――で、回復薬入りのクリームですか」
「実際に回復薬を混ぜるわけではありませんよ?」
 アルカレドの理解を、エルフィリアは少しばかり訂正する。
 調合や調薬というのは、完成するともうその構成を動かせない。完成後に何か足そうとしたり混ぜようとしても、変化が起こらなくなるのだ。そのため、既に完成品という形で存在している回復薬の類も同様である。鍛冶なら鋳潰す際に可能ではあるが、そのためには欠けたり割れたりなどして“完全”な状態から外れている必要がある。武器の修理などはこの原理だ。
「ひびや割れ程度ならそのまま使える、保湿タイプのクリームでも作ろうかと思いまして」
 勿体ないとされてしまうのは、予防という概念があまりないからだ。実感できないと効果があることがわからないのである。そのため、多少なら薬としても使えるクリームであれば勿体なくはないだろう、という発想だ。
「タイミングとしても作るならちょうどいいですからね」
 物件を紹介してもらえれば、調合をする場所が確保できる。さらに、そこが薬屋なのであれば、試供品として置いてもらえる可能性もあるというものである。
 そうして二人がやってきたのは商業ギルドだった。
 ジンシャーが紹介してくれた知り合いというのは、商業ギルドの受付職員だったのだ。事前に予約を取りたかったのだが、行けばいるからなどという大雑把な口利きで本当に失礼がないのだろうかという不安はある。
――失礼いたします。冒険者ギルドのジンシャーさんからご紹介を賜ったものですが」
「あら、ご丁寧に。お目当ての者はたぶん私です」
 さっと手を挙げて寄ってきたのは若い女性だ。見たところ、二十歳ぐらいだろうか。口調はきびきびとしているが雰囲気はどこかふんわりとしている、つかみどころのない女性だった。
――では、あなたから物件をご紹介いただけるということでよろしいでしょうか。わたくし、エルフィリアと申します」
「はい、私はエイムリムです」
 ――ではご案内します、とすぐに話が動いた。ジンシャーはきちんと説明しておいてくれたようだ。
 着いた先は、こじんまりとした居心地良さそうな薬屋だった。小ぶりの店だが人がすれ違う幅はあるので、狭いというほどではない。カウンターの奥を抜ければ、作業場があるということだった。
 一階に作業場と水場があり、二階が居住空間ということになっている。いまは誰も住んでおらず、荷物をいくらか置いてあるだけらしい。
「賃貸のお客様なので奥に案内するわ。――あなたも後から来て」
 店番の女の子に声を掛けると、エイムリムはカウンターの奥に入っていく。エルフィリアたちも後に続いた。「はい」と返事をした女の子は興味深そうにこちらを見たが、どうやら後から紹介してもらえそうだ。
「こちらを経営なさっている方は?」
「それは私の叔父なのですが――」とエイムリムが説明する。
 ジンシャーは知り合いの店だと言っていたが、正確にはエイムリムの叔父の店、ということらしい。
 この店は知人が引退する際に譲ってくれたのだそうだが、その経緯もあって処分するのも忍びなく、かといって薬を作れるわけでもないので持て余し気味の物件だという。結局、人を雇って午前中だけ開けてはいるが、薬は仕入れたものを売っているということだった。ちなみに水の日と陽の日は定休日だ。
「雇っている子なのですが、料理好きでして。ここの調理場が使いやすいからと料理に使っていることがあるので、それだけご了解いただけると」
 使用しているのは調理場と水場だけで、居住空間には干渉していない。誰かの生活に踏み込むわけではないので、条件からは外れていないだろうというわけだ。
――それで、その子とも面識を済ませてからお決めになるとよろしいかと」
 確かに、顔を合わせることも多くなるかもしれないので、借りるならどういう相手なのか知っておいた方が良さそうだ。さきほどちらと見た感じでは、素直そうな少女だった。
 ――声を掛けてきます、とエイムリムがすっと退出したことで気付いた。この件にすぐに対応してもらえたのは、ちょうどいい時間帯だったからだろう。恐らく、ちょうどその子が仕事を終えるぐらいの時間なのだ。
 その間に、少し作業場を見せてもらっておくことにする。
 棚には手入れをされた器具がいくつか残っているが、そちらは自前のものがあるので特に必要はない。それよりも、ある程度の広さの作業台と火が使える環境があればそれでよかった。
 調理場も隣にあるので、鍋で何かを大量に煮るようなときにも対応できる。設置型の魔術炉もあるし、調理場を使っているということから練石の在庫も切らしてはいない。練石とは、火にくべる燃料である。すべてを魔術具で賄おうとすると魔石の中の魔力がすぐに尽きてしまうため、燃料と併用するのだ。風呂用の魔術具だって温める機能であって水を出す機能ではないし、一つの魔術具で何でもこなそうとすると魔力が足りないことになる。その辺りをすべて賄える魔法というのは、やはり特殊なものなのだ。
――お待たせしました」
「リモーネです! よろしくお願いします!」
 開口一番、元気な挨拶をいただいてしまった。興奮で頬が赤くなっている、元気な少女である。
「エルフィリアと申します、こちらはアルカレド。どうぞお見知りおきくださいね」
――エ、エムお姉ちゃん、どこからこんなお嬢様連れてきたの……」
 エルフィリアが笑みを向けると、途端にリモーネは慌てだした。どうやら、少々お上品に接しすぎたようである。
「こちら冒険者の方よ? ジンシャーの紹介で」
「冒険者! この方が!」
 リモーネは興奮でぴょんと跳ね上がりそうだったが、エルフィリアは共有の名前を耳に留めた。
「リモーネさんもジンシャーとお知り合い?」
「はいっ、リモーネで構いません! ジンシャーとは幼馴染です!」
 まあ、とエルフィリアは微笑んだ。どうにも反応が似ていて微笑ましい。ちなみに、エイムリムは近所のお姉さん的な存在のようである。
「成人なさっているということでよろしいかしら?」
「はいっ、春には私は十七、ジンシャーは十六です」
 なるほど、ジンシャーもきちんと成人している。
「リモーネは、お料理がご趣味と伺いました」
「はい……あの、魔物肉に興味があって」
 話を聞くと、リモーネ自身も冒険者登録は済ませているという。薬草納入ぐらいだが、森に住むレプス種などは狩るそうだ。基本的にはナイフだが、必要なときは剣も振るうという。
「えっと……まあ、自分で狩ればお肉が安く手に入ると思ったので……」
 目当てが肉なので、解体も人に師事して覚えた。ただし魔力抜きができないのでその分は他所に頼むが、処理済みのものを買うよりは安く済むという。自分で狩れない肉もギルド経由なら比較的安く入手できる。解体士として他所のパーティに参加して見返りに肉を貰うこともあるらしいが、彼女自身の階位が低いためあまり等級の高い迷宮には行けないようだ。
「しかし、一般に手に入る魔物肉というのは、なかなかにムラがあると聞きましたが」
「はい、当たりはずれがあるので、逆にどうやったら美味しくなるのかと燃えてきてしまって」
 そのために調味料もそろえたりしているらしい。
 この国では魔力抜きの度合いによって魔物肉をランク分けしているが、そのためには部位を細かく切り分ける必要がある。その中には、切り分けずにまだらになったまま低ランクにされる肉もあるのだ。上ランクの部分だけ切り取って、あとは安い処分品、というわけである。そういう肉だと、当たりも入っているが安いということになる。
――ああ、ではお塩が必要なのはあなただったのかしら」
 エルフィリアは、ジンシャーが塩を欲しがったことを思い出した。
「こちらロック種の塩ですが、お近づきの印に」
「えっ――!?」
 使いやすいように小瓶に分けていたものを差し出すと、リモーネは目を丸くして受け取った。手に触れると急に実感が湧いてきたようで、「有難うございます」と呟いてぎゅっと小瓶を握りしめた。
――あ、あのっ、どうですか、こちら借りませんか!?」
 リモーネがぐっと身を乗り出してきたので、エルフィリアはころころと笑った。やはり、ジンシャーと反応が似ている。
――そうですね、私も調理場を使っても構わないなら」
「はいっ、もちろんです! ――あ、あのっ!」
 何故かエイムリムではなく、リモーネと交渉する流れになっている。
「お、お姉さまと呼んでもいいですかっ!」
――なぜかしら」
 エルフィリアは、ことりと首を傾げた。
 アルカレドは隣で、むずがゆいような顔をしている。


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2023 06 25