「蜂蜜を取りに行きたいと思います」
 エルフィリアは、甘味を欲していた。
 珍しい蜂蜜があると聞いて、好奇心を刺激されていたのだ。魔物の中に獲物を誘う甘い匂いを発するプラント種がいるのだが、その蜜を集めるハチ型のインセクト種が存在するという。非常に濃厚な味がするらしくハニーハンターも取りに行く逸品だが、稀少な品である。
 貴族の間では魔物食はゲテモノ食いという印象が強いのであまり話題には上がらないが、好事家の間では知られている。
 学院内のカフェで珍しい菓子類の話になり、そのときに話のタネに教えてもらったのである。魔物肉よりはかなり抵抗感が弱くなるようだ。
 そんな折、ハチ型が出る迷宮の話を聞いた。迷宮内には、甘い匂いのするプラント種の群生地もあるという。これは蜂蜜が取れるのでは、と色めいたというわけだ。
 そういう迷宮があるならどんどん取りに行けるのでは、という疑問が湧くが、そう単純でもないらしい。まず、迷宮の奥に潜るとなればハニーハンターが単独で行くのは負荷の問題もあって難しい。それがなくとも護衛を雇う必要があり、費用と労力がかさむ。それ以上の値段で売れるとも言えるが、下手に供給を増やすと逆にその値段では売れなくなる。費用分を回収できなくなるよりは、稀少価値のままの方が得である。
 一方冒険者の方は、インセクト種本体からはたいした素材が出ないのでまとめて燃やすか切り刻む。わざわざハニーハントの方法を調べてきたりはしないのだ。迷宮内なら、いくらでも他の素材が取れるからである。
 そんなわけで、相変わらず稀少な蜂蜜なのだ。
 ところでエルフィリアはいま、森に居る。
「迷宮に行くんじゃなかったんですか」
「急ぐなら回り道をしろという言葉がありまして」
 つまり、事前準備が必要である。たいした手間ではないので週末にまとめてしまっても良かったのだが、要するにアルカレドを連れ出すための口実である。この男は何日も宿屋に閉じ込めておくと機嫌が悪くなるのだ。
 エルフィリアはキヒロヒの葉をぷつんと摘んだ。黄色みが強く、椿に似たつるつるとした葉だ。これらを集めて燃やすと、魔物の嫌がる煙を発する。その煙で、ハチ型の巣をいぶすつもりである。
 巣を取るためにハチ型をどうするかと考えたのだが、燃やすと蜜が変質してしまう。まとめて切り刻むと、魔物の残骸が巣に混じり込む可能性がある。死骸だけなら迷宮を出るときに魔素に分解されるが、羽や針の状態で分割されていると素材として残ってしまうのだ。
 というわけで、煙で追い出す方法が最適だと判断した。この葉の加工品は魔物除けとしても売られている。ただし等級の高い魔物には効かず、種類によっては人間の存在を察知すると近寄ってくるものがいるので、魔物の分布が不明な場所での使用は控えた方が良い。
「逆に、特定の魔物をおびき寄せるのに使えそうですね」
 アルカレドの言葉に、エルフィリアは頷いた。狩りをするためには、いろいろと発想の転換も必要なのだろう。
 葉を摘むのはさほど手間ではないので、たくさん摘んでおくことにした。しかし乾燥させすぎると煙が出るよりも燃え尽きてしまいそうだ。かといって水分を残しておくと長期保存は難しい。
 では加工してみようかと準備を始めたときに、魔物が草陰から飛び出してきた。
「《風よここに》!」
 一発で魔物を仕留める。今日は咄嗟に判断できたと満足したが、アルカレドからは「真っ二つですね」との嫌味をもらった。
「ウサギ型の、いえ、レプス種と言うのでしたか。レプス種の素材はどちらにせよ取りませんので」
 エルフィリアは言い返した。こういう魔物は低位の冒険者が狩っている。一つ一つは安い分、数を売るのだ。エルフィリアは無論そんな暇はないので、狙う獲物ではない。とはいえ、一角兎の角は薬の材料にもなるらしいので取っておいた。
 さておいて、エルフィリアは荷物から例の三脚を取り出す。乳鉢に乳棒、それからフラスコ。フラスコだけは真新しい。抜け石を砕いて混ぜたガラスから出来ていて魔力伝達が良いが、使い手の魔力をなじませる必要があるので新品なのだ。
 エルフィリアは敷物を敷いて、そこに座った。
「そういうもの買ってるから金が溜まらないんじゃないんですか」
「全部合わせて金貨一枚にもなりませんよ」
 貨幣には銅貨、銀貨、金貨、白金貨がある。銀貨百枚で金貨一枚になるが、利便性のために銀貨十枚分の大銀貨という貨幣が造られている。その大銀貨分は、勿論超えていた。
 無駄遣いだとは思っていないが、勢い任せなことは否定できない。アルカレドの一件から、衝動買いの楽しさに目覚めてしまったのかもしれなかった。
 週末に使う分の葉は布にくるんで仕舞い、残りを加工することにした。乳鉢の上で小さな風の魔法を起こし、葉を粉砕する。そこに魔法で水を足して、乳棒で混ぜる。それをフラスコに注ぎ入れて火に掛ける。フラスコは横から管を差せるもので、管の先には小瓶をセットしている。
 熱を加えることで煙の中に成分が染み出すのなら、分離できないかと思ったのだ。
 一般的に売られている魔物除けは、キヒロヒの葉を腐りにくく加工した上で刻んで紙に巻いてあるものだ。それをいくつか周囲に撒いて、火をつけて燃やす。煙自体は人体に影響はない。
 成分を抽出できるのなら荷物も小さくなるし保存もしやすくなる。エルフィリアはそれを水の魔法で薄めてミスト状に撒けばいいと思ったのだ。
 性能の向上を目指しているというよりも、単なる実験への興味と時間つぶしだった。葉を取っただけで引き返すのも何となく気が乗らなかったのである。
「それで、アルカレド。今後のことについて話しておきたいのだけれど」
「へえ、まさか相談ですか? ご主人様が、奴隷に?」
 軽い調子だったが、アルカレドの目は冷ややかだった。
「違います」それを撥ね除けてエルフィリアは答える。「とりあえずの方針をはっきりさせておこうと思って。それでいろいろ考えたのだけれど、優先すべきは拡張式鞄だと思います」
 中の空間が引き延ばされていて、大量に収納できる鞄である。見た目上のサイズも、小さくて嵩張らないものが多い。
「あー……鞄ですか」
「先日もお肉を半分しか持って帰れませんでしたし、鞄さえあればもっと稼げる可能性が高いでしょう。費用はかかりますが、まずはそれを目標にしようかと」
 エルフィリアが手に入れた準備金は金貨四十枚である。これは当然返す予定だ。拡張式鞄は一般的なもので金貨五十枚は掛かる。この両方を稼いだ上で生活用の金も卒業までに必要となるが、無理な金額というわけでもない。鞄についてはひと月あれば稼げるだろう。
 ちなみに貨幣について、金貨二十枚で大金貨というものになるのだが、概念上は皆金貨で数えている。他の貨幣が十枚単位で繰り上がるのに対してわかりにくいのだ。実際に、冒険者の報酬なども大金貨より金貨で支払っていることの方が多い。すぐに両替するから大金貨だと不便だということで、貴族だけが使用しているような貨幣である。
「と、いうわけで。アルカレドの宿はしばらくグレードが上がりません」
――つまり、金を稼いでいるからといって、待遇が良くなるとは思うなってことですね」
 そういうことか、とアルカレドは得心したように息を吐いた。
 不満を持たれないために話したという合理的な理由付けができて、アルカレドはほっとしたように見えた。
 奴隷は主人に気を許すことを嫌がる。自分の立場は受け入れていても、魂まで売り渡すことは受け入れていない。しかし、次第に抵抗しない方が楽なことに気付くのだ。そうして受け入れてしまった奴隷は、もう奴隷以外のものになることはできない。
 奴隷は主人に気を許すことを――恐れている。


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2023 03 10