ジャムが高値で売れたので、瞬く間に目標金額を達成した。
 ――念願の拡張式鞄である。
 どういうタイプにするか迷ったが、いくら容量が増えるとはいえ小さすぎるのも使いづらかろう、ということでウエストバッグにした。撥水加工済みの薄灰色のバッグだ。アルカレドが腰に付けるにはちょうど良いが、エルフィリアなら斜め掛けにするのが良いぐらいのサイズである。
 エルフィリアが荷物持ちを担うのも変なので、普段はアルカレドに持たせている。彼女自身の荷物も、探索時は丸ごと拡張式鞄に預けているような形だ。帰るときはその逆で、エルフィリアが鞄を管理している。
 拡張式鞄は財産にあたるので、奴隷に預けっぱなしにはしないのだ。登録した所有者が手を入れると中に何が入っているかが把握できるようになっているが、それは奴隷も同様である。システム上、主人の所有物である奴隷にも権限が紐づけられているのだ。そのため、奴隷が勝手に中身を取り出すということもできてしまう。
 管理時に鞄を取り上げるのは奴隷を信用していないからではなく、その逆だ。預けっぱなしにするのは、奴隷の倫理観を試している、という意味になる。わざと誘惑をちらつかせるのは教唆と同義なのだ。
 ちなみに所有者が死亡すると制限が解除されてしまうので、他人でも中身を取り出すことができる。そのため、拡張式鞄の所有が知られれば盗賊などに狙われやすくもなるのだ。冒険者御用達というのは、弱者が持つと危険だという意味でもある。
 鞄を手に入れたことによって稼げる幅がぐんと増えたので、エルフィリアはこの際と質草の宝飾品も請け出していた。所持金はかなり減ったが、すぐに取り戻せるはずだ。
 そうして余裕ができた分でまた、薬のことを調べ始めた。術式を構築するのと同じように、素材の組み合わせを考えるというのは興味深いのである。
 以前買った本は植物図鑑の補足程度にしか情報が載っておらず、結局あまり役に立たなかった。そのときは具体的な薬の作り方は誰かに師事でもしなければ知り得ないと思っていたのだが、きちんと探すと確かに作り方が載っている本が見つかったのだ。それを見ながら少し検証してみようかと思っている。
 そこで、エルフィリアは薬に使うという一角兎の角を砕こうとしていた。
 袋に入れて、ハンマーでがつんと割るのだ。平らな石の上に置いてハンマーで叩きつけたが、芯を捉えられずに滑ってしまう。袋を覗いてみたが、端っこの方が少し欠けただけだった。
「えい!」
 もう一度ハンマーを振り下ろす。今度は上手く中心に当たったが、反動に負けて力を逸らしてしまった。
「……日が暮れそうですね。俺がやりますか?」
 アルカレドが手を差し出したが、エルフィリアは渡さなかった。
「あなたに任せると、粉にしてしまいそうですもの。粉ではなくて、割ったものが欲しいのです」
「加減ぐらいできますよ。あんたほど不器用じゃない」
 無駄なあがきを、という目で見られ、ハンマーを取り上げられてしまった。
 エルフィリアは立派に成績優秀な優等生なのだが、アルカレドにはどうやら鈍くさい変な子だと思われているらしい。冒険者なんて初めてなのだから、もう少し点が甘くてもいいはずなのだが。
 しかしそんなことで文句を言うのも淑女らしくないので、エルフィリアは寛大な心で流してやっているのだ。
 ――アルカレド本人に訊いたなら、もう少し違う言い分がありそうではある。
 アルカレドがハンマーを二度三度振るうと、さほど力を入れているようには見えないのに、ばきんばきんと小気味良く割れる音がしていく。
「どれぐらい小さくしたいんですか」
――小石ぐらい、です」
 薬を煮詰める際にこのれきを入れると底の方に沈む。それによって魔力の多少を量るらしい。多いと礫がたくさん沈み、よく効く薬になるのだという。恐らくは礫が魔力を吸着し、それによって沈んでいる。つまりは魔力抜きと同じ処理をしているのだと思われる。
 魔素が多いことで効能が高まるのだろう。ジャムの加工のときも思ったが、魔素の多さと魔力の高さは比例すると考えてよさそうだ。
 魔素の体内循環効率が高いと効率よく魔力を練ることができるので、魔力が高いと評される。つまり、燃料となる魔素も少なくなると考えられる。逆に、魔力の低い者は循環に大量の魔素を必要とする、つまり燃費が悪い。そう考えると、後者の方は体内の残留魔素が少なくなる。結果、魔力が高いと魔素が多いといえる、ということではないか。
 魔法士は基本的に魔力が高いが、魔力の高い者が魔法士とは限らない。肝心なのは、練った魔力を放出できるかどうかなのだ。中にはアルカレドのように、放出が苦手な者もいる。それは魔力の高低とは関係がない。
 魔法士は魔力を放出するためすぐに魔素が枯渇しそうだが、そういうわけでもない。ということは、放出が得意なものは魔素の吸収も得意とするという仮説が立つ。
「……魔法を使う個体の方が、素材の質が良いということかしら」
「魔物の話ですか? もう少し等級の高い迷宮にでも行きます?」
 思考が声に洩れたが、それをアルカレドが耳に留める。
――そうですね。素材を比べてみるのも面白いかもしれません」
 角を砕く作業は終わったらしい。
 アルカレドに手渡された袋をエルフィリアは受け取った。一度取り出して粉の部分は吹き飛ばし、また袋へと仕舞う。礫は使用後に取り除くので、粉が混入していると薬の混ざりが悪くなるのだ。
 冷ました薬液に礫を落とすと、とぽとぽと沈んでいく。本に書いてある通りだ、と思ってエルフィリアは楽しくなった。飽和したら一度漉して、煮詰めてから蜜蝋を足せば軟膏になるらしい。
「調薬用の匙一杯を越すかどうかが品質の境目になるようですね」
 礫の話である。
「それを入れないと魔力量がわからないんですか?」
「それはまあ、見てわかるものというものでもないので」
――見てわからないんですか」
 そこで、ん、とエルフィリアは口を閉じた。少し妙な受け答えだと感じたからだ。
――アルカレド」
「はい」
「……見て、わかるんですか」
 そう問われて、アルカレドは軽く目を見開いた。そう珍しいことだとは思っていなかったようだ。
 実際は、手に取るとなんとなくわかるという程度だという。エルフィリアも他人の魔力が多いかどうかは多少はわかるが、動物や植物は微量すぎて判断がつかない。
 それがわかるということは、アルカレドの感覚はかなり鋭敏ではないかと思われる。
 他人の魔力をどう感じるかと訊くと、近くにいる人間なら隠れていてもわかるぐらいだという。魔力の高い魔物も、周囲にいるとわかるということだ。
 ますます、奴隷でいるのが不思議な男だった。
――それはさておき、またあの蜜を採りに行きましょうか」
 エルフィリアは、次の目的を提案した。相談というよりは、まだ固まっていない考えを口に出しているという感覚だ。
 ジャムが売れている今なら例の蜂蜜もさらに高値で売れるのではという目算もあるが、蜜蝋が採れないかと考えている。
 魔物由来の蜜蝋を使えば、効能に変化は出るのか。
 礫となる素材の魔力を抜いてみたら、吸着力に変化は出るのか。
 一角兎以外の角を使ってみたら、出来上がりに差は出るのか。
 漉すのではなく蒸留してみたら、成分が変わるのか。
 ――疑問は尽きず、思案は淀みない。薬を作って商売しようとまでは考えていないが、単にそういうことを試行するのが好きなのである。
 金を稼ぐのにあくせくしなくても良くなったので、エルフィリアはご機嫌だった。


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2023 03 27