「お嬢様は焦らすのがお得意でいらっしゃる」
 似たような皮肉を一度聞いたな、と思いながらエルフィリアはアルカレドの前に立っている。
 週末になって時間が取れたので迎えに来たのだが、たった三日がずいぶんと苦痛だったようだ。アルカレドの場合、宿屋に缶詰めにならざるを得ない。
 なぜかと言うと、奴隷を野放しにできないからである。生前のエルフィリアの場合は屋敷からの証明書を持っていたし、注文や受け取りだけで金を持ち歩いてはいなかったから問題にならなかった。彼女が認知されていたことも大きい。
 しかしアルカレドの場合、人の出入りが激しい王都なのでまず周囲の目が厳しい。個人として認知され難いのだ。一人でうろついていると通報されかねない。金を持っているとなれば尚更である。
「貴族の家では屋敷に置いておくとして、一般的にはどうしているのかしら」
「一緒に行動しているか、そうでなくとも三日も放置しない」
「……よくご存じなのね」
 苛立った声を前に、エルフィリアは溜息をついた。
 アルカレドが詳しいのは、どうやら宿屋の影響らしい。冒険者もよく利用している宿なので、相部屋や食堂でいろいろと話を聞くのだそうだ。
 実は、冒険者でも奴隷を連れている者はちらほらと居るのだという。基本的には雑用や荷物持ちに使っているが、採集や討伐に連れていく場合もあるのだとか。依頼に荷運びなどが混じっていれば遠慮なく使う。
 奴隷の需要があるのは主に貴族なので、珍しいといえる。平民はなかなか奴隷を持とうという発想に至らないのだ。理屈では、金さえあれば平民でも奴隷を持てる。しかし、人間を所有しているという感覚、赤の他人を養わなければならないという心理的負担が大きくてなかなか思いきれない。奴隷は首輪をしているので、周囲に奴隷持ちとして見られるということも心理的負担になる。
 貴族はこのあたり、まったく感覚が違う。奴隷を人として見ていないからである。奴隷の心身を守ることと、奴隷の売り買いをすることは貴族としては矛盾しない。ペットを虐待することには声を上げるが、ペットに首輪を付けることには文句を言わないのと似たようなものである。
「立ち話もなんですから、ギルドに行きましょうか」
 宿から出たところで話していたが、移動した方が良いだろう。アルカレドには金を稼ぐ算段は付けてあると言ってあったが、その方法についてまでは言及していなかった。
「ギルド? 依頼でもあるんですか?」
「いいえ、登録するの」
 それを聞いて、アルカレドはぎょっとしたように足を留めた。
――登録だと? あんた、どういうことかわかって」
「いいから黙って歩いて頂戴」
 ここで喚いても良くないとわかったのか、なだめられてアルカレドは口を閉じた。


 単にギルドと言う場合、一般的には冒険者ギルドを指す。
 ギルドに籍を置き、魔物討伐や迷宮踏破、採集や個別の依頼などをこなす者を冒険者と呼ぶ。
 ギルドは複数の国に拠点がある。政治に介入しないという取り決めがあり、国が無理やりギルドに何かを承諾させようとすることはない。何十年か前、ギルドに圧力を掛けて思い通りにしようとした国が北の方にあったのだが、その結果ギルドが拠点を捨てたことで経済力がガタ落ちになったことがある。ギルドが逃げると冒険者が逃げる。討伐ぐらいならともかく、魔物素材はその多くが冒険者からの納入だ。迷宮に潜ったり僻地に赴いたり、稀少な素材を見つけてくるのは冒険者である。それによって貴重な薬が手に入ったり、特殊な研究が捗ったりするのだ。それを失う上に、魔石の流通も激減して大打撃だったということである。
 ちなみに傭兵ギルドというのもあるが、主な仕事は、訓練された集団で動くことを前提とした警護、防衛、討伐などである。冒険者ギルドとは管轄が違い、戦争に駆り出されることもある。
 大通りから一本横道に入ったところが王都のギルドの所在地だ。
 エルフィリアが建物に入ると、さっと視線が集まった。
 今日のエルフィリアもシンプルな恰好だ。薄黄色のワンピースで、ウエストの切り返しをリボンで少し絞るようになっているだけのものである。
 目立つ恰好はしていないはずだが、と思ったが、奴隷を連れているのも目立つ要因なのかもしれない。
 気にしないことにして、エルフィリアは受付のカウンターに近づいた。
「こんにちは。ご依頼の申請ですか?」
 にこやかに職員が対応する。眼鏡を掛けた、三十代ほどの落ち着いた女性だ。
「いえ、登録をお願いしたいのです」
――あなたがですか?」
 職員は思わずといったように動きが止まったが、すぐに「個室にご案内します」とエルフィリアを促した。無論、アルカレドも付いて歩く。
 部屋に入ると椅子を勧められたのでエルフィリアは腰を下ろした。アルカレドにも言ってやることが出来たが、そのような、立場を曖昧にするような態度は好ましくない。面談の当事者はエルフィリアなのだ。そういうわけで、アルカレドは彼女の斜め後ろに立たせたままでいた。
「私は、グレイシーと申します。一通り、規則や制度の説明を致しますね」
 職員は、登録用の魔術具を出しながら説明する。エルフィリアが登録用紙に記入しているときに、問題の箇所に差し掛かった。
「あら」
 エルフィリアは困ったように声を上げる。
「何かご不明な点が?」
 グレイシーはエルフィリアの手元を見たが、それではないとエルフィリアは首を振った。グレイシーはちょうど、仮登録と本登録の話をしていたところだった。
――半年以内に本登録に上がる必要があるとおっしゃいましたわね」
 本登録になれば正式な身分証としてのギルドカードが発行される。そのため、身分証の無い者がそれ目当てで登録することもあるのだ。その分、仮登録のうちはギルド内の手続きにしか通用しない。
「ええ。しかし、登録用に採集などの簡単な依頼を受けていただくことができますので、半年で充分間に合うと思いますよ」
「問題はそちらではないのです」
 本登録に上がれるかどうかが不安なのではない。――問題は、本登録に上がれてしまうことなのだ。
「半年以内に上がれない場合はどうなりますかしら」
「登録取り消しになりますね。再登録も可能ですが、その際は相応の保証人が必要となります」
「……困ったわね」
 仮登録の制度は知っていたが、期間までは知らなかった。依頼を受けないと上がれないというので、一年ぐらいは掛かるものかと思っていたのだ。
「依頼をこなしたいので今すぐ登録したい。ただし本登録に上がるのは一年後にしたい。というのはどうなります?」
「……前例がありませんね」
 真面目そうなグレイシーは、規則を捻じ曲げるようなことに対応してくれるようには見えない。それ以前に権限があるのかどうか。
「権限のある方はいらっしゃる?」
「圧力を掛けても無駄ですよ」
 途端にグレイシーの態度が頑なになった。どうやら貴族の我侭だと思われてしまっている。名乗っていないのにこちらの身分を確信されているようだがこれは仕様がない。
 どう言ったらいいのかしら、とエルフィリアは頬に指を滑らせた。
――ええと、つまりわたくし、本登録に上がるタイミングによっては、首と胴体が泣き別れになってしまうのです」
――ギルド長を呼んで参ります」
 これはさすがに、自分では判断がつかないと思ったようだ。もしくは何かの隠語だと思ったとか。
 慌てて出て行ったグレイシーを見送っていると、背後から機嫌の悪そうな声が飛んできた。
――待て。どういうことだ」
「ギルド長が来れば説明することになります。二度手間は好きじゃないの」
 不満げに咽喉を鳴らす音が聞こえたが、エルフィリアはそれには反応しないことにした。
 五分ほどで、グレイシーはギルド長を連れて戻ってきた。よほど急いだと見える。
「依頼は受けたいが本登録には上がりたくないとか言ってんのはおまえさんか」
 ギルド長と思われる男がエルフィリアに声を掛けた。背はあまり高くないが、荒っぽい印象のある壮年の男だ。がらがらと響く声をしている。
「ええ。あなたがギルド長でいらっしゃいますか」
「ギルド長のトーゴだ」
 言いながら椅子を引いて、ギルド長はエルフィリアの対面に座った。
「エルフィリアです」
「エルフィリア……? どこかで聞いた名前だな」
「はい、エルフィリア・ユインスタッドと申します」
 名乗りを聞いて、ギルド長の眉間の皺が深くなる。面倒ごとが来たと書いてある顔だった。
――第一王子の婚約者じゃねえか」
 ギルド長の声に、何も知らないアルカレドが後ろで動揺する気配がした。


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2023 02 21