――あら」
「誰かいますね」
 たどり着いた地下二十層、ボス部屋の前に長身の男がいた。
 迷宮は広く数多あり、潜る時間帯や階層もバラバラだ。人気の迷宮や新規の迷宮でなければ誰かとかち合うことはさほどない。エルフィリアも、吊り果実の収穫に行った際に一度どこかのパーティを見かけたぐらいだった。
――こんにちは」
 相手がこちらに気付いたので、エルフィリアは声を掛けた。
 この先のボス部屋に行きたいので、どうしたって傍を通ることになる。その状態で無視というのもあからさまに過ぎると思っただけだ。
「おや、お嬢さん、こんにちは。お一人とは珍しいねえ」
 男は少し値踏みするようにエルフィリアを見た。
「お言葉、お返し致します」
 男の方こそ、見たところ一人だった。不躾に見られているのだから、こちらだって観察し返してもいいだろうという気になる。
 髪の色は赤茶、瞳の色は紫がかった灰色。色の地味さではエルフィリアといい勝負だ。眠そうな目をした、三十過ぎぐらいの男である。背丈はあるが体格はあまり大きくはない。魔力は、アルカレド以上、エルフィリア未満といったところか。
 相手がアルカレドを勘定しないのは奴隷だからだろう。ただの荷物持ちだと見なしているのかもしれない――と思ったが、アルカレドを無害と判ずるほど鈍そうにも見えない。これは、エルフィリアを貴族だと見て奴隷を数に入れないことにしたのだろう。一緒にすると気分を害する貴族がいるからである。
――見ない顔ですね。冒険者の方ですか?」
 エルフィリアは探りに入る。実際は、冒険者の顔などほとんど知らないのだが、何かしら情報がもらえるかと思ったのだ。貴族の扱いに少しは通じているようだし、エルフィリアの素性が知られていては都合が悪い。
「……ああ、一ヶ月ほど前にこの国に来たばかりなんだよねえ」
 男の返答は自然体に見える。この言葉が本当なら、エルフィリアのことも何も知らないのだろう。一ヶ月前ならばだいたい登録切り替えの時期で、ギルドにもあまり顔を出していない頃だ。
「それで、パーティを組む相手もまだ決まっていないということですか」
「いやあ、元々一人なんだわ。――お嬢さんは?」
「私は、まだ仮登録ですので」
 それを聞いて、男はぎょっとした顔をした。
――え、仮でこんなとこ居んの? どんな戦い方すんのか、ちょっとお兄さん見てっていい?」
 友好的な姿勢を見せすぎたらしい。どうしようかな、とエルフィリアが思ったところで、アルカレドがかばうようにすっと前に出た。
――あ、警戒された? 実はお兄さん、先遣とか調査みたいなことやってて、様子見に来ただけなんだよねえ。お兄さん、イズさんって言うんだけどね、この先のボスは譲るから見学さしてくんない?」
 男の名はイズというらしい。こちらに興味を持ったのか、つるつると言葉を吐いていく。ずいぶんおしゃべりな男だ。話の内容を聞くに、情報屋か、それに近いことをしているのだと思われる。
「……お嬢様、どうしますか」
 剣の柄に手を掛けたアルカレドは、エルフィリアが嫌がったら追い払ってくれるつもりではあるらしい。
 それを見て、男はまたぎょっとする。これは、黒い首輪の意味も知っているな、と推測できる。アルカレドの剣呑さが恐いのではなく、犯罪奴隷が積極的に主人を護る姿勢を見せたことに驚いているのだ。
「……まあ、いいでしょう。邪魔はしないでくださいね」
 追い払ったところで付きまとわれても面倒だ。既に貴族だと思われているなら、高位魔法を隠す意味もあまりない。それに、胡散臭さはあれどあまり悪い人にも見えなかった。
 ――というのが、エルフィリアの判断である。


 二十層のボスは、情報通りフェレス種の雷牙獣だった。
 二本の長い牙がはっきりと見て取れる。頭でも噛まれたら、あっという間に肉片にされてしまうだろう。
――アルカレド。一発は受けて頂戴」
「……わかりましたよ!」
 まだやるのかという投げやりの返事だったが、ボスにも通用するならわりと良い装備になったと言えるのだ。
 とはいえ、この魔物は直接獲物を手に掛けたいたちらしい。柔らかな肢体のバネを使ってアルカレドに飛び掛かり、魔法を使う気配がない。彼はそれを紙一重で避けながら、牙や爪を剣で弾いている。
 ボス戦では、アルカレドが囮になっている間にエルフィリアが魔法を準備する、というパターンが決まってきた。
 アルカレドが戦っているのを離れたところで見物していると、後ろからこそっとイズが声を掛けてくる。
「……ええと、奴隷くん、助けてあげなくて大丈夫?」
「魔法を使うのを待っているのです。それに、私の従者はまだまだ余裕ですよ」
 回避がぎりぎりなのは、魔物を引き付けているからに過ぎない。エルフィリアが標的にならないようにしているのだ。ちなみにイズの方は気配遮断が使えるらしく、魔物からはちらとも視線を向けられていなかった。
 焦れたのか、魔物は一度大きく跳躍して距離を取る。
 アルカレドは、魔物とエルフィリアとの線上にさりげなく位置を取った。主人が狙われないようにである。
 魔物はいつでも飛び掛かれるように頭を下げたが、帯電の火花がぱちぱちと散った。魔力を集約しているのだ。ガウと唸り声が一つ。
 ――次の瞬間、雷撃が白い帯となってアルカレドまで走った。
 アルカレドはマントを纏わせるようにした腕を前面に出す。当たった、というのを確認して、エルフィリアは魔法を解き放った。
「《水をここに》!」
 大量の水が、ばしゃりと魔物の上から降り落ちる。
――ちょっ、お嬢さん、雷に水はマズイって!」
 イズが慌てた声を上げた。濡れたところに雷が落ちると感電する、そんなことぐらいエルフィリアは知っている。しかし、――次の帯電よりもエルフィリアの術式構築の方が早い。
「《氷雪をここに》!」
 濡れた部分が氷になり、びきびきと魔物の全身が凍る。芯までは凍っていないはずだが、表面が凍り付くとほとんど動けないことに変わりはない。手足だけを狙ってもすぐに突破されそうな気がしたので、全身凍らせることにしたのだ。
 ――やっと終わったか、という様子でアルカレドが止めを刺した。
 戦闘終了のようなので、エルフィリアはアルカレドの傍まで近づいた。イズも後ろからついてくる。
「……奴隷くん、大丈夫?」
「アルカレド、マントの機能はどうでしたか」
 当たった後の様子を、エルフィリアは確認していないのだ。たとえ貫通していたとしても、動けなくなるほどではないと予想していたに過ぎない。
 アルカレドはイズの方をちらりと見たが、主人はエルフィリアである。当然、そちらの方に返答した。
「あー……まあ、貫通はなかったですね。これ、牙を取ればいいんです?」
「毛皮もですね。二人分はいけそうなので、これでコートを作りましょうか。間に合わせのマントよりは、性能が高いと思いますよ。そうですね……これ、帯電中に倒せば、魔力の詰まった状態の牙が取れるのでは」
「……試してえんですか」
「えっ待ってイズさん付いていけてない!」
 イズが混乱した声を上げているが、アルカレドは無視した。
 解体が始まったので、エルフィリアは離れたところに敷物を敷く。
 ゲストもいることだし、とアルカレドを待たずに鞄からティーセットを一式。カップとソーサーは五客セットで購入したのでイズの分も準備が可能だ。
 エルフィリアは熱を加えた水球で、ポットとカップを温めた。
 水球を魔素に分解してからポットにティーメジャーで茶葉をすくい、ケトルに沸かした湯を注ぐ。ちなみに紅茶の缶は、使い切れるように小さめのものを買っている。タイマーをセットして、蒸らす時間を増やすかどうか一思案した。
「イズさん、砂糖とミルクはどうなさいますか」
 保存に困るので基本的には代替品のミルクだが、ときどきは厨房から牛乳を貰ってくるのだ。今日は菓子も作ったので牛乳の方だった。
「あっじゃあミルクだけください……えー、お嬢さん、規格外すぎるぅ」
 変な人に声を掛けてしまったという態度だが、それはお互い様である。


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2023 04 20