「乾杯ー!」
 掲げたジョッキを互いにぶつけると、かこんっ、と明るい音が響いた。
「いやー、ひとまず、冒険者昇格おめでとう!」
 イズが上機嫌にお祝いを述べた。記念におごってやると言われて、エルフィリアとアルカレドは酒場に連れられてきたのだ。これは、アルカレドの登録祝いも兼ねている。無論、エルフィリアのように半年もかけるわけはないので、今週中には昇格するだろう。
「有難うございます」
「いやいや、宿の食事と比べたら全然上品じゃないけどねえ、まあ気分ってことで」
 エルフィリアが泊っている宿は、一泊金貨一枚もする高級宿だ。といっても、高級宿の中では下の方である。風呂は一人でゆっくりのんびり入りたい、というエルフィリアの要求を優先しようと思ったら、風呂付きの個室は最低でもそれぐらいはする。アルカレドにも個室を用意してやろうとしたがさすがに気が引けたようで、個室に付いている従者用の部屋を居心地悪そうに使っているのだった。
「ふふ、――一度来てみたかったんです」
 酒場なんて粗野で騒々しいところに来たのは、エルフィリアの希望だ。
 物珍しげに辺りを見渡しながら、エルフィリアは両手でジョッキを持ち上げて、舐めるようにちびりと中身に口を付けた。
「うわー、お上品に飲むねえ……成人してるのはわかってるけど、酒を飲むイメージがないわ」
「ワインやウィスキーは家にもありましたよ。ただ、こういうものは、あるのは知っていましたけれど見る機会すらなくて」
 エルフィリアの手にあるのは林檎酒シードルだ。林檎の甘い香りがしているが、味は意外とそれに比例しない。「……思ったよりも、苦いものなのですね」
「あー……甘口のやつも探せばあるよ。次はホット蜂蜜酒ミードでも頼もっか。えっと、お嬢さん……っとと、エルフィリアちゃんて呼んでもいい?」エルフィリアが頷くと、「エルフィリアちゃんってまだ十代なんだっけ」
「はい、春には十九ですね」
 春年齢、という一般的な歳の数え方がある。誕生日ごとに数えると同い年でも年齢がずれて把握しづらいので、春に誕生日が来るという数え方をするのだ。何月に生まれたとしても、歳を増やすのは春だということになっている。春というのは一応四月を基準にしているが、地域によっては少しずれるところもあるようだ。逆に、乳幼児はわかりにくくなるため、二歳までは春年齢で数えないことが多い。
「はー……わっかいねえ……イズさんなんておじさんだよお」
「……もしかして、もう酔っていらっしゃる?」
――いや、単にこういう態度なだけですよ」
 アルカレドが、たんっ、とジョッキの底でテーブルを叩いた。もう飲み干してしまったらしい。「麦酒ビアをくれ」と遠慮なく次を頼んでいる。
「……あんた、人を愛称で呼ばないんだな」
 ふと気付いたように、アルカレドはイズに言った。
 他人に対するイズの距離の詰め方を見ると、勝手に略称で呼び始めてもおかしくないという印象はある。
「えー、そう? ほらイズさんってさ、一息で呼べちゃう名前だから、ちゃんと長い名前の人って羨ましくって」イズはぐびりとジョッキを傾ける。「だからさ、ほら、名前を大事にしたいというか、ちゃんと呼びたいなあってえのがあるっていうか」
――わかります」
 エルフィリアは思わず同意した。イズは自分の意見が一般的でない自覚があって言いづらそうにしているのだろうが、生前のエルフィリアの記憶も、似たような考えを持っていたのだ。
「自分にとっては、きちんと名を呼ぶことが敬意の表し方なのですよね。愛称を軽んじているというわけではなく」
――え」
 息をこぼしたのは、イズばかりではない。
――アルカレド? 頬が赤いですが」
「えっ、別に? ……酔ったんですよ」
 エルフィリアが声を掛けると、アルカレドはぷいと顔をそむけた。
「あっもしかしてアルカレド、愛称呼ばれなくて拗ねてたん――」イズが言い終わる前に、アルカレドはがつんと椅子の足を蹴った。


 冒険者には階位がある。
 上位だの下位だのと大雑把に分類されることも多いが、実際にはその実力によって具体的な階位に分けられている。
 階六位から始まり上位は階一位となる。つまり、新人のエルフィリアは階六位だ。
 誰であっても、六位から始めて順当に上がっていく必要がある。冒険者とは客商売だからだ。つまり、依頼を受ける手続きをし、期日内に行い、報告を上げるという行為を続けていけるということを証明しなくてはならない。信用の積み重ねが、階位の高さということである。
 ちなみに、階一位の上に、特位という階位が存在する。これは、一位までは同じような実力差で分けているが、一位になるとそれ以上の者もごちゃ混ぜになっているので、区別のために特位という階位に上げたものだ。一位よりも上なのでそこに属する者をゼロと呼んだりもする。
「イズさんは何位ですか?」
「あー……うん、イズさんはね、一位」
「まあ」
 思った通り、イズはかなりの実力者だったようだ。
「えー、でもイズさんってば、ステルス特化の単独型だから、正当派の人と比べるとあんまりちゃんとした一位じゃないんよねえ」
 期待しないでねえ、と気の抜けた返答をして、イズはジョッキを口に運んだ。
――けれど、それなりの依頼はこなされてきたということなのですよね?」
「うーん、まあねえ、ギルドからの調査依頼も多かったから」
 迷宮の調査ばかりではなく、素行調査や内偵のようなものもあったようだ。幅広い内容に対応しているので、その辺りの素養が階位に繋がったと見える。
「エルフィリアちゃんも、階位はすぐに上がるでしょ」
 気休めではなく、まったく疑っていない様子で言われたが、エルフィリアには常々疑問に思っていることがあった。
「それについてなのですが……そもそも、階位って上げる必要があるのでしょうか」
――え?」
――は?」
 ぽかんと口を開けた男二人をおざなりに、エルフィリアは熱々のグラタンを、はふ、と口に入れた。
「えっ、なんで? 普通上げるよねえ……?」
「ええと」とエルフィリアは林檎酒シードルで口の中をリセットする。「階位を上げる必要性って何です?」
「えっ……上位だと、報酬の良い仕事がある?」
「では、報酬にこだわらなければ?」
 む、とイズが口を結んでしまったので、次に口を開いたのはアルカレドだ。
「自分の実力を、周囲に知らしめられる……?」
「その必要がなければ?」
「そう返されると困るんですが……だって、そういうもんじゃねえんですか?」
 階位を上げるのは当たり前だ。そう思われているが、――では、何故当たり前なのだろうか。
 そう考えると、特に必要ないな、という結論になってしまったのだ。
「私が冒険者になった理由は自由な身柄のため、冒険者を続ける理由は素材の入手のためです。――では、階位を上げる理由は?」
 迷宮に入るために階位が必要なら上げるが、負荷があるため階位による入構制限は掛からないのだ。
「そう言われると……」
「ないねえ……」
 男二人はがくりと肩を落としてしまった。上を目指すというのは、男の浪漫だったりするのだろうか。
「アルカレドは別に、好きに目指しても構いませんよ……と言いたいところですが、現状では単独で依頼を受けられませんね。まあ、報酬は有難いので納入依頼はこなしてもいいかなあというぐらいです」
 薬草などは枯渇すると困るので必要な仕入れとしてギルド指定の品となっている。そういう品を納入すると、別途報酬が貰え、実績として計上できるのだ。無論、仮登録時のエルフィリアのように、実績に付けないこともできる。追加の報酬も貰えないが、大衆への奉仕としてそうしている冒険者もいるらしい。
 結局、いくら報酬が良いといっても、エルフィリアは他人の要求や期限に合わせることにはあまり惹かれないのだ。好きな素材を探して試す方がよほど面白そうである。
「とはいえ宿代は稼ぎたいので、定期的な収入は欲しいところですけれど」


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2023 06 16