「……そろそろ、休暇の時期なのですけれど」
――休暇?」
「学院の休暇です」
 王立魔法学院には年に二度、長期休暇がある。夏が一ヶ月、冬が二ヶ月だ。
 入学の時期は春だが、それには女神が関係している。始まりを意味する春の女神にならって、ということなのだ。四季の女神は四姉妹で、その母が地母神である。神々は基本的に太陽神か地母神か、どちらかの眷属とされる。例外は、海の神ぐらいだ。
「……ということは、迷宮に行ける頻度が上がるということですか」
「……逆ですよ」
 アルカレドの能天気な思考に、エルフィリアは溜息をついた。
 冬は、地域によっては出歩くのも困難なので社交のシーズンではない。麦の作付も終わり、備蓄管理や帳簿などの仕事が山積するので、領地にこもって次年度の計画などを立てるのもこの時期である。その間は学院も閉めてしまうので、生徒も領地に戻るのが一般的だ。
 ただし、最終学年は長期休暇の前に卒業があるので、冬の分はカウントしないということになる。エルフィリアの猶予は一年だとしていたが、実質、一年よりも短いのだ。
 翻って夏は、収穫はあっても移動にも身軽な季節、社交が活発なシーズンといえる。遠方の生徒はひと月では短いので領地に帰らぬ者もおり、学院も開いたままだ。
 そのため、可能不可能でいえばエルフィリアが学院内に残るのも可能ではあるが。
 ――恐らくは、家が許さないだろう。
 王都の邸に帰らないと、何事かと勘ぐられる。しかし邸に居ると監視が厳しく、とても一人で外出などさせてはもらえない。ギルドに行くなどと言えば大騒ぎになってしまう。
「……しばらく、来られないと思います」
 いつになくしおらしい様子に、アルカレドが驚いたように口をつぐんだ。
 とはいえ、――間にあって良かった、とエルフィリアは思っている。アルカレドの宿の問題も、外出の問題も、休暇の前にある程度対処できたことになる。
 待遇が以前のままだったとしたら、休暇明けに険悪な雰囲気に陥ってもおかしくはない。
 ――どちらにせよ、アルカレドは振り回されてばかりだということに、考え及んでいないエルフィリアであった。


 ――そうしてたいしたトラブルもなく、エルフィリアの夏季休暇がやってきた。
 家族との顔合わせは済ませたが、そもそも交流があまり密ではない。父は議会、母は社交にと忙しく、干渉が乏しいのはエルフィリアには有難かった。
 元々、言われたことを黙ってこなしているような娘だったので、喧しく言うようなこともないのだろう。社交に関しては学院内で充分人脈を広げているだろうし、婚約も決まっているのでそういう縁を作る必要もない――と思われている。
 エルフィリアが邸にいなければいけない理由もないので、休暇は早めに切り上げても構わないはずだ。とはいえ、学院に行かなければいけない理由もまた提示できないので、せいぜい二週間ほどだろうか。
 代り映えのない生活は、既に一週間ほど続いている。
――お兄様、来週には学院に戻ろうかと思っているのですが」
 エルフィリアはさりげなく兄に話を切り出してみた。あとからそれとなく当主に話が通れば良いと思ったからだった。
――それはおまえが、何事かにいろいろと興味を抱いているのと関係あるのかい」
 エルフィリアははっと息を呑んだあと、慌てて口を閉じた。兄はそれを見て、にやりと笑んでいる。
 ――兄は何を知っているのだろうか。
 ひたり、と背中に汗が滲むような心地がした。
「そんなに警戒しなくても。近頃は何やら珍しい様子だったから、気になっただけだよ」
 どうやら学院内での様子が筒抜けになっているようだ。雇われている者は守秘義務があるため、中の様子をみだりに洩らすことはない。しかし、公爵家ともなれば管理側の人間から当たり障りのない情報を仕入れるぐらいは容易にできるのだ。
 今まで従順に親の言うことに従ってきた娘が、何かを積極的に行うようになれば目を引くのだろう。交流のなかった令嬢に突然誘いを掛けるようになったり、講師の部屋を訪ねたり、寮内で茶会を開くようになったとなれば。さすがに個人的な監視を張り付けているわけではないので、学外のことまでは知らないだろうが、外出の頻度が上がっていることぐらいは知られているはずだ。
 貴族の範疇でしか物事を考えない両親や長兄では何も思い至らないだろう。せいぜいが、趣味でも増えたのかと思う程度だ。
 しかしこの兄――次兄では、点と点をどう結び付けるかは考え知れない。
 次兄の名は、リドロアという。祖父の名の一部をそれぞれ貰ったのだ。名も変わっている通り、本人も少々変わっている。厳格な長兄と比べて柔軟なところがあり、親に従順だったエルフィリアともまた少し違う。表面上は貴族然としているのだが、隠れたところで手を抜いたり奔放に振る舞ったりするのが得意なのだ。
 エルフィリアとの仲は悪いわけではないが、互いに干渉しない関係というのが近い。そもそも、彼女がある程度の歳になってからは学院に入っており、そのまま研究塔に行ってしまったのであまり会う機会がない。
 ちなみに長兄の方は領地に行っていることが多かった。
「訊いても答えないだろうが――
 リドロアは、ひたとエルフィリアの目を見つめた。ふむ、と愉楽の滲む息を吐く。
「おまえが隠し通せるのなら、暴かないでいてあげよう」


 ――次兄は、どうやらエルフィリアに興味を抱いたらしい。
 幼いころは構われていたような記憶があるのだが、いつごろからかほとんどなくなった。兄は興味を引くものが好きなので、つまりはエルフィリアに構っても退屈だと結論づけたのだろう。
 それが、最近の妹がこそこそと探りたくなるような行動をしているので、兄の興味に引っかかったのだ。
 ここで突っぱねて拒絶すれば、恐らく徹底的に探られる、とエルフィリアは読んだ。
 ということで、何かしら兄の相手をすることにしたのだ。
「お兄様は、魔石の講義は受けましたか?」
 リドロアは、おかしそうに片眉を上げた。そういえば、かねてエルフィリアに魔石の腕輪を寄越したことは覚えているのだろうか。
「……そうだな、あれは毎年やっているらしいからね。魔石に何か気になることでもあったのかい」
「魔力同士は反発するものだとお思いですか」
――これはまた、結論が飛んだね」
 過程を飛ばしていることに気付いて、エルフィリアはごまかすように小さく咳払いをした。どうも気が急いてしまったらしい。研究塔にいる兄の慧眼に期待してしまっていたのだ。
 そこで、同じ魔石に別々の魔力を入れたら弾け飛んで大変だったという話をしたら、大きく溜息をつかれてしまった。
「……おまえは、いつの間にそんなお転婆になったんだい」
「お兄様こそ、そういった手合いは見飽きているのでは?」
 エルフィリアは答えずに矛先を逸らした。研究者には恐らく、その手の人材が豊富にいる。
「……まあいい。それで?」
 リドロアは自らの額をつつきながら続きを促した。訊きたいことはその話の先にあると見抜いたようだ。
――つまり、魔物の魔力も同じようになるのかという疑問です」
 同じような実験をすることもできたが、もしスケールの違う事態になったら大変なのでは、と思い至ったので踏みとどまったのだ。
「そうだな、魔物同士の魔力ならば反発しない。そして、魔物と人間の魔力も反発しない――少なくとも、人同士の魔力のようにはね」
――え?」
 エルフィリアはまずきょとんとして、その後、じわじわと言葉の意味が改めて浸透した。
「赤い魔石は魔力が入りませんし……反発、しますよね?」
「それを反発というなら反発だな。定義が違うんだよ。人同士の魔力は直接混ぜると反発を起こすが、魔物と人の魔力はそもそも混ざらない」
 人の魔力に流れがあると反発が起こらないのは、反発の方向性が揃っているからだ。互いを向いていないので、反発が起こらないように見える。
 それと比べて、魔物の魔力とは融和しない。例えると、水と油のようなものだという。押し付けてもくっつかないという層があるだけであって、反発の方向性というものは存在しないようだ。
「その代わり、媒介があると混ざるんだ」
 ある種の植物や特殊な素材などは、どちらの魔力にも融和性があるという。それを仲立ちにすると、混ざるという結果を得られるらしい。
「……ああ、それで薬を作れるのですね」
「納得したかい?」
 ――なるほど、とエルフィリアは頷いた。それで一つ疑問が解消してすっきりした。
「さて、それじゃあ代わりに何をしてもらおうかな」
「……情報料、お取りになるのですか?」
 一筋縄ではいかない兄に、エルフィリアはむむと唸った。
 それを見て兄は笑っていたから、単にからかいたかっただけなのかもしれない。


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2023 03 30