「……それで重要な話、っつうのは?」
 エルフィリアの顔を見て、アルカレドが促した。イズは単なるおまけなので、自身に関する話だろうということは理解している。
「ええ、私は、あちらに着いたら依頼をこなして冒険者になり、貴族籍を手放します」
 初めて登録のことを口にしたとき、アルカレドはそれがどういうことかわかっているのかと彼女に問おうとした。勿論わかっていたし、もう引き返すつもりはない。
 ――エルフィリアは、生前から憧れていた自由を手に入れる。
「ですからアルカレド、あなたはあなたで、その身の自由をあがないなさい」
――は?」
 アルカレドはぽかんと口を開いた。急に窓から放り出されでもしたかのような顔だった。
「ギルド長にお願いして、推薦状は頂いています。――アルカレド、冒険者として登録なさい」
 冒険者になれば、つまり――報酬が手に入る。
 ぴくっとアルカレドの眉が動いた。瞠目した銀色に、すぅっと鋭さが戻る。
「……あんた、もしかして初めっからそのつもりだったな?」
 徹底して奴隷と扱ったのも、決して境界線を崩さないのも、そのためだった。自分を奴隷だと自覚させ、本来の扱いは違うのだと思い出させるためだ。
――現状に満足されちゃあ困るもんねえ」
 敢えて場の緊張を崩すように、イズがのんびりと口を挟む。
 人は環境の変化を厭うものだ。
 現状に満足すればするほど、先にどんな厚遇が待っていようとも大きな変化は躊躇する。たとえ満足な境遇でなかったとしても、安定した環境を崩すことはストレスを生むのだから、その摩擦はできるだけ少ない方が良い。
「……まあ、どっかで手放すのかなとは思ってたよ。アルカレドにとって、不自由になるのはこの先だからねえ」
「今でさえ、自由に行動できないと不満を顔に出しますからね」
 うっ、とアルカレドは言葉に詰まる。事実なので、文句を言うに言えないのだ。
 今後不自由になる、というのはエルフィリアが貴族ではなくなるからだ。実家や寮にいる間は他の使用人がいたが、今後はアルカレドが付いていなければならない。それを拒めたところで、結局は彼女がいなければ外出もできないのだから同じことだ。
「購え、と来たか……あんたは本当に、奴隷のことをよく知ってる」
 はあとアルカレドは息を吐いた。
 ――施しではない。これは対価だ。
 見返りもなく自由にしてやることは容易だが、それが最良とは限らない。人は、安易に手に入るものの価値を低く見積もりがちだ。食事や寝床も与えてやったとしたら、それに対する感謝は続かないだろう。その感謝を、次第に強要だと感じるからだ。かといって労働を対価にするなら、解放した意味がない。自由を与えたと言ったところで本人にとっては状況が変わらないからだ。恩着せがましいだけである。
 では、ただ自由だけを与えて、解放してやったとしたら。恐らくは、自分から奴隷に逆戻りするだろう。先立つものがなければ結局困窮する、ということもあるが、容易に手に入った自由はまた手に入ると錯覚するからだ。それ以外にものを得る手段を知らないということもある。
 無論、そういう者ばかりではない。思慮深い者も自由の価値を理解している者もいる。そういう者にただ自由を与えると、それを施しだと受け取るだろう。施された自由では、削られた自尊心は回復しないのだ。抱えたものが感謝であれ屈辱であれ、それを与えた者との立場が対等になることはない。ものの価値を知る前の幼子が相手でもなければ、何の憂いもなく施すのは難しい。
 ――だからこそ、自らの手で自らの自由を購う必要がある。
 対価を払えることが己の価値なのだ。
 ――もしかするとそれは、エルフィリアのもう一つの望みだったのかもしれない。奴隷が自らの手で自由を手にすること。生前の記憶の残滓が、それを成し得なかった痛みを知っている。感情は現在に引き継がれていなくとも、その憧れはきっと焼き付いているものだ。
「……それでお嬢様、俺の価値はいくらなんです?」
 一般奴隷ならば自分が売られたときの値段で自分を買い戻せるが、犯罪奴隷は話が違う。主人が死亡しても、自動的に解放されることもない。国に回収されてまた別の主人が決まる。
 容易に解放されては困るため、条件が指定されているのだ。解放自体が禁止されていないのは、一応の救済措置だからだ。まれに、冤罪の者や必要以上に罪を盛られた者が混じっているからである。抜け道は用意しておくから自助で頑張ってねという司法の怠慢ともいう。
 犯罪奴隷は、主人がその価値を決定する。最低でも金貨三十枚という下限が設けられているが、貴族ならば容易に払える額だ。宝飾品を一つ買う程度である。しかし、実際に貴族が犯罪奴隷を解放するということは身内でもなければほぼ起こりえない。自らの評判に関わるからである。
 ちなみに犯罪奴隷の場合は、支払先が主人ではなく裁判所になる。犯罪奴隷になるのが判決によるものなので、司法の管轄なのである。命令書がなければ首輪を外すことができない。正式な申立書や保証人の身分証なども必要になるため、良からぬ者が犯罪奴隷を解放しようとすればすぐ情報を握られる仕組にはなっている。主人が丸損になってしまうので、買ったときの値段分は裁判所から返納されるという手順だ。
――ええ、あなたの価値は白金貨一枚です」
「は……っ!?」
 答えを得たアルカレドは絶句した。白金貨一枚。つまり金貨二百枚、高級奴隷並みである。
「なんっでそんな値なんですかねえ!?」
「あなたの価値ならそれぐらいはあるでしょう。大丈夫、冒険者ならばすぐ稼げますよ」
「……なかなかにえげつない」
 ぽそりとこぼしたのはイズである。
「もうちょい、金額に手心を加えるのは――
「できませんね、既にギルド長には保証人になっていただいていますし」
 宣言書の保証人のことだ。「主人はこの金額で奴隷を手放すと宣言したことを保証する」という保証人である。
「くっそ……!」
 エルフィリアが一枚上手であった。
「……それから、今後の生活のことなのですが」
「まだなんかあるんですか」
「新たな拠点に悩んでおりまして。宿だと調合などが行えませんので」
 冒険者の生活上の拠点といえば、基本的には宿である。
 迷宮行きなどで移動が多いので、家を買ったとしても滞在時間が短くなるのだ。移動先でもやはり寝床が必要なため、宿が一番手軽である。駆け出しのころは安い定宿を決めておき、拡張式鞄を持つようになったら好きなところに移動する、というパターンが多い。
「うーん……まあ、家を借りるっていう手もあるけどねえ」
 賃貸の斡旋は冒険者ギルドでも行っている。二週間単位で借りられるので手軽だ。冒険者パーティでまとめて借りているというのもよくあるパターンである。
 冒険者が家を持つことが少ないのは、死亡した場合の手続きがやや面倒なのでギルドが良い顔をしないからだ。失踪による登録停止から五年経った場合も死亡扱いとなる。相続人がいなければ、ギルドが家を接収して国に委ねるという手順になる。残った財産はギルドが没収するが、金額に応じて一部の上納金を納める必要もあるのだ。ギルドに預けられていた金は登録停止時点で没収されてしまうが、それも税金の対象となる。ちなみに相続について、血縁者と配偶者以外の冒険者は相続人にできないという規定があるが、ペットの処遇についてはこれを問わない。
「家を借りるというのは魅力的ですけれど……宿なら掃除やベッドメイクのサービスがあるので悩ましいですね」
「ああ、やっぱりお嬢様だもんねえ」
「いえ、自分の分は構わないのですけれど――」生前の記憶があるので、身の回りのことを自分でするということに抵抗はない。「アルカレドの分も、というのは本末転倒ですからね。かといって掃除などを任せられるかというと――
「……は?」
「えっ待ってお嬢さん、アルカレドと一緒に住む気あるの?」
 なぜだか男二人が慌てているので、エルフィリアは首を傾げた。
「アルカレドだけ宿を取るのは、非効率だし不経済ですよ?」
 誰かに家事をさせれば良いのだが、奴隷をさらに増やしたくはない。かといって、滞在期間だけ雇ったり辞めさせたりもしづらいし、毎回別の人を雇うとなると信用できる相手の見極めが難しくなる。
「調合する場所だけ、どこか借りられないかと考えているのですが」
「う……うん、ギルドに相談してみたらいいかもねえ」
「そうですね」
 エルフィリアはふうと息を吐いた。今日はいろいろなことがあって既に疲弊しきっている。
 自覚するとますます、手足が鉛のように感じてきた。慣れてきた馬車の振動が心地よく、商業ギルドから借りて膝に掛けている毛布もじんわり温かい。
 ――うと、と目蓋が重くなる。ゆるく身体の力が抜ける。
「あー……いくら規格外っつっても、やっぱお嬢様だな」
「……だよねえ、これは、奴隷のことは男だと思ってないやつぅ」
 男二人のひそひそ声がもう、微睡みの奥に遠い。
 ――馬車はがたごと音を立て、隣国目指して駆けてゆく。
 夜更けの月が、皓皓こうこうと光を落とす道行みちゆきであった。

<第一章:了>


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2023 06 04