次の週、エルフィリアはさらに下層へと潜った。
 種類の違う吊り果実は、下層にいると聞いたからだ。ギルド職員からも先日の獲物は売らなくていいのかと訊かれたが、保留だと答えておいた。
 十層はヤギ型――キャプラ種の立派な角と肉が獲れたが、泣く泣く諦めて吊り果実を目指した結果、十二層で林檎の吊り果実に出会えた。
 今度は籠一杯獲って戻り、またジャムにする。
 その次の週は十四層でオレンジの吊り果実を狩り、マーマレードへと。
 それからやっと、日を改めてギルドへ出かけることにした。
「なんだおまえさん、しばらく売りに来ねえのかと思ったぜ」
 ときおり薬草を売りに来る以外はぱたりと音沙汰なく三週間が経っている。新人の滑り出しがそう順調なわけもないのでからかわれているのだが、エルフィリアは余裕顔だ。
――お久しぶりです、ギルド長。この度は、商談に参りました」
――ん? 待て、個室で聞く」
 別室に行く途中でグレイシーを見かけたので、エルフィリアは声を掛けて彼女にも来てもらうことにした。
「せっかくなので、試食会と参りましょうか」
 アルカレドも座らせて、四人でテーブルを囲む。それから、ジャムの瓶を三種類テーブルに置いた。その内の一つはマーマレードだ。
「ん? これは、ギルドで売ってるのと同じやつか? あとの二つはここにはねえな」
 ギルドで売っているのは苺ジャムだけだ。吊り果実の等級が高くなると生のままでも反発が出たため、他の果実ではジャムにしても売れないのだと思われる。
 エルフィリアはクッキーを入れてきた密閉容器を取り出し、蓋を開けてテーブルの中央に置いた。
「何もないのも、と思って焼いてきました。甘さ控えめなので試食のお供にどうぞ」
 寮の料理人から指導が入っているので安全ですよ、と一応のフォローを添えておく。
 まずは苺ジャムの蓋を開けた。スプーンでクッキーの上に乗せて、ギルド長とグレイシーに差し出す。
「どうぞ、ご賞味ください」
 ついでに自分の分とアルカレドの分も準備して、ぱくりと口に入れた。
――む、これ、本当にギルドで売ってんのと同じやつか?」
 ギルド長の目がカッと見開かれた。グレイシーも口元を押さえてぶんぶんと首を縦に振っている。
「基本は同じですよ。魔力を抜いています」
「あー……やっぱり、魔力抜きか」
 もう一つ、とギルド長はさくさく口に入れている。
「既にある技術ですし、とっぴな発想でもありませんが」
「いやーしかし、ジャムにこれはやらんだろうからな」
 なぜかというと、コストが掛かるからだ。手間も費用も掛かる上に、一定数のはずれを引くのでその分は廃棄することになる。既に値段のついているものにそこまでする必要性がない。
 続いて、残る二種類も試食を勧めた。そちらは等級が高い分さらに質が高いので、ギルド長たちも言葉を失うほどだった。想像を遥かに超えたらしい。
「……とにかく、おまえさんはこれを売りに来たということでいいか?」
「いえ、正確には、これを貴族に売りたいのです」
 魔物素材はギルドに集まってくるが、商品の流通はそもそも冒険者ギルドの管轄ではない。そのため、売ったり運んだりは商業ギルドに委託する形になっている。ギルド内の売店も商業ギルドからの出張職員だ。ちなみに商業ギルドは、特許や流通を取り仕切っているギルドである。
 エルフィリアが言っているのは、商業ギルドを通じて貴族に売れということなのだ。
「しかし、いくら質が高いといっても……買わんだろう、貴族は」
「それはもちろん、根回しもせずに真正面から行けば買わないに決まっています」
 そもそも貴族に魔物食を売るのは難しい。低俗なものというイメージが既についてしまっているので、見栄もあって貴族は手を出さない。買うのは変人と言われる人たちだけだ。
「少なくとも、興味のある人はいますよ」
 エルフィリアがインセクト種の蜜の話を聞いたのも貴族女性からだ。稀少で高級なものとなれば、気にならないわけがない。魔物とはいっても、肉とは違ってプラント種あたりはかなり心理的抵抗も弱いのだ。
「狙い目は、若い貴族女性です」
 親の目を盗んで菓子作りが流行していることもあり、親世代よりは感覚が柔軟である。魔物食に手を出したからといって、上の世代の感覚に逆らうことがもう一つ増えるだけだ。
 ただしそこには、貴族の見栄も若者の恥じらいもある。興味はあるが他人に知られたいわけではないのだ。
――つまり、家長に話を持って行ってはいけません。興味のある個人にだけ、こっそりと売るのです」
「……それだとかなり、伝手がないと難しくなるが」
「いえ、もうすでに話がついています。窓口はケインズ侯爵家のシャーロット様へと、商業ギルドにお伝えいただければ」
――は?」
「私の、現在の身分をお忘れですか?」
 エルフィリアは、王立魔法学院に通う貴族令嬢である。寮に出入りできる権限と人脈により、ジャムクッキーを作って試食用に配ってみたのだ。つまり、女子寮で既に売り込み済みとなる。新しく入荷したらシャーロットに情報が入るということで話がまとまっていた。
 シャーロットを指名したのは、こういうものは買う側よりも広める側に批難の焦点が当たるからだ。彼女ならば、親に知られたとしても貴族女性の中での影響力を高めるためと言っておけば納得される。侯爵自身が、そういう伝手の広め方をしているからである。そして、彼女が正妃になったときにもその影響力が役立つことになるはずだ。
「自分で直接売るわけではないんだな?」
「私が直接金銭のやり取りをするのは、卑しい行為と見なされますね。こういう場合、店を紹介するのが一般的です」
 うむ、とギルド長は考え込んでしまう。
「……しかしおまえさん、在庫はいくらほどあるんだ?」
「苺ジャムが残り十四、林檎ジャムとマーマレードは二十八あります」
「貴族に売り込んでおいて、在庫が無くなったじゃあ済まねえぞ。おまえさん、業者になる気はないんだろ?」
 貴族に売るなら、質の高いものしか売れない。エルフィリアが作らなくなれば、在庫が無くなってしまうとギルド長は言っているのだ。
「魔力を抜けばいいだけですから、どなたでも作れますよ」
「しかし――
「精度が低いといっても、二度三度と重ねて処理すればきちんと抜けます。プラント種なので、三度ぐらいでいけると思いますが」
「普通の業者にはコストが掛かりすぎるという話だったと思うが」
 処理を重ねれば廃棄分が増え、処理自体の費用も掛かる。売れたとしても、利ざやが少なすぎると手間と見合わないのだ。
――いえ、費用は回収できます。例えば」エルフィリアは苺ジャムの瓶を手にした。「これは、一瓶金貨一枚で売れます。他の二つは金貨一枚半ですね」
――は? そんな値段で売れんだろ」
 たかがジャムに金貨だとは、ギルド長は信じられない表情だ。
「いえ、高い方がいいのです。安いと貴族は買いません」
 安いものをわざわざ取り寄せたりはしない。高いからこそ、見栄が満たされるというものなのである。
「在庫はお譲りしますので、高く買っていただけますね?」
――おまえさんには負けた」
 ギルド長は唸ったが、新しく販路が拓けたということになるので損はない。そこを糸口に、他の魔物食が売れる可能性も出てきた。
「アルカレド、わかりましたか」
 ――需要の作り方が、である。
 エルフィリアはそう言って、初耳ばかりの従者に機嫌よく微笑んでみせた。


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2023 03 25