怪我を治すのに貴族は回復薬を使う。ではその回復薬は誰が作っているか。
 ――正解は、作っていない、である。
 回復薬は迷宮から大量に発見される。そのため、市場にも充分流通しているのである。近頃は、ギルドがそれで国と取引しているような傾向にあった。――回復薬を都合してやるからギルドに介入してくるな、という意味である。
 上級回復薬、霊薬になると流通の数がぐっと減ってくる。入手のためには等級の高い迷宮に行かなければならないという理由もあるが、冒険者が備蓄して市場に流さないからだ。とはいえ上級回復薬は入手困難というほどではない。金貨二十枚ほど出すなら手に入るものだ。エルフィリアも、雷の迷宮で一本入手している。
 一番稀少なのは霊薬だ。冒険者でも持っている者は珍しく、めったに市場に出ない。これは、最低でも白金貨二枚はすると言われている。
 以前は国でも回復薬の開発をしていたし、実際は今でも研究は続いている。しかし、流通が増えた結果、迷宮産の回復薬の方が効く上に安いため、商品化に至らないというのが現状だ。せいぜい軍事用に研究費を投じて作らせているぐらいである。
 冒険者も足りないときは売られているものを購入するが、一般的な平民にとっては関係のない話だ。何しろ、手の届く範囲の額ではない。
 そういうわけで、平民には平民向けの薬があるというわけだ。こちらはいろいろと研究も進んでいるし作れる者も多いが、すぐに治る薬ではない。ものによっては何日も、何週間も掛かるのが普通だ。そして、霊薬に匹敵する薬は作れない。
 少し別の話にはなるが、病気に関しては貴族、平民双方に治療薬が存在する。平民向けのものはまず安価で大量生産できるもの、という前提があるので、貴族向けのものと比べると素材の格が落ちる分効果は薄い。
 ――ちなみに、魔法による治療というものは存在する。
 回復魔法は特殊な素養が必要なため、こればかりは天賦の才で、高等な魔法士だとしても使えるとは限らない。逆に、回復魔法が使えるからといって、他の魔法が得意だというわけでもない。
 教会に認定されると聖人または聖女と名乗れるようにはなるが、強制ではないため貴族の子女はほとんど認定を受けない。認定を受けると聖水作成の要請があったり、災害時に召集されたりするからである。一方、平民の場合は認定を受けることが多い。貧しい家なら認定されることで奴隷落ちを回避できるし、そうでなくとも聖人としての仕事には報酬が出るからだ。
 とはいえ、聖人聖女が日常的に回復魔法を行使している、というほどでもない。貴族の場合は、わざわざ聖人の日程を押さえるよりも回復薬を使ってしまう方が早くて確実だ。平民の場合は、聖人への満足な報酬が払えないため、日数が掛かろうと平民用の薬を使っている方が現実的である。
 そして、回復魔法も霊薬並みの効果がないのは平民の薬と同じである。
 ただ、欠損を治すことはできなくとも、血を止めることや体力の回復に努めることは可能なので、生きるか死ぬかという瀬戸際では役立つ能力だとも言える。
「冒険者の中にも何人か聖人がいると聞きますが、回復薬を持っているのとあまり変わらないようですね」
「あ、そういうもんですか、冒険者なら何かもっとすごいのかと思いました」
 エルフィリアの言葉に、アルカレドは具体性のない返答をする。
 回復魔法だけで冒険者になることはないと思われるので、回復も使える魔法士といったところだろう。特別な技能を持っていそうな響きである。しかし、冒険者だけの知る特別な回復魔法などというものはないのだ。
「回復薬の方も万能ではありませんからね。回復薬の欠点は承知していますか?」
――表面上は治せてしまう、ってことですね」
 最も使用に注意が必要なのは、通常の回復薬である。そのためか、見分けがつくように上級回復薬や霊薬とは瓶の形と色が違っている。
 回復薬は、傷にその性能が満たない場合、中途半端に治癒してしまうのだ。中に傷があっても、表面の皮膚だけ治してしまうということが起こり得る。骨折をしても、骨を曲がった位置でくっつける恐れがある。
 困るのは、回復薬を使うと治ったという判定になってしまうことだ。その上から上級回復薬を使っても効果がないのである。そのため、対処しようとするともう一度傷を負わせるしかない。
 そういう意味では、平民が買おうと思わない値段設定なのは正しい。まだ入手しやすい値段ならとりあえずと一本買った結果、使い方を誤る可能性がある。普段より良いものを買ったのなら、とっておきのときに使おうと考えるのが平民だからだ。貴族の場合は、上級回復薬まで持っているのが当たり前なのでそういうことは起こらない。一番起こり得るのは、冒険者である。
 致命傷には上級回復薬では対処しきれないが、これは敢えて使う場合がある。霊薬なんてものはそう持ち合わせていないからだ。欠損は治せないが、傷口をふさぐことはできるのである。ただし回復魔法とは違って体力を回復することはできない。
 そんな話をしつつ、今日のエルフィリアは調薬のために薬草を摘みに来ている。
「……そういえば、薬を作るときにお嬢様は水を出しますけど、あれは魔力が含まれてるんですか?」
「いえ、あれには含まれていません。まず、水を出す魔法というのは二種類あって――
 そもそも、魔法で作り出したものは時間が経つと魔素に分解される。攻撃魔法として水を出したときも同様である。ちなみに、分解されるのを待たずとも、自分の魔力なら意識的に魔素に返すことも可能だ。
 エルフィリアがよく使っているのは飲み水を作る用の魔法だが、こちらは分解されない。分離するのに魔法を使っているだけだからだ。空気中、または濡れた布などに含まれている水分を魔法によって抜き出しているのである。一から魔力で作っているわけではない。
「お料理に使うときも飲み水用の魔法ですね」
「それは、術式ではっきり区別されてるもんなんですか」
 魔法が放出できないアルカレドには、術式の構成というものは理解の埒外である。
――そうですね。まず、魔法とは何かという話をしましょうか」
 魔法とは、現象を形作る行為である。そして、そのための設計図を必要とするものである。
 ただしその設計図をすべて脳内で構築すると、脳の負担と魔力消費が重くなる上に、完璧な構築でなければ発動しない。それを軽減するために設計するのが術式となる。魔法の種類、規模、現出の仕方などを術式で設定して、動きや方位などを脳内で構築するのが一般的だ。後者はさらに杖を使うと精密度が上がる。
 仮に、魔法を食器に例えるとする。「器」「円い」「浅い」などを使うのが中低位の魔法だ。これらは、一つ一つの単語ワードの魔力消費が小さく扱いやすい。ここで、「平皿」という単語ワードを的確に使えるのが高位魔法である。単語の無駄がないだけではなく、設計図の精確さが上がるのだ。その分、扱いが難しくなるため魔力操作の技術が必要となる。
 ここに例えば「妹の皿」という単語ワードがあれば、色も大きさも一発で決まる。ただしそれは個人のイメージに結びついている単語であり、他人には使えない。これが個人用のカスタマイズである。
――つまり、その術式を使っている個人にとって正確な設計図が描ければ良いのです。それを見た他人に区別がつかなくとも問題になりません」
「はあ、なるほど……?」
 アルカレドの返事は曖昧だが、高速な思考が目に表れている。ぼんやりとでも外枠は掴めているようだ。
「話は戻りますが、水の魔法の使い分けはしていますよ。人の体内に入るものは魔力反発を考慮――
「……お嬢様?」
 突然言葉を止めたエルフィリアに、アルカレドは怪訝そうな声を掛けた。
「……いえ、薬に使う水は魔力水でいいのでは?」
 魔力がある方が作成する薬の効能が高まる。自分の魔力ならあとから抜くのもたやすい。それどころか勝手に分解されるので、水分を必要とするのでなければ煮詰める手間も減る。
「必要なら混ぜて使うという方法も――
「……お嬢様?」
 また始まった、ということにアルカレドは薄々感付いたのだった。


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2023 04 18