手慣らしに、というのかはわからないが、ひとまずはそこらの迷宮に潜ってみることにした。
 等級にはこだわらず、比較的近場の迷宮である。
 とはいえ、日帰りでも結構行ける迷宮は多いものだ。馬車は魔術具でもあるが、冒険者ギルドのものは乗り心地よりも軽さに特化しており、他所の馬車よりも格段に速い。馬車そのものだけではなく、乗客の重さごと軽減する魔術具になっているのだ。馬車自体も質に差があったりするので、元々良くない乗り心地がさらにひどいものに当たるときもあった。
 この日に潜った迷宮の等級は三である。
「ぜんっぜん、手応えねえなあ……」
 アルカレドが大剣を振り回しながら溜息をこぼした。どうやら、切れ味が良すぎて詰まらないらしい。
 一気に十五層まで駆け抜けて来たが、アルカレドが次々と首を落としていくので、エルフィリアの出番は一向に訪れなかった。楽ができて良いが、三等級では素材の方も期待できるほどではない。階層のボスの皮と肉でも取っていくか、というぐらいである。
「今後はせめて、もう少し等級の高い迷宮に行きましょうか」
 まだ果実の採れる迷宮なら、加工用の素材にもなった。基本的に、属性や種族に特化した迷宮はあれど、特定の迷宮にしか棲息しない魔物というのはほぼいないので、以前と同じように獲物を狩ることはできる。
「……久々にオクス種の肉か」
 十五層のボスはオクス種だった。アルカレドの声音がわずか弾んでいるので、「あとで食べてもいいですよ」と声を掛けて解体を任せた。
 今度は香辛料でも採ってこようかなとエルフィリアは思案する。スパイスの草、と呼ばれているプラント種の魔物がいるらしいのだ。適当な名付けだがわかりやすい。魔物の気配を消すために強い香りを出す植物に擬態した実を付けるらしいが、実は人間から見れば見た目が全然違うため、わかりやすいだけの魔物だ。ハーブの草、と呼ばれる亜種もいるという。
 アルカレドが解体を済ませて戻ってくる。いつも通り魔力を抜いて肉を切り分けると、エルフィリアはあるものを取り出した。
「ハンバーグにしましょうか」
「……それ、使ってみたかったんですね?」
 買ったばかりのミートミキサーである。しかも家庭用ではなく業務用だ。
 魔法でできないこともないが、調薬のように精密さを必要とする作業でもないのなら、魔石を入れて自動で処理してくれる魔術具の方が楽で良い。ちなみに平民家庭では魔術具はあまり増やさないので、家庭用は手でハンドルを回す仕様のものである。
「……そういえば、アルカレドの使っている剣って氷属性ですよね?」
――ご承知の通りですが」
 素材を持ち込んで作らせた装備なので、エルフィリアが知らないはずはない。
「いえ、それで斬っても魔物は凍らないのだというが不思議で」
――ああ」
 アルカレドは、何が言いたいのか得心した声を上げた。
「単に、生きてるか死んでるかじゃねえですか?」
「あ、なるほど、魔力の流れが関係してそうですね」
 では、死したものなら凍るのか。好奇心がむくむくと頭をもたげてくる。
「アルカレド、それで少し、お肉を切ってみてください」
「俺の武器は、肉切り包丁じゃねえんですが……」
 と言ってはいるが、貸し与えているだけでエルフィリアのものである。何に使おうと文句を言われる筋合いはない。
 はいはい、とアルカレドは早々に言い争いから離脱した。勃発前ともいう。
 大剣を抜いて、撫でるように肉を切った。
――凍った」
――凍りましたね」
 剣が触れた切り口が凍っている。もう少し小さく切り分けると、立派に凍ったブロックが出来上がった。
「焼けば溶けますけど、焼きます?」
 アルカレドが声を掛けたが、エルフィリアはブロックを持ったままじっと考え込む。
「これを拡張式鞄に入れた場合、凍ったまま維持されると思います?」
――試せばいいんじゃないですか」
 アルカレドは、面倒くさそうに答えた。


 一晩経ったが、結論から言えば――冷凍肉は冷凍肉のままだった。
 エルフィリアはテーブルの上に出した肉をアルカレドと囲みながら、ふむと考える。
 これはつまり、拡張式鞄の中は温度がほとんど変化しないということだ。普通に食品を入れていればそのうち傷むので、時間が経過しないというわけではない。なにやら特殊な法則が働いているようである。
 また、別のことも判明した。拡張式鞄の中は、一つの大きな空間になっているわけではないということだ。もしそうなら、隣り合ったものに触れて、温度が拡散するだろうからである。恐らくは仕切りのような仕組が存在している。ということは、熱い物を入れても温度が維持できるということではないか。
 これは、何が「一つ」と見なされるかにも関係してくる。複数の物を同時に鞄に入れても別々の物として取り出すことができるが、例えば袋に入れたものを入れると、袋ごとでしか取り出せない。器があるものは、それごと「一つ」として認識されるのだ。
――剣と食べ物を同時に鞄に入れたところで、食べ物が凍るわけではないということですね」
 氷属性の剣からは冷気が放出されているので、切らなくとも長時間一緒に置かれることになれば凍るはずだ。
「……大きな箱を作って、剣を入れておけば食料の冷凍保存ができるのでは?」
――あんた、武器をなんだと思ってんですかねえ!?」
 まかり間違っても、食料保存用のための道具ではない。
 エルフィリアは、贅沢慣れした貴族的価値観と物事にこだわらない平民的感覚に、研究者気質を混ぜるとこうなる、ということを体現したような娘であった。
「大剣だと箱に収まりませんし、戦闘の度に箱ごと取り出すのは難しいですね……単純に、もう一つナイフでも作れば事足りるのでは」
「あー……作るのは確定なんですね……」
 そんなわけで、次に行く迷宮の属性が決定した。
 ――そうしてひとまず、ギルドへとやってきた。迷宮の情報も仕入れておきたいからだ。
「氷属性の迷宮? 近場だと二等級の迷宮があるけど、どうっすか?」
 受付担当の職員は、痩せて浅黒い肌をした、ゆるゆるに緩い雰囲気の少年だった。どう見ても子供だが、冒険者登録をしているはずなので成人であることだけは確かだ。
 エルフィリアは思わず目をぱちぱちとさせた。
「お姉さん、見ない顔だけど最近こっち来た人? 俺が相手だと不安っすか?」
「いいえ、受付に若い人は珍しいので驚いただけです。不快にさせていたら申し訳ありません。それから、先日登録したばかりの新人ですので、お手柔らかにお願いいたします」
 年若い冒険者といえば、とにかく稼ぐことと上に上がることに貪欲だ。高報酬の依頼を狙ったり、稀少な素材や財宝を求めて一攫千金を夢見る者も多いのである。それが、早々に離脱して受付なんぞをやっているとは珍しい。
「やや、お姉さん、正直者の上に丁寧っすねえ。俺はリスクが嫌いなだけなんで。ギルドで働きゃ安定した収入が入るんだから楽なものっすよ」
 ――とはいうが、冒険者にはその、事務作業だとか定時で働くだとかが苦痛な者が数多くいる。それが苦にならない時点で一つの技能なのだろう。
「そんで、どうするっす?」
――あ、ええと、あまり遠くない範囲でもう少し等級の高いところはありますか。四か五ぐらいあるといいのだけれど」
「えっお姉さん、新人さんなんすよね? もっと低いとこじゃなくて大丈夫っすか」
 少年はあわあわと慌てている。どうやら心配してくれているらしい。
「私には、従者もいるので大丈夫ですよ」と迷宮について聞き出し、「それから素材を売りたいのですが」と皮と肉の残りを取り出した。
「わ、新人さんにしてはちゃんとした処理がされてるっすねえ。ありがたいっす」
「お肉は魔力が抜いてありますが――
「魔力抜きっすか? 品質にムラが出るんで、別室で確認しないと買取れないっすけど」
 ――前のギルドでもこの流れだったなあ、とエルフィリアは思い返した。
――では、よろしければお味見を」


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2023 06 18