「……どしたのアルカレド、なんか疲れてない?」
「うっせえよ」
エルフィリアが戻ると、アルカレドがイズに噛みついていた。一足先に戻ったアルカレドは、イズが気付く程度にぐったりしていたらしい。
「着替えの手伝いを頼んだだけですよ」
「きが……っ、え、あっ、イズさん聞かなかったことにするね……」
なぜだかイズに気を遣われてしまった。
エルフィリアは首をひねりつつ、ギルド長の方に向き直る。
「――皆々様、この度はお世話になりました」
「はい、エルフィリアさんもお気をつけて」
グレイシーの返事が先になり、ギルド長が後に続いた。
「向こうに行っても頑張れよ。それとな、イズも付いていくつもりだそうだが」
「えっ」
エルフィリアが驚いて顔を上げると、イズはへらりと笑った。
「いやー、お嬢さんに付いてった方が面白そうだし。それに、楯についてもまだ教えてもらってないでしょ」
「あ、そうですね……一緒に来ていただけるのでしたら、こちらとしても助かります」
見知らぬ土地へ行くのに、知り合いは多い方が良い。
馬車に乗り込むのは、御者を除けば、エルフィリア、アルカレド、イズ、商業ギルドの職員が一人、ということになりそうだ。
夜中なので小声になりながら、馬車の前までぞろぞろと連れ立った。
「――それでは。不肖エルフィリア、しばしの暇をいただきます」
背筋を伸ばし、丁寧にカーテシーを披露する。
しばらくというのが、数ヶ月になるか数年になるかはわからない。エルフィリアは、この挨拶を本心では兄に送りたかった。
実はエルフィリアにとって、慕わしい兄というならば長兄の方である。ここ半年は次兄とも親しく言葉を交わすようにはなったが、実際のやり取りは数日程度でしかない。交流があったというならば、長兄の方がよほどある。ただ、長兄はあまりにも融通が利かないタイプだ。情よりも規律を優先させる男であり、今回のことが知られていれば、エルフィリアを逃がすことよりも、より良い縁談を組む方に心を砕いただろう。それを冷徹にやれば嫌いにもなれるのに、そうでもないところが慕わしい要因なのだ。ちなみに両親との仲はといえば、完璧に事務的なやり取りしか覚えがない。
エルフィリアが逃げると家々との関係に影響が出るかもしれないが、具体的な実害というものはないはずだ。現状では、王宮ともそこまで関わりがなかった。婚約というのは政治的な扱いであるがゆえに、状況によっては変更になることもあり得る。そのため、婚姻までは王家の人間として扱われず、政務に携わることもなかったのだ。さすがに王子妃にふさわしい教育は必要だったろうが、王子すら寮にいる学生の間は免除されているという趣でもあった。今後のことは、気持ちの上でもシャーロットに託してここを去る。
――乗り込んだ馬車の車輪が、軋みを上げて回り始めた。
乗り心地はといえば、冒険者ギルドのものよりはよほど良いものであった。
「――そんでさ、あの楯の秘密を教えてよ」
馬車が走り出し、スピードが安定したところでイズが切り出した。
「それはですね。――これです」
エルフィリアは腕を上げて、左手首の腕輪が見えるようにした。
「それ、今日も着けてたんですか」
アルカレドが声を上げたのは、それが魔石の腕輪だったからだ。彼も、貴族が装飾用に使うものではないことは知っている。
「実際には、着けていたわけではなく持っていただけですが」
さすがにパーティに着けて行くわけにはいかなかったが、ドレスの隠しに入れていたのだ。
これが兄と繋がっている証のようで、お守り代わりに持っていた――と言いたいところだが、実のところ、自衛の意味もあった。
「実はこの魔石には――」
とエルフィリアは腕輪を外して指でなぞる。四角錘にカットした魔石が八つ、ぐるりと埋め込まれている。
「魔法をストックしてあります」
「……は?」
イズは、眉間に手を当てて沈思した。
「……その、言ってる意味が――」どういう方法で、と尋ねる前の段階が飲み込めない。
代わりに、アルカレドが後を引き取った。
「魔石に魔法を込めることはできねえって話でしたが」
魔法をそのまま込めようとすると、その場で発動してしまうので意味がなかったのだ。
「ええ、ですが、発動前の術式なら込められるということがわかりました」
魔石に触れて発動語を唱えると、術式が完成して魔法が放たれるという仕組みである。
手が自由になった際に、隠しの中の腕輪に触れたのだ。
「先ほど中身を使用したので、補充しますね」エルフィリアは杖を取り出し、先端を魔石に当てた。「イメージとしては、魔力を糸のように細くして捻じ込むような」
「うわー……見てるだけで疲れそー……」イズは、ひえっという表情を浮かべた。かなり集中力の要る作業であることは理解できるのだ。――そこでふと、何かに気付いた顔をする。
「――あれっ、無詠唱でやんの?」
「どうにも、声に出すと魔力が流れてしまうようなので」
エルフィリアは説明する。詠唱は声に魔力が乗りやすいのだが、スタンバイ状態になってしまうらしい。発動するまで、発声時に魔力が放出され続けてしまうのだ。非効率なので、無詠唱に切り替えたというわけである。
「ストックねえ……なるほど、“役立たず”の魔法でもどうにかなるってわけなんだ」
防御魔法は、人によっては防御壁や楯とも呼ぶ。
それは、役立たずの魔法と言われがちだ。人によってイメージするものが違うので、構成要素は土だったり風だったりするのだが、どれにしたって“間に合わない”魔法なのである。攻撃のタイミングがわかっていれば別だが、実情はわかってから準備したところで遅い。
「貴族なら、まだ使える魔法でもありますよ」
エルフィリアが答える。使い物にならないのは、低位の魔法ほど術式が長くなるからだ。高位魔法ならだいぶ短縮できるので、使用する機会がなくはない。ただしそれも、近接攻撃では難しい。学院での模擬戦闘では、互いに離れた位置から魔法を打ち合うので、来るとわかったタイミングで準備することはできる。ただ、攻撃魔法をぶつけて相殺するという方法を取りがちなので、実戦でもあまり使用されない魔法ではある。
エルフィリアが構築に苦労していたのは、それを短く、すぐに展開できる術式にしようとしていたからだ。
「しっかし、楯の魔法だけにするとは思い切ったね」
「――そうですか?」
腕輪に入っているのは、すべて防御魔法だ。これを、一つ一つ別々の魔法に取り替えたところで、適切に選んで発動できるかは疑問である。そのため、咄嗟に発動する必要のある魔法だけを詰めたというわけだ。発動語も一つなので、迷う無駄がない。
「……でも、そっかあ、ストックすれば同時に発動できるんだ。それで楯を二枚張れたってことなんだねえ」
「いえ、正確には四枚ですが」
「――は?」
「これは、対物理用と魔法用の防御壁を交互に詰めておりますので、使用時は二つで一セットです」
刹那の間では判別している暇がない。二つ同時に展開しておけば間違いなかろうと考えた結果だ。つまり、発動したのは二枚ではなく二セットなのである。
「二種類なの……あ、でも発動語が同じなら理論上は可能……でも同時発生が四つ……頭痛くなってきた」
うーん、となぜかイズは煩悶している。
ちなみに、一つの魔法に集約させず別々に振り分けているのはその方が効果的だからだ。ストックならば術式の長さは問題ではなくなるものの、特化させた方がより術式が洗練されるので威力も高まるのである。
「――あ、あのぅ……それ、私が聞いてもいいやつなんですかっ!?」
聞きなれぬ声に顔を向ければ、商業ギルドの職員が端に寄ってぴるぴると震えていた。
――すっかり忘れていた。こちらは、彼らの馬車に乗せてもらっている立場である。エルフィリアとアルカレドが並び、その向かいにイズと職員が座っていたのだ。
「良いか悪いかで言えば、よろしくないですね」
ふむ、と考えながらエルフィリアは答えた。テクニックそのものは知られても構わないものだが、自分の手の内が広まるのは好ましくない。
言いふらさないでくれればそれでいいのだが、職員の顔はますます青ざめる。
「――さて、これから重要な話をするのですが」
エルフィリアは、イズとアルカレドに向き直って話を仕切り直そうとした。
それを聞いて、職員はひぃっと飛び上がった。今までのは重要な話ではなかったのかとでも言いたげである。
「あ、あのっ、私、御者台に行って参りますぅううう!」
慌てて馬を停めさせ、止める間もなく職員は逃げて行ってしまった。
臆病な男である。
2023 06 02