解体は大事である。
 その言葉を脳裏に刻み込んだエルフィリアは、その機を逃さなかった。生前の記憶の話である。
 屋敷で動物の解体があるたびに、彼女は手伝いを申し出たのだ。屋敷の主人は狩猟が趣味で、シーズンごとに仲間と狩りに出かけていた。その成果を、夕食の席で披露するのだ。
 シチューになった兎に始まり、鴨、鹿、猪と解体し、狐、熊も皮を剥いだ。下働きの中にやりたがる者などいなかったので、すぐ声が掛かるようになった。やり方などを説明したら、ジムが喜ぶかと思ったのだ。
 いま振り返るとだいぶ変わった行動だとは思うが、日々の仕事は単調だったのでちょうどよく変化が付いて面白かったということもあるのだろう。
 ――そういうわけで、解体のやり方は知っている。
「ちょうど首は切っているし、血抜きをしたいので吊り下げ……は無理ですね」
 死んでいるのを確かめるように、エルフィリアは傷口のある方に移動する。
「血を抜く――とにかく流せばいいのかしら」
「なんだ、あの、お嬢様?」
 まだ思考の追いついていないアルカレドが疑問を発しているが、エルフィリアは目の前の出題に夢中だった。
「流れを定義する単語を使えば――《波濤》、《奔流》……いや、《飛湍》かしら。既にあるものだから、生成用の発動語トリガーは必要としない……」
 エルフィリアは杖を向けて、流れを促すように先端をくるりと回す。
「《其を波濤とし飛湍とし流るるを示せ》」
 魔法を唱えると、川のようにどっと血が溢れ出す。血の流れは地面に染み込んだものから順に、魔素となって消えていった。迷宮内では、死した魔物は放っておくと魔素に分解されて、また迷宮に吸収されるという。
「術式の方向性は合っていたようですね」
 本来、術式は個人に合わせてカスタマイズするものだ。
 まず基本形を個人の型に合わせる。水を生成する魔法を例にとると、エルフィリアの型なら《夜露よ来たれ雨よ来たれ、ありふれた水よここに》、別の型なら《夜露よここに雨よここに、ありふれた水よ来たれ》、などがある。個人によって魔力効率の良い型が違うのだ。
 それから、想定する威力や性質によって単語を置き換える。これも、魔力相性の良い単語がそれぞれにある。エルフィリアなら《夜露》でも、別の者なら《夜霧》というように。
 さらに高度になると、全体を一つの流れとして術式を組む。隣り合う単語の相性や音韻が関係する。《水よここに》ではなく《水をここに》が良い場合もある。ひと連なりの流れとしていかにノイズがないかが重要となるが、ここまで極めるのは魔法学院の中でも少数派だ。
 血抜きに満足したエルフィリアは、荷物の中からナイフを取り出した。
 少し湾曲している大ぶりのナイフで、握りの部分も大きく重い。丈夫さと切れ味を増すためにかなり上等な素材を使っていて、これを買うのに手持ちの準備金の半分を払った。「解体は大事」だからだ。
 咽喉の下にナイフを当て、まずは腹まで切り開こうとした。――が、ナイフが動かない。
――アルカレド」
 エルフィリアは従者を手招いてナイフを渡した。
 ナイフなど握ったことのないエルフィリアは、腕力が足りなかったのだ。
「解体して頂戴」
――お嬢様だよな」
 知ってた、と言いたげにアルカレドは苦々しげな表情だ。どうせこうなると思っていたのだろう。
 どう思ったところで、奴隷は主人には逆らえない。
「で、どうすれば?」
 指示は任せたと皮肉げに笑うが、事実、エルフィリアは手順を知っている。
「とりあえずお腹を開いて」
 先ほど通らなかったところにナイフを当てると、テリーヌでも切るようにすくっと刃先が沈んだ。エルフィリアのときとは大違いである。
 それから左右に開きながら内臓を取り出す。とにかく内臓を傷つけないようにと忠告した。うっかり破ってしまうと、いろいろ体液などが出てきて汚れるのだ。取り出しにくければ骨を外しながらでも良い。
 それから皮を剥ぐ。ナイフを入れすぎると皮が破れるので境目に当てるぐらいで良い。首周りはぐるりと切ってくれればいいのだが、面倒くさかったのか、アルカレドは剣で首ごと落とした。
「それから、これです」
 エルフィリアは荷物の中から折り畳み式の鉈を取り出した。
「あんたいったい、何持って来てんですか」
 勿論、解体用の道具がメインだ。「解体は大事」なのである。手間賃は意外と高いので、自分でできるならやった方が良い。
 鉈を使って、皮の内側の脂を削らせる。だいぶ奇麗になったので、魔法で水球を浮かせて、その中に放り込んだ。水の流れを回しながら、皮を洗う。取り出した後は乾かして完了だ。
「ここまでやる必要、あるんですか……?」
「荷物を汚したくないだけです」
 中途半端にぐちゃぐちゃになったものを荷物に入れるのは嫌だったのだ。――お嬢様か、とまたもアルカレドが呟いた。
 角と蹄も切り離し、こちらも適度に洗った。蹄が使えるかはわからなかったが、爪が素材になる魔物もいるので念のためだ。
 それらを木の皮で包んで紐で縛る。とある木の皮を薄く削り出して柔らかくしたもので、肉を包むのに使われていたから知っていたのだ。血や水分をある程度吸い取るので汚れなくて済む。生前の知識である。それに、包んでおけば他の荷物とぶつかって傷がつくことも防げる。
「魔物肉は聞いたことがあるので、お肉も需要があるかしらと思ったのですけれど」
「保存食としてはいいみたいですよ」
 普通の肉より長持ちするのだという。魔素が濃いため腐りにくいのだろう。伝染病や寄生虫の心配もないため、使い勝手は良さそうである。
――ただし、あんまり美味くない、とか」
 そういった理由で、塩漬け肉とか香辛料をぶち込んだものが主流らしい。
「どんな味がするのでしょうか」
 これぞまさしく冒険者の味、というイメージが湧いて、エルフィリアの好奇心が募る。ウシ型の魔物だから、味も近いのではないか。美味しくないとしても試してみたかった。
 少し腰を落ち着けることにして、エルフィリアは敷物を取り出して座る。
 魔物の肉をナイフで薄く切り取って、円状の金網に乗せた。さらに組み立て式の小さな三脚を取り出してその上に網を乗せる。薬の材料などを火で炙るための道具だが、中古品を見つけたので買っておいたのが鞄に入ったままだった。役立てる予定なので無駄遣いだとは思っていないが、現状、欲しいものがとっちらかってしまっている。
「変な物ばっかり持って来てんな……」
「《火種よ薪よ、息ひそむ火花をここに》」
 アルカレドの溜息をよそに、エルフィリアは小さな火を出して網の上の肉を炙る。本来は爪先ほどの小さな火を灯すためのものだが、杖を使って威力を上げたのだ。フォークがなくて少し困ったが、焼いた肉は木の皮を使って挟むことにした。
 はむ、と口に入れると確かに食べにくい。しかし思ったほど獣臭くも粗暴な味でもないのだ。では何がというと、舌を押し返すような異物感、不快感――に似たものがある。
「これ……魔力なのでは?」
 先日、魔力の反発について話していたので思い至った。他者の魔力が体内に入るということ自体はある。そもそも、食事として動植物の魔力を取り入れているのだ。ただし影響がないのは微量なものだからだと見える。薬などにも制作時に混じっているはずであり、少量だから影響がないのだと考えて差し支えない。
 ということは、量が多ければ反発するのでは。それともやはり、魔物の魔力が特別ということなのか。
 ――そもそも、他者の魔力の反発とはどういうものか。
 ふうむ、と思案したエルフィリアは魔石を取り出した。先日、アルカレドに魔力を詰めてもらったものだ。ここに、エルフィリアの魔力を足すということは可能なのか。
 一度思いつくと試したくなって、地面に置いた魔石にエルフィリアは杖を向けた。
「今度は何をやってんで――お嬢!」
 バチン、という音と同時に、顔の前にアルカレドの掌がかざされた。飽和したときとは魔石の割れ方が違い、内圧で弾け飛んだのだ。砕けた欠片があちこちに四散している。
「び……っくりしました」
 エルフィリアは、目をぱちぱちとさせた。
「でも、なるほど……わかりました。直接魔力を混ぜると駄目なのですね」
 怪我をしてはいないかとアルカレドの手を取ったが、無事だと言われた。その手を見て、そうだ、とエルフィリアは思いつく。
「アルカレド、魔力を流せませんか」
「お嬢様、手が汚れる――何だって?」
「放出は不得意でしたね……では、私が魔力を流すので受け取って頂戴」
 手を取ったまま魔力を流すと、アルカレドは静電気にでも当たったかのように、ぴくっと眉を顰めた。
「反発していますか?」
「あー……拒絶感というか、抵抗感みたいなものはあります」
 では次、とエルフィリアはアルカレドの両手をそれぞれ握った。
「右手で魔力を流して、左手で受け取ります」
「あんた、冒険者じゃなくて研究者気質じゃないですか? あー……はい、大丈夫です」
 文句を言いながら、アルカレドは実験に付き合った。
「なるほど、魔力の流れがあれば問題ないみたいですね。よくわかりました」
「……手が汚れましたけどね」
 アルカレドは解体作業をしていたので、両手が血で汚れている。半分は乾いていたが、ぺたぺたとしていてエルフィリアの手にもくっついたのだ。洗えばいいのでは、と言ってエルフィリアは水を出した。
「……それで?」結局何の実験をしていたんだとアルカレドが水を向ける。
「魔力の反発は、流れがないために起こるということが判明しました」
 魔物肉の不快感は、そのためだという仮説が立つ。ならば、単純に魔力を抜いてしまえばいいのだ。
「《其は濤濤と淙淙と掌中から巡るを示せ》」
 魔物自体の魔石を媒介にして、先ほど構築した術式を応用する。成功したなら、魔石を通じて魔力は宙に抜けたはずだ。
 ではもう一度、と肉を削いで火で炙る。今度は、アルカレドの分も用意した。咀嚼すると、噛み応えはあるが反発は感じない。むしろ、脂も少なくて食べやすかった。
「これは……美味しいのでは?」
「……けっこういけますね」
 味がどうとかよりも、実験が上手くいったことの方にエルフィリアは高揚している。魔力は抜いたが、練られる前の魔素自体は残っているので保存も問題ないのではないか。ここで、魔物素材を使った薬の魔力反発はどうなっているのか、という新たな疑問が湧いたが、恐らくは加工時に変質するのだろうと思う。もしくは何かで中和しているか。
「アルカレド、お肉も持って帰りましょう!」
「全部は無理ですよ、何百キロあると思ってる」
「でも、解体時にひっくり返したりはしたでしょう?」
――ん?」
 改めて考えると、思ったほどの重さはないようだ。しかし土壁にぶつかったときの衝撃を考えると、軽かったとも思えない。ここから導き出される結論はというと、
「魔力の流れが重さを作っていたのでは?」
 つまり死ぬとその分の重さがなくなる。魔物の循環機能は特殊なので、そういうこともありそうではある。しかし、魔力の高い角の部分は割合的にはさほど軽くなっている感じがしない。密度が濃いと重さが残るのだろうか。
 とにかくこれで合点がいった。荷運びが大変なのに、解体屋に充分な獲物が持ち込まれるわけだ。冒険者は魔物を狩ることは得意でも、それを持ち帰るとなればコストが重いと思っていたのだ。
「……もう一度言いますが、全部は無理ですよ」
 いくら軽くなったとはいっても限度がある。それに、物理的に荷物に入りきらない。
 なるほど、とエルフィリアは思った。荷運び用の奴隷を買うわけだ。


next
back/ title

2023 03 06