「良い子にしていましたか?」
「お嬢様はくだらない冗談がお好きですね」
 エルフィリアが水の日の午後にアルカレドを迎えに行くと、またも嫌味を食らってしまった。
 ちなみに、月の日、火の日、水の日、風の日、かねの日、土の日、陽の日で一週間である。違う呼び方をしているところもあるらしいが、大陸ではこれで統一されている。ちょうど四週間で一ヶ月なので、一日はいつも月の日となる。十三ヶ月で一年だ。
 しかし、アルカレドの機嫌は思ったよりも悪くない。何か退屈を紛らわせるものでもあったのかと訊くと、ギルド職員に連れ出してもらったのだという。
「それは何か、ご厚意で?」
「いや、買い物の日を二回に分けてもらいました」
 なるほど、その手があったかとエルフィリアは思った。行く店が違うのだから、二度手間というほどではない。
「職員に預けておいた予算は足りましたか」
「ああ、まあ、一通り」
 高価な物を購入したいわけではないので、中古で良いとは伝えてあった。余った分は寸志として受け取ってもらうことにしていたのだが、手を抜かずにしっかりと選んでくれたようだ。
 少し古びてはいるが丈夫そうな鞄や、できればと言っておいた武器も揃えてくれている。柔らかそうな革の剣帯も腰に付けていた。使い込んだものを修理したらしく金具の部分は新しい。心配していた靴も真新しいブーツで、アルカレド自身も髪を切って陰鬱さが薄まっていた。その分黒い眼帯がよく見えるようになったが、元々が黒髪なので目立ちすぎる感じもない。首輪も黒なので、明るい色の服は似合わないだろうなと余計な心配をしてしまった。明暗の比重が偏りすぎる。
 石鹸とかタオルとかも買ってもらえただろうか、と思ったが、そこまで訊くのは下世話に過ぎると思ってやめておいた。
「今日はそんなに時間が取れないので、薬草の採集にでも行こうかと思います」
「異論はないですが」
 魔物素材が欲しいなら迷宮という手もあるが、植物採集にはあまり向いていない。そちらの方は、週末にでも行こうかと考えていた。
 というわけで馬車に乗って街の外まで行き、森に入る。
「意外と薄暗いのですね、時間がわからなくなりそうです」
「森に来たことがないんですか」
「いえ、学院の演習ならありますが、もっと小さい森だったので……」
 体感としても、意外とひんやりしている。今度来るときは、上着を用意しておこうと思った。何にしても、経験するまでわからないことというのは多くある。
 見つけた薬草を摘んでいったが、どれが魔力の多い葉なのか見ただけではわからない。こういうのは、加工時に入れたものとの反応を見るなど、経験則で判断することである。
「抽出のやり方がわかれば、私でも薬が作れそうなのだけれど」
 薬草による薬作りは平民の仕事だとして、魔法学院では習わないのだ。草をたくさん集めたり、すりつぶしたりするからだろうか。基本的に、汚れる仕事を貴族は好まない。竜の血を使うようなものには軽くは触れるが、呪いの解呪薬などで方向性が違う。エルフィリアは、組み合わせを考えたり試したりすることが好きなため、いろいろと興味は尽きない。
 アルカレドは採集をまったく手伝わないが、見かけだけの従者でいいと言った手前、咎めないことにする。退屈ではないかと思ったのだが、特に何かをしたいというよりは、出歩いて外の空気を吸っているだけで充分気分転換になっているようだった。
「……乾燥させた方がいいのかしら」
 この薬草は、葉の裏側が白い。どう使うものかわからなくて、エルフィリアはポケットサイズの植物図鑑を取り出した。こういうのは物によって、乾燥させた方がいいのか新鮮な方がいいのかが違う。
 そうやって調べていると、草の陰からひょっこりと魔物が現れた。
「アルカレド! 倒して頂戴」
「ただのスライムでしょう。殴っといたら死にますよ」
 ぐにゃぐにゃとしたゼリー状の魔物だが、強い衝撃を与えるとべたりと広がって動かなくなるのだ。子供が木の棒で殴っても死ぬぐらい弱いが、あいにく手元に武器がない。
「今は手が塞がっていますし、汚れたくありません」
――ったく、お嬢様だな」
 そうですよ、と混ぜっ返すと怒りそうなので黙っておいた。
 アルカレドはつかつかと近づいて、がづっとスライムを踏みつけた。えっ、とエルフィリアが驚いている間に、靴で踏み荒らして残った魔石を取り出す。
「えっ……剣は」
「べたついて切れ味が鈍るから嫌なんですよ」
 ほら魔石、と寄越された石を布で拭って、エルフィリアは荷物に入れた。せっかくの真新しいブーツはいいのか、と思ったがいいのだろう。
「あんただって、魔法が使えるんじゃないんですか」
――あ」
 咄嗟とっさだったので、出てこなかった。調べ物の方に思考が取られていたので切り替えられなかったのである。
「よくそれで、冒険者になるとか言ったな……」
「何事も、経験ですよ」
 良いように言ってはみたが、確かに経験が足りない。頭で考えるのと、実際にやってみるのとでは違うのだ。
 アルカレドでなければ、ここにいたのは別の奴隷だったかもしれない。スライムならそれでも良いが、もっと強い魔物が出てきたとき、戦力にならない奴隷を抱えて戦えただろうか。
 それを考えると、咄嗟に魔法を放てるような訓練も必要だと思えた。学院では実戦演習もやるが、それは最初から臨戦態勢なので心構えが違う。
――アルカレド、ブーツをこちらに向けて頂戴」
 手招くと、アルカレドは素直に手前までやってきた。
「《夜露よ来たれ雨よ来たれ、ありふれた水よここに》」
 エルフィリアは、魔法で水を出してアルカレドの靴を洗う。飲み水などを出す用の魔法だが、空気中の水分を集積するので応用すれば物を乾かしたいときなどにも使えるものだ。
 発動語トリガーは《水よここに》だけなので大部分は無詠唱でもいけるのだが、エルフィリアは最初から最後まで魔力が繋がる流れが好きで、安定した場で使うときは術式を口に出すことにしていた。実戦のときなどは勿論無詠唱だ。手の内がばれないようにとの理由もあるが、呼吸が乱れると詠唱がぶれるのである。
 術式は基本形はあるのだが、威力や性質などをある程度アレンジして使うことができる。古代語というそもそも力を持った言語があり、不用意に発動すると危険だということで少しずつ置き換わったのが現在使われている言語だ。その古代語の中でも特に力の強いものを抜粋して、術式としているのである。
 平民はどこまで習うのか知らないが、少なくとも王立魔法学院ではこの古代語を使って術式を組み替えるということは教えていた。
 アルカレドはエルフィリアが魔法を使うのを、へえ、という顔で見ていた。
「俺は魔法が使えないので、不思議な感じですね」
「魔力がないようには見えませんが」
 魔力というのは目に見えないので判別は難しいが、自分と似た循環機能を持っているかは何となくわかるので、相手の魔力が自分よりも上か下かぐらいはわかる。魔力がないというのは相対的な意味であって、実際にゼロだということではない。
 試しに抜け石を渡してみると、魔石のことは知っていたようで、アルカレドは魔力を詰めてくれた。中身は三分の二ほど溜まっていたから、平民の平均よりは魔力が高いはずだ。
「魔力を練るところまではいけるんですが、放出するのがどうも駄目で」
 魔石の場合は、掌に集中させられれば石が魔力を吸うので何とかなるらしい。
 何事にも、向き不向きというのはあるものである。
 その日、採集したものをギルドの受付に持っていったのだが、基本的な薬草だというのに高評価だった。
 魔法で乾燥させておいたのが良かったらしい。乾燥処理済で納入されること自体はあるが、乾燥に三日ほど掛けるのが通常のやり方で、その間に成分がいくらか散ってしまうものなのだ。摘んですぐの状態のものを急速乾燥させたものは珍しく、効能も高いという。
 それで、魔法の応用を利かせる処理が珍しいことを知った。
 そもそも、高等な魔法士がギルドにいることが珍しいのだ。貴族はまず冒険者にはならない。平民でも魔力が高ければ努力と運で高度な魔法教育を受けることはできるが、そこまでして学んだ結果、国籍を捨てて冒険者になるのはレアケースである。貴族から学費の援助を受けている場合も多いので、大抵は国の魔法研究塔か魔法士団に行く。
 それならあまり知られていない方法を開拓できるのではないかと高揚してきて、エルフィリアは帰りに薬草の効能についての本を探しに行った。


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2023 02 28