魔法学院では、調合をすることはほとんどない。
 講義の説明には出てくるのだが、どの素材がどういう効能を持っているかとか、どういう薬の材料になるのかという知識面の話であって、基本的に実習はないのである。
 理由の一つは恐らく、材料を揃えるのが難しい。高度な薬でよく使われているのは、一角獣の角や鳳凰の羽根、竜の爪などになるが、稀少かつ高級素材であり、授業で軽く扱うようなものではない。別の理由としては、そもそも手が汚れる作業を貴族が好まないからである。特に女子生徒に忌避される。狩りや将来的な実戦で手を汚したり獲物をさばいたりする可能性がある男子生徒においては、そこまでではないのだが。
 特に薬草を使うなどありふれたものになるほど、平民の領分だと見なされがちである。
 エルフィリアは、薬についてもっと知りたくなったので、薬学の講師の部屋を訪ねることにした。
「先生は、一般に使用されている薬の調合についてはご存じですか?」
「回復薬のことでしょうか?」
 一般的な、というとまずはそれになる。通常の回復薬は切り傷、擦り傷などの軽い怪我に使う。一段上の上級回復薬になると刺傷、裂傷、骨折などの大きな怪我に。最上級の霊薬に至っては、欠損や致命傷も回復させるというが、稀少なので家によっては家宝になるような物だ。ちなみに、エルフィリアの家には万が一のために数本金庫に入っていたはずである。
「いえ……もっと、平民が使うような」
 回復薬は、貴族にとっては一般的なものだが平民にとっては高級品だ。通常の回復薬一本で大銀貨一枚にもなる上に、一度栓を抜いてしまうと期限内に使い切らなければならない。軽い怪我ならば、日数は掛かっても塗り薬などで対処するのが普通である。
「薬草の調合などですね。存じておりますよ」
 女性講師であるが、調合に対する忌避はない。なぜかといえば、彼女は平民だからである。
 貴族というものは、平民への差別や搾取に熱心というわけではない。単に、別の種類の人間だと認識しているだけだ。弱く愚かな民衆を導いてやらねばならないというのが基本思考である。
 だからこそ、技能のある者は評価する。技能があれば奴隷を免れることがあるのも、能力のある平民が魔法学院への入学援助を受けられるのもそういうことだ。
 ただしこれは、平民でも評価に値するという思考には繋がらない。平民の中に別の種類の人間が混じっていた、という解釈になるのだ。貴族と平民の溝はなかなか埋まらないのである。
「平民はどのようにして調合の仕方を学ぶのでしょうか」
 エルフィリアの疑問に、講師は意外な答えを出した。
「簡単な調薬なら家に伝わっていることもございますし、本に載っていたりもいたしますよ」
――秘匿されるものではないのですか?」
 基本的に、独自の魔法というのは秘匿される傾向にある。基本形は習うが、アレンジや新発見はあまり他者へは広まらない。例外は魔法研究塔のようなところで、自分の情報を開示する代わりに他者の情報を得て、それで新たな術式を開発したりするのだ。高位魔法は個人的なものとはいっても、組み合わせによる単語同士の相性や、どのカテゴリで使用するかなどは充分研究の指針となるのである。
「平民はあまり、技能のある者がおりませんので」
 ――要するに、こういうことである。
 平民のための薬を作ってくれるのは平民しかいない。しかし、調薬には魔力を扱う技術が必要で技能のある者を見つけるのも難しい。だから製法を広めておくのだ。簡単な薬が作れたとしても、さらに上の薬を作れる者は少ないため、とにかく全体の数を増やしたいのである。そうすれば難しい薬を作れる者の数も増える。
 そういうことならば、エルフィリアが薬について調べることも簡単そうだった。


 エルフィリアはこの日、アルカレドを連れずにギルドに行った。
 建物の中に入ると、さっと視線が集まる。エルフィリアがカウンターに着く前に、その中の一人が彼女に近づいてきた。
「お嬢さん、今日は何か依頼かな?」
――いえ、少しご相談したいことが」
 アルカレドの恩恵のことを忘れていたので、咄嗟とっさに返答してしまった。
 そういえば元々は、声を掛けられにくくするためにアルカレドを手に入れたのだ。黒い首輪のアルカレドは多少認知されているようだが、エルフィリアのことまでは知られていない。正確には、存在は認知されているが、アルカレドが一緒でなければ特定はされない、という状態のようだった。
 ところで、こういった輩は一度反応してしまうとあとが長い。相談なら俺が乗ってあげようという面倒な方向に発展していた。物理的に排除する方法はあるが、衆人環視の状況ではあまり好ましくない。
 カウンターの方に視線を投げると、こちらに気付いていた受付の職員が、待てという手振りをしながらうんうんと頷いてみせた。どうやら何かしら対応済ということらしい。
――そのお嬢ちゃんは、俺に用事だ」
 ほどなくしてギルド長が現れ、エルフィリアを回収していってくれた。
――助かりました」
「今日はあの奴隷はどうした」
「実はその件でご相談がございます」
 なんだ本当に俺に用事か、とギルド長が個室を手配する。ギルド長に続いて、エルフィリアは部屋に入った。
「ここ、鍛錬場がございますよね?」
 併設している建物に、そのような施設がある。トレーニングや手合わせ用の場所だが、冒険者同士が揉め事を起こした際に決着を付けるために使われる、といったことも珍しくはないようだ。
「その施設、奴隷は使えますか?」
「例がない――というわけじゃあねえな」
 基本的に血の気の多い冒険者たちはすぐ迷宮にでも行ってしまうので、ここの鍛錬場が空いていないということはない。パーティを組む際の実力確認や、相手指定の手合わせを行いたいときなどに使われているぐらいだ。
 奴隷に関しても、冒険者が連れているなら使用禁止にする理由もないという。単に、鍛錬場を必要とする奴隷がめったにいないというだけである。
「アルカレド一人でそこを利用することは可能でしょうか」
「そういえば、おまえさんとこの奴隷は宿に閉じ込めっぱなしだったな」
 ふむふむとギルド長は話を聞いてくれる。
 エルフィリアは、そろそろアルカレドの限界が近いと考えていた。宿の食事にも完全に飽きていて、楽しみがない。戦闘がなく、ただ外出するだけの薬草採りにすら飢えているのだ。身体を動かせないことは相当のストレスだと見受けられる。
「宿とも距離が近いですし、こことの往復だけならさほど問題にならないかと思うので」
 仮に見咎められたとしても、宿の冒険者かギルドにいた者がすぐに証言してくれるだろう。
「特別扱いにならないのならお願いしたいのですが」
「うーむ……まあ、いいだろう」
 ギルド長は承諾した。あまり前例はないが、同じことを他の冒険者に頼まれても承諾するだろうから、という理由だ。アルカレドが特別だというわけではない。
 有難うございます、とエルフィリアは一旦頭を下げた。
――ただし、アルカレドを施設から外に連れ出さないでいただけますか」
 奴隷が見咎められる恐れがあるのは、一人で出歩くからだ。例えば誰かが、食事や買い物に誘ってくれたならその問題はなくなる。しかし、エルフィリアからはその許可は出せない。金を持たせられないという理由も無論あった。
「業務には含めねえが、善意で誘うのも駄目なのかい」
「……誰かの善意に期待するしかない生活というのは歪むのです」
 エルフィリアは息を吐いた。
 生前の記憶で見たことがある。角のパン屋の女の子がいつも、余ったパンをこっそり孤児たちにやっていた。しかしある日、パンが余らなかったことで激怒されていたのだ。善意からだとしても、貰うことが当たり前になってしまえば貰えないときは損をしたと思い込むのは珍しいことではない。
 アルカレドに限ってそれはないと思うが、別の例もある。それもまたパン屋の話で、その孤児の場合は懇願だった。幼い妹が待っているのでどうにか分けてくれと、地面に頭を擦り付けて懇願した。その結果、罵倒が飛んできたのは傍観者のこちら側だった。奴隷に見られたことが許せなかったのだ。自由がないと奴隷を蔑んでおきながら、実際は誰かに頭を下げないと生きていけないのは自由ではないと痛感していたのだろう。
 誰かに申し訳ないと思うだけの日々では、自尊心が削れてしまう。
――それに、他の奴隷に逆恨みされるのも困るので」
 鍛錬場の利用だけなら問題はないが、主人がいなくとも自由に外出できるとなれば特別扱いだと思われても仕方がない。奴隷自身に何ができるでもないが、主人に妙なことでも吹き込まれては困るのだ。
 エルフィリアが奴隷に食事を与えるのは、扶養の義務があるからだ。多少の色を付けても許されるのは、エルフィリアが普段、アルカレドをこき使っているからである。
 そういう条件で成り立っている関係なので、特別に便宜を図ることも選択肢には入っていない。つまりは、誰かに依頼料を払って連れ出してもらうのも無しだ。
 奴隷を適切に扱うというのは、意外と難しいのである。
 貴族が上手くやっているのは、基本的に主人が自ら使役しないからだ。間に別の使用人を立てて、統率しているため、直接のやり取りはほとんどないのだった。


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2023 03 18