奴隷と令嬢

【第二章】

――はい、これで正式に冒険者ですよ」
 冒険者ギルドの職員は、にこにこと手続きを請け負った。
 彼女にとっては幾度となく行った業務の、取るに足らない一つなのだろう。
 しかしエルフィリアにとっては、これが最初の一歩、念願の一歩である。
 手続きは、この国に来て三日と経たぬうちに終えた。といっても、あと一つの依頼で仮登録から本登録に上がれる状態だったため、簡単な採集を一つこなしただけだ。
 新しく身分証が手に入ったので、エルフィリアにはやりたいことがある。
――では、ギルド長をお呼びいただけますか」
「はい……?」
 職員の口元は、笑顔のまま固まった。――さすがに、前のギルドのようには話が運ばない。
「あの、お約束はお済みでしょうか……?」
 問いながら、職員はちらとエルフィリアの後方を見た。
 エルフィリアの後ろには、従者のアルカレドが不愛想に突っ立っている。
「いいえ。……けれど、お呼びにならなければ、後悔なさるかと」
「当ギルドは、貴族の脅しには屈しません。――いえ、もう貴族ではないですよね?」
 職員は強気にエルフィリアを睨みつけた。元貴族なのは間違っていない。たったいま手続きを終えたところなのだから、職員は情報を知っているのだ。貴族の娘が、用心棒のような犯罪奴隷を連れて、不躾に乗り込んできたのだと思ったのだろう。
 以前も似たような勘違いをされたなあとエルフィリアは思い返す。よほど、まともな貴族というのはこういうところにやってこないものらしい。
「……それは残念ですね。アウリセスの本部長からこちらの本部長への書状をお預かりしているのですが」
「おっ、お呼びして参りますう!」
 職員は、飛び上がりそうなほどに反応して、慌ててギルドの奥へと走って行った。ちなみに、本部長というのは基本的に首都のギルド長のことをいう。それ以外のギルド長は支部長だ。
「……意地悪ですね、お嬢様」
 後ろでアルカレドが、ちくりと嫌味をこぼした。
 無論、エルフィリアには少しも刺さっていない。


 生国アウリセスで公爵令嬢だったエルフィリアは、このランドイットで正式に冒険者になった。
 誰も自分を知らないところで自由の身になったかと思うと、開放感がある。なにしろ、貴族の感性というものがエルフィリアには合わなかった。なぜか生前の記憶のようなものが残っていて、そこでは奴隷だったということもある。とはいえ、贅や見栄えを是とする感覚が合わなかっただけで、仕立の良い服や美食はそれなりに好きである。実際は慣れていて贅沢だと気付いていないことも多いのだが、庶民的なものにほとんど抵抗がないことは確かだ。
 これからは、自分の目を琥珀色などと言わなくて済むとエルフィリアは思っていた。
 嘘ではないのだが、琥珀と言い切るには透明感が弱い。黄色味の強い黄土色、というのが正確なところだろう。貴族の間ではできるだけ綺麗な表現をするものだったのだ。榛色の髪も、つまるところ地味だと自覚している。
 知り合いの――この国まで付いてきてくれたのだから友人と言ってもいいのかもしれないが――イズも地味仲間だとエルフィリアは思っていた。背は高いが、大きいというよりは縦長の印象で、全体的にぼんやりとした眠そうな三十過ぎの男という感じなのだ。髪は赤茶だが、どちらかというと少し沈んだ色で、瞳は紫がかった灰色。光が当たったところに紫が見える色合いである。
 エルフィリアの従者の――現状は奴隷だが――アルカレドは、色だけをいうならば派手さはない。
 しかし、夜を溶かし込んだ漆黒の髪に、星の光輝をうつす銀の瞳では、到底地味などと言えない。たとえ右目が潰されていて、無骨な黒い眼帯がその上を覆っていたとしても、だ。とはいえ、着る服は黒が中心なので地味な装いだとはいえる。
 アルカレドはそこらの尋常な奴隷とは違い、一見すると傭兵のようだ。二十代半ばほどでそこそこ体格が良く、覇気がある。背丈は、エルフィリアより頭ひとつ上――とはいかないものの、肩のあたりがちょうどエルフィリアの目線になるぐらいの高さだ。エルフィリア自身は、立てた指一本分、平均より高い程度である。
 この国での知り合いは、現時点でこの二人だけだ。
 とはいえ、ギルドに出入りするのならもっと増えていくだろう。


――それで、用事があるのはあんたかい」
 別室で待っていると、ここのギルド長がゆるりと現れた。
「はい、エルフィリアと申します。こちらは従者のアルカレド」
 エルフィリアは立ち上がって挨拶をした。もう籍を抜いたので家名は名乗らない。今日はアルカレドを後ろではなく、横に同席させていた。
「あたしゃあ、ユーニスだよ。なんだい――誰かからの書状があるとか」
 ここのギルド長は、貫禄のある女性だ。見たところ五十手前ぐらいだが、しゃがれた声がもう少し上の年齢にも感じさせる。煙草か酒で焼けたものかもしれない。
「はい、アウリセスのトーゴさんからです」
 エルフィリアは二通の書状を順番に渡した。まずはエルフィリアの紹介状だ。
「……これを先に見せりゃあいいのに。あんた、うちの受付をいじめたね」
「いえ、少し印象付けておいた方がよろしいかと思いまして。その紹介状にも、あまり良くは書かれていない気がいたします」
 どうせ向こうでもマークされていたのだから、こちらでも気にされていた方がいっそ楽だという心地である。一番の理由は、書状を渡すのは一度の方が楽だという合理的なものだが。
「ふうん……まあ、自分を客観的に見れるならいいだろうさ。――うん? 要注意人物だと書いてあるね。“不利益をもたらすわけではないが、動向を把握しておかないと心臓に悪い”……?」
 なにやら妙な書き方をされているようである。アルカレドがふっと鼻で笑った。
「……それから、籍の通知についてお願いがあるのですが、半年後の通知というのは対応できますか」
 貴族籍を抜く際、国の方に通知をするかどうかという話である。通知する、しないのどちらか片方に規定すると、場合によっては「政治に介入しない」原則に抵触する。亡命などのケースだ。そのため、本人に選ばせるということになっていた。他国に行って冒険者になり、自国に戻って貴族籍を戻す、ということを繰り返している非常に変則的な冒険者もいるらしい。彼の場合は手続きが難儀するので通知しないことにしているそうだ。ただし貴族の名で不当な利益を得ることでもあれば、それは詐欺なので通報はする。
 つまり、籍を抜くとはいってもそういう扱いになるだけであって、記録がすべて書き変わるわけではない。貴族出身者はほとんど例がないとはいえ、他国で手続きを取ることが多いので厳密にしてしまうと手続き上煩雑になりやすいのである。そもそも冒険者登録自体が身分証を得るためだということも珍しくないので、情報を隠されると対応しきれない。
「実はわたくし、アウリセスの王子殿下から婚約破棄を賜りまして、すぐに籍を抜いてしまったら自分が追い出したせいで平民に落ちたと殿下が気に病まれるかと――
――待て、情報が多い!」
 エルフィリアは、ユーニスが情報を飲み込むまで待った。とはいえ、ひと呼吸する程度の間である。
「半年後というのは、痺れを切らした実家が追跡に来ないようにですね」王子が抑えてくれているだろうが、さすがに半年以上掛かっては捜索を始めるだろう。「両親は貴族らしくあることにこだわっておりますので、平民になったと知れば諦めてくれるかと。誘拐されてからそのままランドイットに来てしまったので、家にはあまり情報が伝わっていなくて――
――待て、情報を増やすんじゃない!」
 ユーニスは紹介状をぐしゃりと握り潰してから、はっとしたようにその書状を見た。
「こういうことか……」
 ユーニスは額に手を当て、深く息を吐いた。
「頭痛ですか?」
――誰のせいだと思ってんだい! はあ、まあいいか……で、もう一通はなんだって?」
 ユーニスは嫌そうにもう一通の書状を見た。アルカレドの推薦状である。中身を見る前に、エルフィリアから情報を得た方がいいのか迷っているようだ。
――このアルカレドを、冒険者として登録させていただきたいのです」
 エルフィリアは率直に伝えた。彼女もやっと身分証を手に入れたので、アルカレドの保証人になることができる。
――はっ、その犯罪奴隷をかい? 本気で?」
「ええ、そのために頂いた推薦状がそちらです」
 ふうん、と今度は幾分か冷静に、ユーニスは書状に目を通した。
「はあ、本気で報酬をるつもり――自由にしてやるつもりなのかい。配分は?」
 パーティを組む際の報酬の配分のことだ。依頼ごとに決めることができるが、あらかじめ定めておくとギルドに預けておくときに自動的に振り分けてくれるのである。アルカレドとは厳密にはパーティではないが、奴隷なので扱いは同じだ。
――半々にします」
 隣でアルカレドがぎょっとする気配がした。例によって事前に話を通したりはしていない。
「なんだ、随分と慈悲深いじゃないか――その奴隷は、いくら稼がなきゃいけないんだい」
「白金貨一枚分です」
 その瞬間、音がしそうなほどの沈黙が張り詰めた。
 そしてすぐさま、弾けるような笑い声が部屋の中を駆け巡る。
――はっはっはっは! あんた、女神のような顔で釣っておいて、悪魔のような女だねえ! 金のスケールがわかってないのは、お貴族様だからなのかい?」
 あからさまな侮辱だったが、横でアルカレドがうんうんと頷いていた。悪魔とは、人をそそのかす悪の化身のことであり、物語の中の存在である。
「奴隷とはいえ冒険者としての実力はあると書かれちゃいるが、それでも奴隷だ、あんたが行けるような迷宮じゃないと入れないじゃないか」
 ユーニスは、エルフィリアが払えもしない額を吹っ掛けたと思っているのだ。エルフィリア自身は、半年あれば稼げるだろうと思っていた。さすがにエルフィリアも、知らない土地に来て早々に一人になりたくはない。そのため、少し時間の掛かる額に設定したというところだ。金額が大きいほど、解放申立が受理されやすいということもある。
 自分の実力は随分低く見られているなと思ったが、よくよく考えれば、今日、仮登録から本登録に上がったばかりの新人だった。
「……あの、その書状には私のことは書かれていますか?」
――いーや、その坊やの推薦状だろう?」
 なんであんたのことを書くんだという顔で見られてしまった。つまり、推薦状にも紹介状にも、エルフィリアの実力のことは具体的に書かれていないらしい。
「……あの、もしかして、トーゴさんとは折り合いが悪かったりしますか」
「……険悪ってわけじゃないけどね、昔いろいろ競ったからねえ、腐れ縁ってところじゃないか」
「納得いたしました」
 ちらりとアルカレドを見ると、――気の毒に、という顔をしていた。


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2023 06 14