――昨日は誰かと会っていたそうですね」
 久々にアルカレドに会ったエルフィリアは、開口一番、そんなことを言われた。
 穿鑿せんさくとは珍しいなと思ってじっと見上げると、アルカレドははっとした顔をして視線をずらした。しかし、放り出した言葉は中途半端に漂っているままだ。
「……いや、ええと、ギルド長が見かけたと言っていたので、つい」
 恐らくは、嫌味のつもりだったのだろう。待たされすぎてつい、ちくりと言ってやりたくなったのだろうが、うっかり境界線を踏み越えてしまって動揺しているというわけだ。
――昨日、ですか。カフェで待ち合わせたところを見られたのでしょうか」
「……相手は男、だったとか」
 アルカレドは、まさかの一歩を踏み込んでくる。エルフィリアが流さずに反応したので、そのまま突き進んだと見える。
 ただの雑談なのに、奴隷相手だと妙な緊張感をはらむのが少しおかしかった。
「寮でクッキーを作ったので、それを渡す約束をしていたのです」
 エルフィリアは、既に寮へと戻っている。
 結果として、エルフィリアの在宅は二週間で済ますことができた。休暇自体はまだ残っているが、学院寮へは二日前に戻ってきたのだ。その間、荷物を整理したり、ジャムクッキーを作ったりしていた。
 ――次兄への賄賂である。
 正確には、情報料の代わりに手作りの菓子を所望されたのだ。とはいえ家では作業ができない。そのため、寮で作ってから改めて待ち合わせて、という次第だった。
 エルフィリアが焦らすので、アルカレドは口を結んでしまった。これ以上は向こうから踏み込んではこないだろう。
「……お兄様に差し上げたのが余ったので、アルカレドにもあげますね」
 エルフィリアはふふと笑って、ギルドへの道を促した。


 今日のお目当てはアリエス種の魔物だ。
 元々はまとめてキャプラ種と分類されていたが、角が丸まっているものはあとからアリエス種とされた。とはいえ、いまだにまとめてキャプラ種としている人も少なくはなく、いろいろと混同されがちな種である。
 今回目当てにした理由は、肉の質を調べてみたかったのと、いわゆる羊毛を取りたかったからである。
「せっかく稼げるようになったのに、吊り果実じゃなくていいんですか」
 拡張式鞄も手に入ったことで荷物の制限も解除されている。容量はさすがに無限大ではないが、家何軒か分はあるはずなのだ。充分すぎるように思えるが、巨大な獲物を丸ごと入れるならばどんどん埋まる程度ではある。
 ちなみに迷宮内の解体問題は一般的にどうなっているのかといえば、サポート型の冒険者が技術を培って、あちこちのパーティに出張して稼ぐことが多いらしい。大抵の冒険者は攻撃型なので、面倒がって技術を身に着けないのだ。そもそも、皮や肉などでなければ多少雑に切り取っても素材として入手できる。それどころか、無理に素材を狙わなくとも等級の高い迷宮ほど良い宝箱が出るので、財宝狙いでもなんら問題はないのである。
「とりあえず、しばらく荒稼ぎは控えようと思いまして」
「そうなんですか」
 納得はできないがこれ以上訊いてもいいものか、という躊躇がアルカレドの声から見受けられる。
「……つまりその、財産が増えすぎると持ち歩きに困りませんか」
「……そう、ですかね」
 アルカレドはあまりぴんときていないようだ。エルフィリアも貴族の感覚としてはそう困る金額ではないのだが、持ち歩き自体に慣れていない。アルカレドについては元から奴隷であるし、自分の金ではないから感覚が薄いのかもしれない。
 拡張式鞄は何でも入れてしまえる分、財産を一か所にまとめることに対する不安がある。この鞄だって、何かに巻き込まれて落としたり紛失したりすることがないとは限らないのだ。
「少なくとも、期限の半年が経つまでは保留ですね」
 実はギルドには登録者の報酬を預けておける制度があるのだが、それは仮登録の者にも適用される。エルフィリアがそれを利用しないのは、現状では本登録に昇格しない予定なので、半年経ったら一旦登録取り消しになるからだ。
 勿論そのあと登録し直す予定だが、取り消しになるとその時点で預けてある財産は没収されてしまう。
 本登録後も、登録停止になると没収されるのは変わらない。登録後は納入や依頼の受注などで情報が更新されていくのだが、二年間更新がないと登録停止となる。これは、いつどこで死んでいるか知れないのが冒険者だからだ。財産の扱いが宙に浮いてしまうため、没収することになっているのである。
 ちなみに冒険者の間では、この登録停止になっているかどうかを照会することで安否確認とする不文律がある。
――アルカレド!」
 雑談の最中にエルフィリアは目当てのアリエス種を見つけたが、アルカレドは既に気付いていた。
「どうします?」
「動きを止めますので、周りの魔物を倒して頂戴」
 エルフィリアが一歩下がると、アルカレドは目当ての獲物を牽制しつつ周囲の魔物を倒していく。素材を気にしなくていいのなら、楽な作業であるらしい。
「《雷霆よここに》!」
 エルフィリアは、雷を落としてアリエス種を麻痺させる。魔物はふらついて、どどっと横倒しになった。この効果は獲物のサイズにもよるので、大きな魔物になるほど有効時間が短くなるだろう。
「いつも通り、息の根を止めればいいですか」
「血で汚したくないので、斬らずに仕留めて頂戴」
「は――
 また何か言い出した、という顔になったが、アルカレドは黙って口を閉じた。獲物を仰向けにして、咽喉を圧迫する。窒息させようとしているらしいのだが、
――あ」
 呆けたような声を上げて、アルカレドは手を止めた。
「ど、どうしましたか、何か失敗――
「首の骨折っちまったけど別にいいですよね」
「……いいですね」
 相変わらず、ごり押しの従者だった。
 そのあとはいつも通り解体――といきたいところだが、先にやることがある。
「ではアルカレド、お次はこれを」
 エルフィリアはアルカレドの手に、皮のケースに入った刃物をぽんと乗せた。
「……ハサミ?」
「毛刈り鋏です!」
 つまり、エルフィリアは毛を刈れと言っている。
「……一応訊きますが、使い方はご存じで?」
「いえ、知りませんけど、皮さえ切らないように気を付ければ何とかなります。たぶんバラバラにならずに繋がって取れるはずなんですけど」
「何とか、……たぶん、ですか」
「あっ、お腹から始めるといいみたいですよ」
 図書館で本も調べてみたが、詳細に載っているものはなかったので、あやふやな知識である。皮を剥ぐのと大差ないのでは、という気がするので、アルカレドならできるだろうとエルフィリアは判断した。
「……わかりましたよ、お嬢様」
 奴隷に逆らう権利はない。アルカレドは溜息をついて、ケースから鋏を取り出した。
 最初に鋏を入れてしまえばあとは切り開くだけなので、コツをつかんだあとはすっすっと手が動く。
 四分の一ほど進んだところで、アルカレドの手が止まった。
「あー……お嬢様、タオルとかあります?」
「ありますよ。皮を切ってしまいましたか?」
 エルフィリアは鞄からタオルを取り出してアルカレドに手渡した。血でも付いたかと覗いてみたが、そういう様子でもない。
「いや、これ、油分で手がベタベタになります」
「そこまでは、本に書いてありませんでしたね」
 エルフィリアの心積もりはいつも、想定していないところに穴がある。


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2023 04 01