結局、断る理由もなかったので、リモーネからはお姉さまと呼ばれることになってしまった。
 エルフィリアは自身の呼ばれ方にはあまり頓着しない。
「リモーネは、こちらの住居を借りることは考えませんでしたか」
 ここに住んだ方が楽なのではと思ったが、リモーネは別のところを借りているらしい。
「いえ……私の収入ではここはちょっと」
 店が付いているとはいえ、二階建ての一軒家である。そう考えると、確かに若い子が一人で住む物件でもないかもしれない。
 リモーネが住んでいるのは狭い集合住宅なので、広い調理場を使わせてもらえるのは有難いようだ。借り賃はかかるが、そこは店員価格ということでかなり格安のようである。
「それに、お店付きだと、売り子じゃなくて自分が調合士にならないといけない気になってしまうので……」
――なるほど、それはわかります」
 人は、それを望んでいなくとも、環境でなんとなく強要されてしまうことはあるものだ。
「調理場の方は練石代だけ払っていただければ構いません。調味料や肉の在庫があったりと、リモーネが私物化していますので」
「わっ、すみません、退けます!」
「いえ、構いません。拡張式鞄がありますし、在庫が混ざってしまうので都度持ち込みの方がこちらもちょうど良いですから」
「お、お姉さま……っ」
 ――何故そこで感極まるのかよくわからない。エルフィリアは首を傾げたが、
「せっかくですので、こちらの作業場を少し使わせていただいてよろしいですか」
 ついでなのでひとつ調合をしていくことにした。
――ええ、構いません。退室した方がよろしいですか」
 エイムリムが配慮してくれたのは、調合の製法は人に知られたくない場合もあるからだ。他人がいると集中できないような者もいる。
「いえ、どちらでも構いませんよ」
「で、では私、見学しますっ!」
「……リモーネが心配なので私も残ります」
 結局二人とも残ることになり、エルフィリアは作業を開始した。
 彼女が作ったのは、先日話に出ていた保湿タイプのクリームの試作品だ。軟らかいクリームだとべたついて家事などの際に嫌がられるかもしれないので、実際はもう少し硬めの軟膏にしたというのが正確なところである。
 量産のしやすさを基準にしたので、材料は比較的手に入りやすいもの、魔物素材に置き換えることはしない、魔法は精密に使いすぎない、と考えながら作業を行った。魔法の使用に二人は驚いていたが詳しくはないらしく、高位魔法だということまでは理解していない。
「……まあ、こんなものかしら」
 固める前に、香料があった方がいいかと思いつき、精油を少々垂らす。最後に熱を抜いて終わりだ。
「……軟膏ですか?」
「ええ、まあ。あかぎれやひび用の薬ですが――乾燥を防ぐ予防薬にもなります。手にこう、塗っていただけると――
 とエイムリムに答えたが、エルフィリアの手はつやつやのすべすべなので、試すまでもない。
 ちょうど良いのがいたと思って、エルフィリアは掌で揉んで軟膏を温めてから、隣に立っていた者の手をひっつかんだ。
――ん!?」
「こう――掌に塗り込んでいただけると」
 言いながら、取り上げたアルカレドの手を揉むようにする。いいように軟膏が浸透して、かさつきが取れてきた。
――こら、待て離せ触るな」
「なっ、なんて言いぐさなの! あなた、お姉さまの奴隷なんでしょ!?」
 急にリモーネが怒り出して、エルフィリアは驚いた。アルカレドの態度など慣れたことだったからだ。
 あまり丁寧な口調でなくとも、「線を引いている」ことはアルカレド本人も意識している。いくら口調が荒くなったところで、自身を主人の「下」とする姿勢が崩れたことはないのだ。だからエルフィリアは口の悪さを咎めないし、アルカレドもそれを弁えた範囲で好きなだけ文句を言っている。
「大丈夫ですよリモーネ、口は悪いけれど素直な従者ですので」
――そりゃ、良い子にしなけりゃ奴隷の負荷が掛かりますからね」
 いつも通り、アルカレドは可愛くない物言いだ。
「なっ、なんて贅沢な……お姉さまに手を握ってもらっておいて……」
「いや、このお嬢様は思い付きですぐ人の手ぇ握んだよ」
「は、初めてじゃないというの……うう、羨ましいっ」
 なんだかよくわからない争いが勃発しているが、エルフィリアは羨ましいというところだけ聞き取った。
「リモーネも使ってみたかったのですか。――はい」
 とリモーネの手にも軟膏を塗ってやった。指先の皮が少し硬くなっていたので、よく塗り込んでやる。
「うっ……お姉さまの手、すべすべのやわやわ……有難うございます……」
 ――またよくわからない感動をしている、とエルフィリアは首を傾げる。
「とにかく、このような調子で乾燥を防げますので」
――お嬢様、これ、香料無しでもいけます?」
「ええ、もちろん」
「ええー、この香りが良いのにい……」とリモーネが恨めしそうに呟いているが、アルカレドは無視した。
「香料無しならたぶん、冒険者にも売れますよ」
 手が乾燥していない方が剣を持ちやすくなるので、ケアを気にする人には売れるはずだという。冬は特に、寒さで手が動かないこともあるので、不利な条件は減らしておきたいのだ。痛みがあるのも影響が出るので、薬になるのもちょうど良いということだった。
「では、とりあえず香料有りと無しでいくつか作って、試供品として置いてみるのがいいかもしれませんね」
――試供品?」
――え?」
 どうやら話が上手く通じなかったようだ。新製品が出るときに、消耗品なら商店からいくつか無料の提供品が貰えるのだが一般的ではないのだろうか。化粧品とか、香油とか、香水とかは貰えるものだったのだが。
「あー……駄目です、無料で配ると、タダだからってえ理由でごっそり持ってくやつが出ますよ」
――あら、そうなのですね。では、お試し用に容量を減らしたものを安価で売りましょうか」
「そういえば、これは、貴族との競合とかはねえんですか」
 ふと思い出したようにアルカレドが尋ねる。
 以前、貴族の領分を侵すのはあまり良くないという話が出たからだ。基本的に貴族が嫌がるのは、平民が同じものを買うことではなく、同じものを安価で買うことだ。それは貴族が買うものの価値も下げているという意味で嫌がるのである。貴族と同じ値段で買っている分には構わない。あとは貴族が権利を独占しているものについてだが、それはまた別問題である。
「貴族向けのものと比べると劣化品なので見向きもされないでしょうが、それ以前に同じカテゴリだとは認識されないと思いますよ」
――ん、でも肌の手入れ用ってのは貴族の領分みたいなもんでは?」
「いえ、こちらはカテゴリでいうと薬ですから。こういう、手入れにも薬にも使えるという“お得”な品というのは、貴族風に言うと、貧乏臭いのです」
 もっとはっきり言えば、ケチ臭い、だ。見栄を重視する貴族ならば、自分たちのものと同じカテゴリだとは絶対に認めない。とはいえこの見栄というのも困りもので、貴族の中でもあまり金のない家というのはあるものだ。その場合、古着を手直ししたり中古品を融通したりなどの方法を取るが、それは許容されている。体面として揃っていればいいという考え方だ。その逆で、金のある貴族が金を惜しむとイメージが悪い。
「ふーん……じゃ、問題ねえってことですか」
――あ、でも、この国の貴族も見栄重視なら……ということですが」
 国ごとに常識が違うかもしれない、ということを思い出して、エルフィリアの口は少し重くなる。
「いや、別に、気にしないなら気にしないで、問題にはならねえんで」
 ぽんぽんと話が進んでいくので、エイムリムたちは呆気に取られている。
――あ、申し訳ありません、話が前後しましたが、こちらの店で置いていただけますか? 鑑定書は取りますので」
「あ、はい、いえ、鑑定書は私がお出しできます」
 エイムリムは商業ギルドの受付なだけあって、鑑定士でもあるようだ。
 ただ、鑑定用の魔術具は職場にあるということなので、あとでお願いしてそのときに鑑定料も払うことにした。
「今後は薬を作って売っていこうということでしょうか。でしたら、この店に置いていただいて構わないのですが、調合士用の販売免状を取れば――
「ああ、そちらは偶にということになりますので現状のままで」
 免状を取れば、都度鑑定書を取る必要はなくなるが、その代わり作成ノルマが課される。そうやって縛られるのが嫌なので面倒の方を取る、ということだ。本来は免状を持っていなければ薬を売ることはできないのだが、直接商業ギルドに売るか、商業ギルドを通して契約すれば販売は可能だ。
「それから、この軟膏の製法を登録したいのですけれど、可能でしょうか」
 無論、様子を見て手直しする部分があるか確認してから、ということになるが。商業ギルドで、他に同じ製法が登録されていないかも調べてもらう必要がある。
 登録されると、他者がその製法を使う許可を得たときとそれを販売するときに一部の金が入る、ということになる。巻軸スクロールで管理するので、許可を得たものしか読めず、写しは貰えるがさらなる写しは作れない。
 他者が似たようなものを作ろうとしてできた類似品までは取り締まらないが、製法許可を得ていた者がアレンジを加えようとした場合は引っかかるようになっている。
「では、昼食後で構いませんので再度商業ギルドにお越しいただくということで」
 ということで話がまとまり、アルカレドの腹がぐうと鳴った。


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2023 06 28