分のお返しぐらいは必要かと」
 わざわざ良ランクの肉で作ってくれた上に、エルフィリアの遣った塩まで使っていて驚いたのだ。ある程度魔物食に精通しているなら、ロック種の塩の価値を知らないわけでもあるまいに、と思ったのである。
「ああー……」
 それを聞いて、イズは頭を抱え込んでしまった。
「イズさん?」
「いや、あの……イズさん、問題点に気付いちゃったんだけど」


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2023 07 06