「うえーん、美味しい……」
「それはようございました」
 イズの上げる声にエルフィリアは返答する。
 今日はラムレーズン入りのパウンドケーキを焼いてきたのだ。大人の味ということで、寮内では菓子作りにラムレーズンを使うのが人気となっている。成人済みなので飲酒は解禁されているのだが、さすがに学院内での提供はない。寮でも同様に、ということで酒を提供しない代わりにラム酒に浸けたものは作ってもらえるのだ。他のドライフルーツも同じく。
「迷宮の等級について意見を聞こうと思ったんだけど、お嬢さんに訊いても無意味っぽいね」
 イズは少し居心地悪げに皿をフォークでつつく。アルカレドが手づかみでむしゃむしゃと食べているので、それにならいたいのかもしれない。とりあえずはお上品なエルフィリアに合わせているといったていだ。
――等級、とおっしゃいますと」
「ここ、確かに魔物の強さは三等級相当だけど、帰還ポイントが十層までないでしょ。それに、中位の冒険者でも準備コストが重――あ、待ってお嬢さん、そこからぴんときてないお顔」
 正式な冒険者になる前にこんな迷宮まで来ているので、エルフィリアは冒険者の段階的な経験則というものをまったく理解していない。イズは、そういう話をしているようである。
「……冒険者って確かに稼げる職業だけど、それって上位の冒険者だけなんよ。下位の方は一ついくらの分を数で稼ぐしかないわけ。中位になると少しは稼げるようになる。魔物素材がそこそこの値段で売れるようになるからね。でもその分、装備に金が掛かるわけ。強い魔物と戦おうと思ったら、性能の良い装備が必要になる。良い素材は値段が高い。だから強い魔物を狩る。ね、堂々巡り」
 そこで口を湿すように紅茶を一口。
「中位になるとさすがに拡張式鞄も欲しいし、宿代と装備の修理代も確保しなきゃなんない。良い装備になるほど修理代も高くつくし。そこでさらに属性対策の装備っていったら金がないんよ」
 武器に金が掛からないといったら魔法士ぐらいだ。剣は当然として、弓なんかは補充も大変なのである。万が一の上級回復薬も一本で金貨二十枚となれば、なかなか冒険的な狩場には行けない。パーティ単位となればなおさらである。
「そういえば、イズさんは属性用の防具、付けていらっしゃいますか」
 見たところ、それらしい防具はなく軽装である。
「あー、イズさんはけっこう、その時々で買って、要らなくなったら売っちゃう方。今回はさらっとで良いかなと思って防具は買ってないんよ。代わりに耐性薬飲んでる」
「耐性薬……そのようなものが」
「うん、一本で大銀貨一枚ぐらいだから、金貨何十枚の装備買うよか手軽よねえ。ただ、万能ってわけにはいかんかな。三時間ぐらいしか持たないし。ダメージは軽減されるけど感覚が無くなるわけじゃないから、雷のはぴりぴりするし炎のはひりひりするし氷のは手足が冷たくなっちゃうんだわ。あと実際、装備には効かんから、炎のは耐性ないとまず装備が燃える。かといって呼吸で咽喉が焼けるのも困るから、結局両方必要になんだよねえ」
 ――あとは飲むと気分が悪くなる、とイズは言ったが、それは魔力反発のような気がする。魔物素材だと、魔力を完全に抜くのは意外と難しいのだろうか、とエルフィリアは思った。
「……まあ、そんなわけで、属性の迷宮ってのは準備コストが重いんよ。お嬢さんの方は、何の素材の防具で――ん、あれ、これただのマント?」
「何の変哲もないマントに、雷耐性を付与した物ですね」
「へえー、そんなものがあんだね……普通は属性魔物の皮で作った防具とかなんだけど。でもいいなあ、これ、薄くて軽くて使いやすそう。いくらぐらいのやつ?」
 ふむ、とエルフィリアは顎に手を当てた。魔物素材は一つ金貨二枚ぐらいした気がする。抽出液などは自前のものなので――
「素材が金貨四枚ぐらい、マントが二枚で半金貨ぐらいだったかしら」
 半金貨という言い方は、金貨一枚の半分という意味である。
「えっ待ってまさかの自作なの? それで節約してるぅ?」
「節約……なのかしら。無駄遣いしたくないだけで、必要なところにはお金をかけていますよ」
 マントに関しては節約というよりも実験という意味合いが強い。
「えっそう……なの? 例えばそっちの杖は?」
「こちらは竜の骨です」
「うっわ」
 最高級素材である。
 そういえば、家を出るときはこれも返さないといけないのだろうか。と、頭によぎったが貰っておくことにした。既にエルフィリア用にカスタマイズされて魔力も馴染んでいるので、他人には無価値のものである。
「うーんと……その腕輪は?」
「これは魔石です」
「極端」
 エルフィリアの左手首には、魔石の腕輪が嵌まっている。かつて次兄のリドロアに貰ったものだが、宝石としての価値はない。それが却って冒険者っぽくて良いのではないかと思って、再登録以降、時々嵌めるようになったのだ。
「お嬢さんってまだ仮登録っつったよね? 最初から稼ぐのは難しいでしょ。元手がいっぱいあったってことなのかな」
 確かに、身一つで始めた冒険者と比べるとスタート地点でエルフィリアは恵まれている。イズは彼女が貴族だと見抜いたからそう言っているのだろうが、あまり不躾とも感じなかった。
「そうですね。……まあ、準備できるぐらいのお金はあったと思います」
 最初の納入品は薬草だったので、数に入るというほどではない。初めて迷宮に行ったときに、初めての魔物素材を獲ったので、冒険者らしいといえばそれが最初なのではないだろうか。
――まず、アルカレドを買って」
 一番最初の準備と言えばそれだろう。
「うわっ、参考にならないねえ」
 それは、エルフィリアも確かにと頷くところだ。とんだ拾い物なのである。
「それから金貨二十枚で解体道具を買って」
「えっ」
「初めての魔物を狩ってお肉が金貨九枚になりましたね」
「えっ待ってイズさん全然わかんない!」
 初期段階の解体というところで既に、イズの理解力はつまずいている。
「お肉――……アルカレド、肉食獣型の魔物って、お肉は食べられないのですか?」
――さあ、そういえば草食獣型の魔物しか食べないですね。そういうもんだと思ってましたが」
 ――食べたいんですか、と問われてエルフィリアは頷いた。諦観の息を吐いて立ち上がったアルカレドは、先ほど倒した雷牙獣の肉をいくらか切り取って持って来てくれるようである。
「では、その間に素材の処理をしておきます」
 皮の洗浄などがまだだったので、エルフィリアも立ち上がる。
 ぽつんと残されたイズは、もう一切れ貰ったパウンドケーキをもぐもぐ食べていた。
 ――一足先に、アルカレドが戻ってくる。一応持ち帰れるように解体は済ませておいたが、まだ味見段階なのでこちらに持ってきたのは一塊だけだ。いつもエルフィリアがしているように、荷物から網とスタンドを取り出してセットしておく。
「……奴隷くん、君のご主人様はいつもあーんな感じぃ?」
 紹介されていない相手の名前を勝手に呼ばない、という点ではイズはきちんとしているようだ。エルフィリアの名前を尋ねてこないところを見るに、まだ警戒を解かれていないことは承知のようである。
――お嬢はいつもアレだから、まともに理解しようとしたら泥沼にはまるぞ」
 下手につつかず、言われたままにしているぐらいが一番被害が少ない。
「へえー……苦労してんだねえ」
「やめろ。自覚しても泥沼なんだよ」
 ――そんな評を受けているとは知らずに、エルフィリアが戻ってきた。
「……お嬢様、本当に食べるんですか」
 エルフィリアが魔力を抜いた肉を炙り出したのを見て、アルカレドは怪訝な顔をする。魔物ではない一般の肉食獣は食料にならないので、その懸念もおかしくはない。
「さすがに毒はないでしょうし、理屈で言えば味は良いはずなのです」
 肉食獣型は恐らく他の魔物を食べるので、摂り込んだ結果魔力や魔素が多くなるはずである。そしてこの魔物は魔法を使うので、さらに魔力が多い。魔素が濃いほど美味しいという式が成り立つならば、美味しいはずなのだ。
「えー、魔物なんて美味しくないし売れないでしょ」とイズは懐疑的だが、魔物肉が金になったという話を先に聞いているので判断に悩んでいる様子である。
 焼けたので、エルフィリアはぱくっと肉を口に入れる。アルカレドも。――イズも、場の雰囲気に呑まれて口にした。
「うーん……硬いですね」
 もぎゅもぎゅと噛むが噛み切れない。それから、野性味溢れる臭いの癖が強い。そのくせ、味は決して不味くはないので判断しづらいのだ。
「……まあ、食わなくてもいいなって感じではありますね」
「それがわかっただけでも収穫ですね。工夫すれば食べられるとは思いますが、他のものに取って代わることはないでしょう」
 何かに漬け込むとか煮込むとか、何らかの工夫で食べられそうではある。が、そこまでする理由がない。
「ほらあ、やっぱり魔物食は金になんないよ」
「いえ、美味しいものもありますよ。私はこれで金貨を稼ぎました」
 イズの言葉に反論して、エルフィリアはジャムの瓶を取り出した。
 ひと匙スプーンに取って差し出してやると、「ほんとかなあ」と訝しげにイズはジャムを口に入れる。
――ん、っま!! えっなんだこれ俺こんなの知らないんだけど」
 大いに混乱したイズが最終的に吐き出した言葉は、
「高等魔法士って詐欺じゃない!?」であった。
 本人もたぶん、言っている意味はわかっていない。


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2023 04 23