指先に針を刺して、血を一滴魔術具に垂らす。
 血によって測定した魔力が個人を識別し、ギルドの登録情報となる。仮登録でも記録は残すのだそうだ。回復薬を含ませた布をグレイシーから受け取り、エルフィリアはそれで指を拭った。
「アルカレドは……登録した方がいいのかしら」
「奴隷をか? そんなことする奴はいねえよ」
 採集に連れていくならその方がいいのかと思ったのだが、ギルド長はしなくて良いと言う。では奴隷を連れている者はどうしているかといえば、奴隷の手柄もすべて、主人のものになるということだ。
「それは何だか、ずるいような気がしますね」
「奴隷は付属品にカウントされるからな。だいたい、まともに魔物を倒せる奴隷はいねえよ」
 子供でも倒せるようなスライムぐらいならともかく、技能があるなら奴隷になってはいないだろう。期間奴隷の場合は厳密には奴隷ではないし首輪も付けない。依頼を受けるならパーティを組むという形態になり、報酬の配分も事前に取り決めておくのが普通だという。そうでなければ一方的な搾取となるため契約違反になるのだ。ギルド登録がない場合も連れては行けない。
「そもそもだ。登録したら報酬が奴隷の方にも入っちまうだろう」配分はパーティそれぞれなので決まりはないが、誰かの取り分をゼロにすることだけは禁じられている。「分け前が減るっつうのもあるが、奴隷に財産を持たせるのがまずいからな」
 つまり、財産を持った奴隷に逃げられるという話である。
 奴隷から抜け出す方法というのはいくつかあって、自分自身を買い戻す、という方法があるのだ。通常、奴隷には給金がないのであってないような方法だが、冒険者になるなら可能性はある。
 とはいえ、ギルド自体もあまり歓迎はしていない。奴隷保護のためにギルドがあるわけではないのに、抜け道のように利用されるのは面白くないということらしい。
「ところで、ギルドの職員に依頼を出すことはできますか」
「ギルドにか? 禁止はされてねえが、何を頼みてえんだ」
「アルカレドの世話を頼もうかと思いまして」
「奴隷の?」
――俺の関与しないところで、勝手にいろいろ決めるのやめてもらえますかね」
 先ほどから要所要所で口を挟みたそうにしていたアルカレドだったが、さすがに自分の話ともなれば看過できなかったらしい。それに軽く手を振って、エルフィリアは話を再開した。
「装備品や身の回りの物を用意してやりたいのですが、一人で行かせるわけにもいかなくて」
 一か所ぐらいならともかく、主人であるエルフィリアがずっと付き添うのも変な話だ。それ以前に、そう甲斐甲斐しい距離感は、アルカレドの方でも嫌がるだろう。
「ああ、まあ犯罪奴隷だし、なおさらか」
「えっ、わかります?」
 エルフィリアは思わず声を上げた。犯罪奴隷というのは見てわかるものなのだろうか。
「首輪が黒いだろうが」
 犯罪奴隷の場合は首輪の色が違うのだという。エルフィリアは今まで犯罪奴隷を見たことがなかったので、色が違うのは商店によって違うのかと暢気に思っていた。
 妙に注目されると思ったら、アルカレドのせいだったらしい。
「それは、一般的に知られているようなことなのでしょうか」
「一般人は奴隷のこともよくわからんから知らんだろう。貴族は犯罪奴隷を使わないのが普通だから知らなくてもおかしくない。研究所に勤めてるような奴はたぶん知ってる。冒険者と騎士は半々ぐらいか」
 凶悪犯といえど捕まった時点では首輪が付いていないのだから、意外と知られていないものらしい。
――目立つものなら、隠した方がいいのかしら」
「やめとけ、余計勘ぐられるぞ」
 それもそうかとエルフィリアは息を吐いた。眼帯を付けた犯罪奴隷というのは随分と箔が付く。絡まれることが減りそうなのは儲けものだが、その分騎士に目を付けられるのは嫌だった。
「アルカレドがどうと言うよりも、私が冒険者を目指していることが広まると困るのですが」
「堂々としてろ。したら意外とばれねえもんなんだよ」
 適当に言っているだけかと思ったら、これでも実績のある言葉らしい。長くいろんな人を見ているだけあって、それなりの実例を知っているのだという。
 人というのは有り得ない可能性を真っ先に排除しがちなので、ちょっとやそっとではそこにたどり着かない。エルフィリアは個人を特定する特徴がほとんどないので、制服でも着ていない限り、まず公爵家の娘だとは疑われない。そんな雲の上のお人が、ギルドなんかに出入りするわけはないし、犯罪奴隷なんかを連れているわけがないのだ。ましてや、冒険者になるつもりだとは妄想の域である。
 視線を集めてもまずはアルカレドに目が行くので、意外とエルフィリアの顔は認識されなかったりするのだそうだ。それに、貴族ならこういう剣呑な人間に近づこうとはしない。
 なるほど、とエルフィリアは頷いた。ということは、学院の行き帰りさえ気を付けていれば何とかなりそうだった。ぱっと見の印象を変えるために、髪を編むぐらいはするといいかもしれない。一つに編んで垂らしておくと、動き回っても邪魔にならないだろう。
「名前……は変えておいた方がよろしいのでしょうか」
「それもやめとけ。学院では本名だろ、切り替えできねえと怪しまれんぞ。かといってエルとかエルフィとか愛称にするとだな、元の名前があるんじゃねえかと勘ぐる奴が出てくるもんだ。むしろ堂々と本名にしとけば、本物なら名前を隠すはずだと思うから見逃す」
 そういうものかはわからないが、妙な説得力はある。
 ではこのままにしておきます、とエルフィリアは頷いた。
「おう。ただ、おまえさん、しゃべり方はもうちょっと何とかしとけ」
「はい、心得るようにいたしま――じゃなくて、わかりました」
 もう少し、練習は必要なようである。


 結論としては、ギルド職員にアルカレドのことを頼むことができた。
 付き添い程度のことで正式に依頼を出すと手間と金が釣り合わないため、適当に処理しておくとギルド長には言われている。店の紹介ぐらいは他の冒険者にもしているとのことで、そう特別なことではないようだ。勿論、適切な店に案内してくれるという。何件か回らせてしまうことになるので、謝礼はきっちり用意することにした。
 あとは週末にでも魔物討伐の時間が取れればいいのだが、その前に一度会いに行かなければアルカレドが限界を迎えそうだ。
「何を手慰みにしているのだ」
「こちらです」
 考え事をしているときに声を掛けられ、エルフィリアは手の中で転がしていた魔石を見せた。
 声を掛けたのはウィンフレイである。
 エルフィリアはこの際、全面的に協力することにしてシャーロットとの仲を取り持っているのだ。勇んで婚約破棄したところで、シャーロットが身を引いてしまえばややこしいことになる。王子と二人きりにならないほどにわきまえているのだから、エルフィリアが先導してやらねば進展も何もないのである。
 学院の使用人に見つかれば上に報告が行く可能性があるため二人きりにはしてやれないが、会わせることはできる。基本的には、彼女とエルフィリアが会うところに王子を呼ぶか、エルフィリアと王子が会うところに彼女を呼ぶかだ。現在は後者で、談話室でシャーロットを待っているところである。
「魔石か。私もその講義は受けたが、割ってしまったな」
 教材に使ったものは持ち帰ることができるのだが、そうする者は少ない。エルフィリアは少数の方である。魔石はたくさん残っていたので、抜け石も含めていくつか貰ってきたのだ。
「赤い方には影響を与えられましたか?」
「いや、そちらには魔力が入らなかった。思うに、他者の魔力というのは反発するのではないか」
「魔物の魔力は別格、という見方もできそうですわね」
 考えつつ、エルフィリアは杖を取り出した。
「杖を使うのか?」
「割れてしまうのは、放出する面積が影響するのではないかと愚考いたしまして」
 石が割れてしまうのは、掌全体から魔力を吸収するからではないのか。そうであれば、杖に沿って魔力の筋道を作ってやれば良い。
 そう思って、杖を伝って魔力を流し込んでみる。コントロールしやすくなるので、量の調節も楽だった。
「もう少し……あ、綺麗に入りました」
 机の上に、魔力の詰まった魔石が完成した。
 魔石が充填できたところで何の役に立つというわけではないが、こうやって試していくことがエルフィリアは好きなのだ。
 そうこうしているうちに、シャーロットが到着した。


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2023 02 26