結果的に、蜜の魔力が上手く抜けたので、いくらかギルドに持っていくことにする。
まずは、どれぐらいの需要があるのか聞いてみたいというところだろうか。エルフィリアに対応したのは、例によってジンシャーだ。
「――え? 蜂蜜っすか?」
きょとんとされた後、とりあえず別室でということになった。
「魔物食が一般化しているということは、こういうものも売られているのでは?」
「うーん……まあ、プラント種なんかは食うっすけどねえ」
基本的には魔物肉だという。プラント種は魔力抵抗が低くそのまま食べられるものが多いが貴族向けではない。貴族にも売れるとなると肉に集中してしまうのだそうだ。
大きな肉だと高ランクにできる期待値も高いため、周辺国よりも魔物肉の買取りが高額になった。そうすると金になるため、解体士の数が増える。結果、供給が増えて逆に買取額が落ち着いた、というのがいまの状況らしい。そのため、冒険者と兼用の解体屋も多いのだとか。
「とはいえ、魔力抜きの精度が高いなら等級が高い魔物の方がウマい肉になるっす。だからより高い肉を狙ってるって感じっすかねえ」
通常、上位の冒険者になると数で稼ぐ素材は取らなくなる。そうすると、中位の冒険者が稼げる範囲が一般的な上限になるわけだ。するとますますそれより上の肉の稀少性と買取額が上がっていき、上位の冒険者も手を出すようになっている、というのが現状である。
アウリセスでは、貴族には魔物肉は忌避されるがプラント種はあまり抵抗がないので売るのが可能、という認識だった。こちらでは逆で、魔物肉が主流なのでプラント種は影が薄いといったところだ。
「まあ、多少手間なので手が出ないということなのかもしれませんが」
蜂蜜の場合、巣を切り取る必要があり、事前に巣から魔物を追い出す必要もある。そのまま切ると切られた魔物の一部が素材として残ってしまう可能性があるからだ。
「……いや、そもそも瓶に入れて持ち帰る必要あるっすか?」
「――え?」
「わざわざお上品に瓶に分けなくても、丸ごと切り取って樽にでも詰めたらいいっすよ。その後、蜜だけ絞るようにすれば不純物も取り除けるっす」
まとめて処理してから後で瓶詰すればそれでいい話だ。
「言われてみれば……」
確かに、効率だけを求めるのならその方が良い。エルフィリアは商品化されたものをイメージしていたので瓶になったのだ。巣があるなら巣蜜だろうとも思っていたが、別に混ぜなくても構わないのである。
「問題は、売れるかどうかだけっすねえ」
「アウリセスでは、仕入れ値が四瓶で金貨一枚になりましたね」
「……いけるっすね」
「魔力を抜いたものがこちらにありますので――どうぞ」
エルフィリアは瓶を開けて、ひと匙、ジンシャーに差し出した。彼はそれを、ぱくりと口に入れる。
「――んっ」
ジンシャーは目を丸くして、尻尾を膨らませた猫のように固まってしまった。
「え……えっ!? 言い表せない、複雑な味がするっす!」
そりゃあもう、お上品で、馥郁たるハーモニーがどうの、という筆舌だろう。なにしろ、そのままで充分高額で売れたものを、さらに魔力を抜く処理を施してあるのだ。
「魔力を抜く前も、充分に美味しい蜜なのです……ということは、平民に手が届く価格で流通できるということになりませんか」
さすがに安い品にはならないが、貴族向けのランクが存在するなら、それ以外の値段が下がるということになるのだ。
「それはいいっすねえ……ギルド長に言って流通させるようにするっす!」
ジンシャーは張り切った。幼馴染でも買えるようになるとなればやる気だろう。
これで、蜂蜜が流通するようになればエルフィリアも入手可能ということだ。魔力抜きができるようになったので、買ったものの魔力を抜けば容易に最高ランクが手に入る。基本的には蜜蝋も欲しいので自分でストックを作っておきたいが、選択肢が増えるのは悪いことではない。
ギルドに寄った後は、エルフィリアは薬屋へと赴いた。
また一つ、別の調合を試そうと思ったからだ。裏口の鍵を借りているので、店内を経由しなくともそのまま作業場まで来られる。
「――で、次は何を作るんですか」
「いえ、そろそろ、商業ギルド用のものを作ろうかと思いまして」
手荒れ用の軟膏を渡すのは少々勿体ない気がしたので、別のものを作ることにしたのだ。
「手と似たような発想で、髪をケアするものにしようかと」
「髪を?」
「つまり、傷んだ髪を回復させるようなものですね」
洗髪後に髪に浸透させるものにしてはどうか。香料を混ぜるのも良いだろう。髪に艶が出るもの、潤いが出るものという商品は存在しているが、恐らくは贅沢品で、平民用のものはない。庶民は日常的に贅沢品を使う余裕はないので、髪が傷みやすいのではないか、と考えたのである。
洗髪料に付加して日常使いのものとするのは簡単だが、従来のものに取って代わることはないだろう。値段が上がるからである。ということで、傷んだときに使う、ということに特化させる方向で考える。
「――あ、お姉さま、いらしてたんですね!」
材料を並べて思案していると、リモーネがひょいと顔を見せた。
「ええ――そうね、少し相談に乗っていただける?」
「はい、なんなりと!」
元気な返事をして、リモーネはエルフィリアの傍へとやって来る。
「髪が傷んだとき、ですか……そうですねえ……」
どうしているのかと尋ねると、リモーネは少し考えてから答えた。
どうやら、ケアに特化した商品というものはないらしい。栄養に気を付けて食事を見直すとか、馬油を塗ってごまかすとか、それぐらいのようである。
価格についても訊いてみたが、毎日使うわけではなくて銀貨二枚までならなんとか、という返答を貰った。ちなみに、普段使っている洗髪剤は銅貨六枚ぐらいだそうだ。
「なるほど、参考になりました」
「はい――あ、あのっ、まだ作業する予定なんですよね?」
「そうですね、少し試作品を作って……二時間程度は居るかもしれません」
「でしたらっ、今日はこちらでお食事していきませんか!」
昨日仕留めたレプス種の肉が、そこそこ良い具合に魔力が抜けたらしい。シチューを作るので、食べていかないかというお誘いである。
食事自体に不都合はない。普段は宿で食事を摂っているが、気分を変えたいときや迷宮に行くときなどは外で食事を摂ることもあるのだ。
「けれど――それは、あなたのお食事用の食材だったのでしょう?」
「いえ、あまり気にしないでください! ジンシャーだってよく食べに来るんですから」
リモーネが揃えている調味料の一部は、ジンシャーが持参したものだそうだ。香辛料や、肉などを持ってくるときもあるという。そのメッセージは明快である。つまり、「何か作って食わせろ」だ。
「では、またあとでお声がけしますね!」
ぴょんとポニーテールを揺らしながら、リモーネは楽しそうに調理場へと引っ込んでいった。
「少し……思い違いをしていたようです」
「何がです?」
「いえ、ジンシャーがリモーネに特別な感情を抱いているのかと思っていましたが、恐らくは違いますね」
ジンシャーが調味料を手に入れたそうな素振りを見せるのは、リモーネのためで違いないだろう。しかしその先にあるのは、恋情ではなく食欲である。
考えてみれば、二人は似すぎていて互いにそういう対象にならないのかもしれない。敢えて例えるならば姉弟だろうか。
「あんた、他人のそういう感情には気が回るんだな……?」
「――えっ、なんです?」
アルカレドが溜息を吐いたので、エルフィリアは振り向いた。
口調が崩れたので気分が荒れたことは察せたが、そこまでだった。まあいいか、と思ってエルフィリアは掘り下げないことにする。
――その日食べた夕食のシチューは、美味しかった。
香草と、エルフィリアが遣った塩が使われていた。
2023 07 03