この国には三人の王子がいる。
 第一王子は国民からの人気が高いが、家臣からはあまり評価されていない。第二王子は有能で、主要な家臣からの信を得ている。第三王子は能力は平均的だが人を使うのが上手く、第二王子に不興を買いそうな家臣から慕われている。
 通例通りにいけば第一王子が王太子のはずだが、立太子が済んでいないので派閥が分かれてしまっている。つまり、それほど第一王子に求心力がないのだ。
 ユインスタッド公爵家はというと、本来は中立派だ。権力が欲しいわけではなく、国内の安定を望んでいる。しかし第一王子にはめぼしい後ろ盾がない。結果、バランスを取るためにエルフィリアを婚約者として第一王子に付けることにした、というわけだ。
 第一王子が無能なのかといえば、そういうわけではない。それなりの判断力を持ち、傀儡かいらいにされない程度の能力は有している。彼の美点は善良であることだ。慰問や慈善を積極的に行っているおかげで、国民に最も顔が知られている王子となる。
 そんな彼の、唯一にして最大の欠点は感情の切り分けが出来ないことである。
 ――話は一週間ほど前にさかのぼる。
 エルフィリアは学課後に学院内にある談話室に向かっていた。大事な話があるのだと、第一王子の呼び出しを受けていたのだ。王子の名はウィンフレイ、歳はエルフィリアと同じで魔法学院の生徒である。談話室には個室もあるので、王宮ではしづらい話があるのだろうとエルフィリアは考えていた。
 ――その内容が婚約破棄になるとは、予想通りというか予定外というか。
 ウィンフレイが近頃、ある令嬢に惹かれているのは気付いていた。ケインズ侯爵家のシャーロットだ。一方的なものではなく、相手も憎からず思っているらしい。それをエルフィリアに打ち明けることも予想がついていた。ウィンフレイは、後ろ暗い隠し立てができる男ではない。
 エルフィリアは怒るべきだったのかもしれないが、義務さえ果たしてくれるなら何も文句はなかった。そう割り切れなかったのはウィンフレイの方である。彼は義務と良心の狭間で苦しんでいた。
 実際、ウィンフレイは何も恥じる行為はしていない。シャーロットとは何の約束も確証も交わしてはいないのだ。互いに立場に潔癖なため、身体的な接触どころか二人きりになろうとする気配すらなかった。しかし、行き会えば話が弾み、別れ際には名残惜しげに熱い視線を交わしていたとなれば、勘ぐるなという方が無理な話である。
「すまない、遅くなった」
 エルフィリアが待っていたところに、息せき切ってウィンフレイが現れた。
 憂い顔をしていても、きらきらしい王子だ。白金の髪プラチナブロンド青玉サファイアの瞳、絵に描いたような王子様である。榛色ヘーゼルの髪と琥珀色アンバーの瞳のエルフィリアは、隣に立つとますます印象が薄くなる。
 席に着くのも早々に、王子は悲痛げに打ち明ける。
「実は、不覚にも、心に想う人ができてしまった……」
「ええ、存じております」
 エルフィリアの心の中は、なんで言ってしまうんだという呆れでいっぱいだ。ごまかしておけばいいものを。
 こういうところが、為政者には向いていないと言われるのだ。彼は、感情に押されて目の前のものに手を伸ばしがちで、大局を見る目が甘くなってしまう。
「しかし、君に黙っているのは不誠実だと思ったのだ」
 熱弁しているが、誠実さを優先した結果を考えることを忘れている。
「その理屈で言えば、心を交わしたシャーロット様に報いないことも不誠実だと言えますね」
 エルフィリアは思わず混ぜっ返したが、安易に側妃にするなどと言わないところは確かに誠実と言える。
「それにしても、ケインズ侯爵家ですか……」
 そのとき、間の悪いことに、エルフィリアには閃いてしまったのだ。
 ――何もかもを捨てて、自由になる道が。
「殿下。この際、シャーロット様を正妃になさるというのは」
「……しかし、君を手放すわけにはいかないだろう」
 心が揺れたのか若干間があったが、ウィンフレイが言うのも正論ではある。
 現在、未婚で適齢期の公爵家の娘は、エルフィリアだけなのだ。つまり、駒として狙われる位置にある。万が一、第二王子に取られると完全にパワーバランスが偏ってしまうのだ。
 しかし、エルフィリアという駒が無くなったとしたら、そこまで悪い話ではない。
 ケインズ家は第二王子派だ。それなりの影響力を持っているので、それを第一王子が取り込んだとしたら力関係が変わる。不利なことに違いはないが、第二王子派の意見一色という結果にはならないだろう。第二王子は効率を重視するせいで末端の者を切り捨てる傾向が強い、という弱みがある。現場からの反発を食らいやすいのだ。力関係が偏りすぎて先鋭化すると危険だが、そうでないならある程度渡り合う隙がある。
「そもそもの問題として、殿下は弟君と争われたいのですか」
「そういうわけではないが」
 立太子がないから貴族が暴走しているが、実際、兄弟仲はそこまで悪くないのである。
「では、ご兄弟でよくご相談なさいませ」
 結局、誰になっても兄弟間で連携が取れていれば、国が割れるようなことにはならないだろう。第一王子に付いているのは主に保守派で、通例通り長子にこだわっているのは本人というよりは彼らである。
「それから、一つ、わたくしという駒を消し去る手立てがございます」
 ――それが、冒険者になることだ。家と完全に縁が切れる。
「それを活かすためには、婚約破棄していただく必要があります」
 ウィンフレイの心が揺れているうちに、エルフィリアは畳みかける。我に返らせてはいけない。
――破棄などと、不名誉な。君に不利になる」
「解消の方が不都合になります」
 円満解消のためには家同士の話し合いが必要になる。しかし、準備期間を与えてはいけないのだ。もし第一王子との縁が切れれば、第二王子派に利用されないようにすぐさま次の縁談が組まれるに違いない。下手を打つと隙なく外堀が埋められてしまう。
「その代わり、実行するのは卒業までお待ちいただけませんか。家を出るには準備が必要となります」
 心配なさらないで、わたくしもこれを望んでおります、と駄目押しの一言を乗せる。王子の良心さえ脅かさなければなんとかなる。
 ――こうして、エルフィリアは一年の猶予を手に入れた。


――こういう次第でございまして」
「めちゃくちゃ厄介ごとの話じゃねえか」
 ギルド長は渋い顔をした。
「恐れ入ります。政治には不介入という原則に則って、ご内密にお願いできますわね?」
「むしろ巻き込まれると困るんだが……」
 おまえもいいな、と睨まれた職員のグレイシーは、最初から聞かなかったことにしたいという顔をしていた。アルカレドは口止めするまでもなく、誰にも言えないどころか言う相手がいない。言ったところで与太話だ。
「そうだとしても、半年あれば何とかなるんじゃねえか」
 半年で準備を終えれば、登録がどうのというところで足踏みする必要はないとギルド長は言っている。
「家の方がどういう扱いになるかわかりませんので」
 成人しているとはいえ、エルフィリアは公爵家の娘の義務として学院に通っている。この時点では、義務の放棄は親の管理責任と見なされて公爵家に処罰が下る可能性があるのだ。
 それを聞いて、ああ、と納得したようにギルド長は頷いた。
「おまえさん、そもそも――ギルド登録の話をしてねえな?」
「殿下は恐らく、私が国外に逃げるとお思いになっていらっしゃるのではないかしら」
 うふふ、とエルフィリアはわざとらしく笑った。冒険者になるなどと言っていたら、ウィンフレイが許すはずがない。王子の良心に打撃を与えるわけにはいかないのだ。
 正式にギルドに登録するということは、ギルドに籍を移すということだ。
 つまり、国籍を捨てることになる。
 貴族は冒険者になれないなどと言われるが、事実はその逆だ。冒険者になると、貴族籍を捨てることになるのである。
 政治不介入というのもこの辺りに関係する。国政に関わるものが冒険者になったとしても、要請に応えて引き渡すことになるのだ。国籍の無い者が国を動かすということは、国家反逆罪に通じる。
 エルフィリアの言う、首と胴が泣き別れもここに係ってくる。婚約破棄の話が通る前に勝手に冒険者になると、国籍の無いことを秘して王妃になろうとしているという解釈もできてしまう。そこを権力と悪意のある者に突かれれば、どうなるかわからないという話である。王家の反応自体も読めないため、試しにやってみるということはできない。
「じゃあ、登録の次期を半年ずらしたらどうだ」
 そもそもの仮登録の次期を半年ずらせば、本登録が一年後になって問題はなくなる。登録に関しては、だが。
「私、そこのアルカレドを養わねばならないのです」
 急に話を振られたアルカレドが、ぎくりと反応した。それを見て、あー、とギルド長は頭をかく。
「依頼は受けたいというのはそれか」
 学院に通っているというのは、二重の意味がある。つまり、寮には奴隷を連れていけないので養うために金が必要である。そして学業があるので、短時間で効率良く稼がねばならない。
 時間帯も限定されるため、他の仕事を探すというのもなかなか難しいのだ。
「とはいえ、規則を曲げるわけにはいかん」
 ギルドは公明正大を旨とする。当の冒険者が横暴を許さないからだ。依頼をこなしているはずなのに本登録にならない者がいると不審がられるし、半年の規則を見逃してもらっていると思われても困る。ましてや、貴族のために規則を捻じ曲げたなどと言われる状況を作るわけにはいかないのだ。
「それで、わたくし愚考いたしましたけれど、依頼を受けずに納入だけというのは」
「それは……可能だな。ただし、半年の期日は動かせねえぞ」
 素材の納入だと金は受け取れるが、依頼ではないので実績にはならない。ギルドの指定品だと実績として計上できるが、可能なだけであって絶対ではない。
「では、納入の状況を判断していただいた上で、半年後にギルド長が保証人になっていただくというのは」
「それはまあ……可能だな」
 それで、話は決まった。


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2023 02 24