土の日になって、エルフィリアはハチ型の魔物のいる迷宮に赴いた。
 結局、週の中頃と週末にアルカレドを連れ出すというパターンにならざるを得ない。学業があるので時間帯が自由にならないし、頻度を上げるのも目立つのだ。学院内でもさすがに、毎日街に行くような者はいない。
 地下五層のボスは、またもオクス種だった。前回のものより等級が高いので、素材も高く売れるだろう。これから下層にハチ型の巣を取りに行くので、荷物の容量を考えて角は取らないことにした。肉もやはり、半分ほどしか運べない。
「鞄が欲しいところですね……そういえば、荷運び用の奴隷って奥の階層まで潜れるのでしょうか」
 冒険者が奴隷を守れるのなら物理的には可能に思える。しかし、それ以前に迷宮の負荷というものが存在するのだ。
「奴隷は、迷宮の負荷が掛からないそうですよ」
――そうなんですか?」
「ギルド長が言ったでしょう、奴隷は付属品にカウントされると」
 確かにギルド長はそう言っていた。あれは、単なる比喩表現というわけでもなかったのだ。
 恐らくは迷宮が首輪の術式を読み取って、付属品であるとの判定を下している。
「……そうですか」
 奴隷になるとはそういうことだ。個人の感情はともかく、システム上は人として扱われない。そのことに葛藤を覚えないから、貴族は奴隷を使っていられるのだ。
「……ところで、また魔石ですか?」
 アルカレドがエルフィリアの手元を見て声を上げる。解体の待ち時間、手持無沙汰に魔石を手の中で転がしていたのだ。
「もう少しで何かわかりそうだと思ったら気になりまして。寮で試すには危ないですから」
「……どこで試そうと危険ですが」
 エルフィリアは意に介さず、杖を取り出した。どうせ彼に迎合したって機嫌が好くなるわけではない。
「魔力が入るなら、魔法も詰めることができるのかと思ったのですが」
 魔法は最低でも発動までに数秒は掛かる。どの魔法を使うかの判断にも数秒掛かるので、不意打ちへの対応が遅い。そのため、魔法をストックできたら役立つのではないかと思ったのである。
 試しに火種を出す魔法を唱えてみたが、吸収はされずにそのまま発動してしまった。魔石の表面を炙るばかりで、中には浸透しない。そもそも抜け石では、魔法の発動前から既に弾かれている感覚がある。
「他者の魔力が反発するなら、その逆はどうですか」
「逆とは……ああ、自分の魔力ならば親和性が高いということですね?」
 それはいい、と思って、エルフィリアは自分の魔力を充填した魔石を取り出した。
 魔石の中に向かうように促しながら詠唱すると、魔力に引かれて魔法が入っていく感覚がする。これはいける、と思ったが、唱え終えたところで発動の力が消えてしまった。
 どうやら、親和性が高すぎて魔法が吸収されてしまったらしい。
「……これも駄目でしたね」
 エルフィリアは溜息を吐いて杖を仕舞った。
 思い付きというのは、なかなか形にならないものだ。


 ハチ型がいるとわかったのは七層だった。
 階を降りたとき既に甘い匂いが漂っていて、プラント種の群生があると知れたのだ。
 そのプラント種は誘引香花と呼ばれていて、獲物を匂いで誘い込んでから蔓で捕獲して養分を吸う。動きも鈍いので、単独の状況で捕まらなければ抜け出すのも容易だ。負傷した動物や動物の仔がよく捕まっているが、近寄らなければそもそも害はない。
 その周囲に、ぶんぶんとハチ型が飛んでいた。
「……いましたね」
 エルフィリアは、刺激しないようにハチ型の後をついていく。殺すのは簡単だが、目的は巣を見つけることだ。
 そうして見つけた巣は、木に吊り下がっていたりはしなかった。壁に沿って段々になっていて、どちらかといえば四角い。恐らく、崖沿いなどに巣を作るタイプなのだろう。高さは一メートルほどありそうだ。
「けっこう大きいですね……魔物は私一人でもなんとかなりそうです」
 エルフィリアは早速キヒロヒの葉を燃やして、煙を巣に送るようにする。煙にいぶされた魔物が次々と巣から飛び出し、混乱したようにぶんぶんとそこらを飛び回った。そのうち、煙を立てた元凶がいることに気付いたらしい。
 列を成してわっと襲い掛かってきたが、後ろに下がっていたエルフィリアは既に術式の準備を終えていた。
――《火をここに》!」
 充分魔物を引き付けてから発動語トリガーを発すると、炎が巻き起こって一気に燃え上がった。素材のことを考えなくていい分、殲滅すればいいだけなのは気が楽だ。
 しかしその油断が隙を生んだのか、火から逃れた何匹かが、ぶうんと唸りを上げてエルフィリアに襲い掛かる。
「痛っ」
――お嬢様!」
 咄嗟に顔をかばった手の甲を刺され、エルフィリアは悲鳴を上げた。
 アルカレドがすぐに駆けつけて、残っていた何匹かを斬り払う。
「針が入ってしまって……っ、返しが付いていますね」
 エルフィリアは魔物の残した針を抜こうとしたが、中で引っかかっていて抜けなかった。下手に引っ張ると、肉が裂けてしまう。
――アルカレド、ナイフを出して頂戴」
 エルフィリアは荷物からナイフを取り出させた。
「はい、ここに」
「ではそのナイフで、ここを切り開いて頂戴」
――は?」
 ナイフで傷口を広げてから引っ張り出すのが一番ダメージが少ない。負傷したのが利き手の方だったのでアルカレドに頼んだのだが、彼は目を見張ったまま固まってしまった。
「できません」
「私が頼んでいるのですから、恐らく大丈夫です」
 奴隷には、主人を傷つけられないという誓約が掛かっている。しかし、自主的なものでなければ誓約は働かないはずだった。
――できない。俺には、誓約が働かないという確信がない」
 その言葉は、どうにも筋が通っていないように聞こえる。誓約が働いたところで、エルフィリアを傷つけることはできないという結果になるだけだ。
 ――しかし、エルフィリアにはその理由がわかった。
「……酷なことを頼みました、そのナイフをこちらに頂戴。針を抜くのはやっていただけるわね?」
 アルカレドは黙ってナイフを寄越す。エルフィリアは、利き手とは逆の手でぎこちなくナイフを縦に入れた。
 よく切れるナイフなのでさほど力を入れなくて済んだが、痛みが軽減されるわけではない。奥歯を噛みながら、できるだけ傷口を直視しないようにした。傷が怖いのではなく、痛みをより鋭敏に感じそうな気がしたからだ。
――アルカレド」
 手を差し出すと、アルカレドが針を抜く。回復薬を渡されたので、エルフィリアはそれを受け取って傷口に掛けた。それで、傷は綺麗に治った。
 基本的に、回復薬は患部に掛けるものだ。内服も可能ではあるが、治したい部分が優先されるとは限らない。全身に細かい傷がある場合など、別の箇所が優先されてしまうことがある。本人に意識のないときは飲ませるのが困難なこともあり、基本的に飲む前提ではないので味は考慮されていない。
「ほら、これで良くなりましたよ」
 エルフィリアが手の甲を見せると、アルカレドは視線を逸らすようにして頷いた。
 誓約が働いて負荷が掛かるとしたら、奴隷が主人を傷つけようとしたときだ。
 負荷が掛かることによって、主人への害意を証明することになってしまうことを、アルカレドは恐れたのだった。


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2023 03 12