数日後、エルフィリアは同じ迷宮に赴いた。
 とりあえず、目当ての魔物を目指して下層へと進んでいく。
「目印を付けたアリエス種を確認します」
「……というと?」
「数日だと何もないとは思いますが、まず、変化があるかないかを確かめます」
 アルカレドは顔に疑問符を張り付けたまま頷いた。とりあえずはそのまま従おうという腹積もりのようだ。
 変化が、とは言ったが、目印を付けた魔物がいなくなっている可能性もあるとエルフィリアは思っている。迷宮の仕組みは、冒険者でもわからないことが多い。
 ――しかし、幸運にも前回と同じ層で魔物を見つけることができた。
「……なるほど、そうなりましたか」
 魔物を一目見て、エルフィリアは頷いた。
「……戻ってますね」
 ぽつりとアルカレドが呟く。
 角にリボンを巻いたアリエス種は、刈ったはずの毛が元通りになっていた。前回迷宮に来たときの状況は、継続されるわけではないようだ。
「階層のボスと戦うとき、敗走したら続きからはできないですよね? それと似たようなもんなのでは?」
「怪我と同じ扱い、ということなのでしょうか」
 ボスに傷を負わせても、撤退してしまえば元の状態に戻ってしまうのだ。ボスに限らず、損なうと修復されるという仕組みになっているらしい。リボンが残っているので、入るたびに一から創られているというわけではないだろう。
 時折レアな個体が出現するので、倒されてしまった場合はリセットされるのではなく別の個体が新たに創られるのだと考えられる。
「……それで、これを確認したかったんですか?」
「いえ、変化がなければ、もう少し期間をおいて毛が伸びるかどうかを確認したかったのですが」
「……なるほど?」
 理屈はわかるが理由はわからない、というような煮え切らない反応が返る。
 話している間に魔物がこちらを向いたので、エルフィリアは雷を撃った。
「《雷霆よここに》!」
 魔法の範囲を広げてみると、周囲の魔物を巻き込んでばりばりと白い火花が散る。静まったあとには黒こげになった魔物が何体か混じっていた。
「対象を広げるとムラがでますね」
 恐らくは同じ個体に何度も雷が当たっている。魔物の一掃はできるが、素材を採るにはあまり適さないようだ。相乗効果で威力も上がっている。
「それ以前に音がすごいんで、狭い場所ではあまり使ってほしくないですが」
 ――それで、何の話だっけ、と一瞬の空白ができる。
――ああ、そうそう、つまりは毛皮を取りたかったのです」
「毛皮、ですか」
「ムートンになるでしょう?」
 ほどよい長さに伸ばすためには、一度毛を刈ってから期間を調整すればよい。それを狙っていたのだが、まったくの無駄だったようだ。
「とりあえず、毛はまた刈っておきましょうか」
 命じられた通り、アルカレドは麻痺している魔物にちょきちょきと鋏を入れていく。
「……魔法で毛を伸ばすってのはできないんですか」
「成長させる魔法というのは理論上は構築式がありますけど、現実的には――うん?」
 定説では、現実的ではないという結論が出ている。
 骨や皮膚、髪、爪などあらゆる箇所を想定して重層的に掛けなければ、全体のバランスが崩れて異常が出る可能性が高いとされているのだ。実行するには不可能に近く、リスクも高い。多大な魔力が必要だという問題もあった。
「魔物に掛けるのは、駄目というほどではないかもしれませんね……?」
 毛を伸ばす程度なら魔法を掛けることはできる。魔力は魔物自身のものを利用すればいい。その結果不具合が出たとしても、エルフィリアは困らない。
「では、《伸長》あたりの単語から構築してみましょうか」


――で、獲ってきたのはこれか」
「はい、なかなか良いでしょう」
 そうして獲ってきた毛皮を、エルフィリアはギルドに持ち込んだ。
 全体に薄く掛けるほうが良さそうだということがわかって、そういう魔法にしたのだ。髪や爪など、日々伸びやすい部位なら術式もあまり複雑なものにはならない。その分、獣毛だけではなく角や蹄にも影響が出ているだろうが、取るのは毛皮だけにした。他の部位に異常が出ていたら困るからである。
「確かに、毛皮としては上等だが、ムートンか……使いにくくねえか」
「何故でしょうか」
 ギルド長の言葉に、エルフィリアは首を傾げた。彼女だって欲しいぐらいなのである。
「カニス種なんかと比べると弱いし、何より白いと汚れが目立つだろ? 装備にはあまり向いてねえんだよな。金を出すなら違う素材のものの方がいいしな」
「えっと……コートに仕立てないのですか?」
――ん?」
――え?」
「あー……つまり、普通の外套ってことか?」
「はい」
 エルフィリアは、傾きを戻した首をまた傾けた。何も装備にこだわることはない。単純なことなのだが、そういうことではないのだろうか。
「普通の庶民は、普段着に魔物素材なんて使わねえんだが」
「貴族は買うでしょう。保温効果が高くて軟らかくて丈夫で軽いなんて、喜ぶと思いますけれど。あまり市場に出回っていないのも稀少価値があっていいですね。普通の外套でも金貨十枚なら安い方ですから、倍ぐらいでも構わないかと――
「……お貴族様の感覚が違うってこたあ、よくわかった」
「むしろ、カニス種の方があまり洗練された毛皮にならないので興味がないと思いますよ」
 カニス種というのはオオカミ型やコヨーテ型の魔物だ。乾燥地でよく見るので、毛がぱさついていることが多い。貴族に売るなら、専用の手入れをした上で出す必要がある。
「で、結局おまえさん以外でも毛皮が取れるのか」
「解体ができるなら可能だと思いますよ。毛を伸ばすのは、そういう薬剤が商品化されていたはずですから、貴族向けの美容品を探せばあるのではないかと」
「……なるほどな。これ、他の冒険者や商業ギルドに情報流してもいいか。情報料は払う」
「ええ、構いません。ではひとつ、アドバイスを差し上げます」
 そう言って、エルフィリアは指を一本立てた。
「貴族相手の商談では、汚れが目立つとか目立たないとかは言ってはいけませんよ。そういう小さいことを気にするのは吝嗇家りんしょくかだけですから、侮辱していると取られてしまいます」
――覚えておく」
 ギルド長は、はあと溜息をついた。
 貴族相手の商売は、稀少品を求めて相手の方から声を掛けてくることが多く、こちらから積極的に売り込みを掛けることはほとんどないという。ついでに他の商品を薦めることはあるのだが、機嫌を損ねたとしても原因が判明することはあまりない。担当を替えてくれと言われたり、黙って別の支店に替えられたりするので、対応が手探りになってしまうという。
 貴族には、要求を明け透けに告げるのは嗜みがないという考えと、口を極めても平民には通じないだろうという考えが混在しているので、そういう事態になりがちである。
 商人でもさすがに宝石やドレスを売る立場なら勉強しているだろうが、魔物素材を扱う部署まで徹底しているわけではないということだ。
――そういえば、そろそろ半年になる頃だが、おまえさんどうするんだ」
「予定通りなので一旦登録取り消しにしてくださって構いませんが、――そうですね、期限までしばらくこちらに顔を出さないようにしようかと思います」
 ――ではそういうことで、とひとまず話はまとまった。


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2023 04 05