「……わかりました、ご主人様」
 冷ややかに硬く、されどアルカレドの声は波もなく整った。
 それは、アルカレドがエルフィリアに屈したことを意味しない。逆に、心を許さないことの表明だった。役割という壁を作り、奴隷という仮面ペルソナを被ったのだ。
 エルフィリアの問いの意図をすぐに察するあたり、やはり頭が悪いわけではない。
 とりあえずは落ち着いたようなので、彼女は本題に入ることにした。
「従者にしたいというのは、表向きの話です。従者として付いているのだと周囲が思っていれば、相応の仕事をする必要はありません」
――つまり、見せかけだけの話だと?」
 そうね、とエルフィリアが頷くと、ぴくりとアルカレドの眉が動いた。
「理解しがたい。それだけの仕事なら、家にいくらでも暇な使用人がいるでしょう」
「家には内密にしておきたいの。宿代はきちんと払います」
「……ご主人様は、俺を、子犬みたいに隠れて飼いたいんですか?」
 アルカレドの皮肉に、言い得て妙ね、とエルフィリアは微笑んだ。
「当たらずとも遠からずといったところです。寮にはあなたを連れていけないでしょう?」
――待て。……いや、待ってください」
 アルカレドはエルフィリアを制して、眉間を指で揉んだ。どうも混乱しているようである。ティーポットに残っている紅茶を淹れてやると、彼は一息で飲み干した。
「寮……に入ってるんですか」
「そうだけど?」
 何を混乱しているのかと思ったが、そうか、王都の人でなければよく知らないのか、ということにエルフィリアは気が付いた。犯罪奴隷は事前の取り決めが無い限り、捕まったところから他所にやられるので、アルカレドは王都の外から来ているはずだ。
 貴族の子女が魔法学院に通っていることぐらいは知られているだろうが、寮生活を強いられて従者の一人も連れていけないことまではどうやら情報が出回っていない。彼が仕えていた貴族の娘は、成人前だったと見える。入学していたところで、大きな屋敷では主人が在宅しているかどうかすら下の者では把握していないものだし、王都に行ったと聞いたら別邸で暮らしていると思うものだ。
 貴族なのにどういう生活をしているのかと理解の範疇を越えたのだろう。
「私は学生寮に入っていて、そこでは専属の使用人が雇われているのであなたは連れていけません」
「……ますます、俺が必要な理由がわからない」
 日常的に世話をする者がいるなら、新たに手に入れる必要はないはずだ。しかも、わざわざ家に黙ってまで。
「ですから、表向きと申し上げました。つまりね、一人で出歩いていると絡まれるの。追い払ってください」
「そ――」そんなことでか、と言いたげな顔をしたが、アルカレドはすぐに飲み込んだ。「ということは、出歩く用事が家には知られたくないことだと」
「頭は悪くないようですね、アルカレド」
 エルフィリアは、にこりと満足げに笑んだ。さらに言うならば、虫よけに使いたいだけで、撃退なら彼女にも出来る。人目を集めたくないだけだ。
 ひとまず、アルカレドには自分の役割を理解してもらえたようだった。
「それから、これを」
 と、エルフィリアは黒い眼帯を取り出してアルカレドに渡した。さすがに潰れた片目をそのままにして連れ歩くのは目立ちすぎる。
 目を洗ってから付けなさいと聖水を渡し、布も付け足した。直接目に掛けるのはやり難いので、布を浸して拭ったらいいかと思ったのだ。聖水で清めてから装着すると、眼帯に使っている特殊な布の作用でそこから膿むことも腐り落ちることもなくなる。治るわけではないので痛みは残るが、それも馴染めば薄くなるだろう。
 説明を受けて、なるほど、とアルカレドは聖水の瓶を手に取った。別にいまやれと言ったわけではないのだが、とエルフィリアが思っているうちに蓋が開く。
 首を傾け、アルカレドは瓶の中身をばしゃりと顔にぶちまけた。そのあと布を掴んで適当に拭い、眼帯を付けた。それで凶悪さはいくらか薄まったが、鋭利さは増したようだ。前髪や首筋に水の名残が滴っていて、髪も整えさせなければ、とエルフィリアは思う。床に散らばった水は、どうせ乾くだろうと気にしないことにした。
 無造作な行動には驚かされたが、これで性格の一端は掴んだ気がした。つまり、頭は悪くないが、細かい手順を踏むのを面倒がって力押しになる傾向がある。捕まった際に護衛に重傷を負わせたというのも、面倒になってぶった切った結果ではないかという気がするのだ。剣を持っていたのか、奪ったのか、はたまた素手でやってのけたのかは知らないけれど。
「……そういえば、ご主人様」
「ご主人様と呼ぶのはやめてほしいわ」
「では、お嬢様と」
 ご主人様という呼称を嫌がる相手に、お嬢様と提案したのは恐らくアルカレドの嫌味だ。
「それで構いません」
 生前の記憶を思い出して嫌な気分になるかと思ったが、そもそも家ではお嬢様と呼ばれている。周囲に不用意に名前を知られるよりはその方が良い気がして、合理的にエルフィリアは判断した。
「……お嬢、様、はそういうしゃべり方でしたか」
 少し納得しかねるように引っかかったあと、アルカレドは話を切り出した。エルフィリアの話し方が気になっていたらしい。
「貴族らしくないとおっしゃりたい? そうではない話し方を練習中なの」
 平民に見えないことは理解しているが、貴族だと喧伝して歩きたいわけではないのだ。こういう店では貴族然とした話し方の方が利があるが、そうでないなら納めておきたい。なにしろ、最終目標は冒険者になることだからだ。
 そこまでは言わず、エルフィリアはただにっこり笑って仕舞いにした。
 着替えを幾枚か渡して、靴は後日になることを伝える。靴ばかりは本人を連れて買いに行った方が良い。食事さえ出れば相部屋でいいかと確認して、宿は出来るだけ安く済ませようと考える。
「私、あまりお金を持っていないのです。稼ぐのも手伝ってもらいますね」
――待て」
 当然、ごまかされはしなかった。
 アルカレドが納得できないことは、まだまだありそうである。


 本日の講義は、魔石についてだった。
 魔石というのは、魔力が固まったものであり、魔物から採れる石のことである。
 そもそも魔力とは何か。自然界には、魔素という目に見えない粒子が存在する。
 この魔素は呼吸や食事から自然と体内に吸収される。植物なら土から、魚なら水から。魔素は体内を循環することで、魔力へと変換される。血によって巡る部分が多いため魔力の要は心臓部にあるが、ときおり魔力に偏りがあって別の部位が要になっている個体もいる。効率の良い循環機能を持っていれば、「魔力が高い」ということになるのだ。これは遺伝することが多い。
 魔力は魔素が練られた状態だともいえるが、さらに練って形を与え、放出したものが魔法である。放出された魔力は次第に分解されまた魔素へと戻る。体内の魔力も、限界まで溜まれば自然と放出されるようになっている。代謝機能と同じだ。
 ちなみに魔力を術符や陣に変換したものは魔術というが、魔術使いは前提として魔法が使えるので、まとめて魔法士と呼ばれる。
 魔物の持っている循環機能は少し特殊なもので、死ぬことによって循環が止まると、要の部分が凝固して石になる。これを魔石と呼んで利用しているのだ。
「魔石は皆さまのお家にもあるはずなので、見たことはあるでしょう」
 講師から魔石が配られたが、見たことがないという者もちらほらいた。魔術具の動力源として使われているもので、魔術具といえば大抵の家庭には照明具があるだろう。しかし、魔石の入れ替えを自分でやっていなければ見る機会がなくともおかしくはない。
「白っぽいものは魔力が抜けた状態のものです」
 この状態を、抜け石とかクズ石とかいう。赤いものは魔力が詰まっている状態のものだ。配られたのは、手の中に握り込める程度のサイズだった。
「皆さまのお家では使い捨てにしているかと思いますが、実は再充填ができます」
 これは、知らなかったという声が多かった。貴族の家では使い捨てが普通である。魔力が詰め直せると知ったところで、その分の人件費よりも買い直した方が安い。貴族たるもの、捨てる物を使うのは恥という見栄もあるだろう。平民は、自分で魔力を充填して再利用するということだった。
 使い捨ての分も回収業者がいるので、恐らくは安価で市場に流れている。充填し直した分を、小遣い稼ぎに売っている者はいそうである。
「白っぽい方に、魔力を詰め直してみてください」
 やってみると、これが意外と難しい。入れようとしても、つるりと滑ってなかなか上手くいかないのだ。平民にできて貴族にできないわけはない、と周囲は意気込んでいる。
 エルフィリアも力業でぐっと押し込んでみるといけそうだったので魔力を込めたが、
「割れた!」
「割れました」
 パンと音を立てて魔石が割れた。同時に、周囲からも同じような音が響く。
「実は、これは魔力が多いほど難しいのです」
 貴族は基本的に魔力が多い。魔石に魔力を押し込めようとすると、集中した魔力が飽和して割れるのだ。では普通の平民は、というと割れるどころか足りないのだという。上限まで溜まった魔力をぎゅっと押し込めて半分ぐらいなのだそうだ。だから充填に二日ほどかかる。
「赤い方は逆に、中の魔力に跳ね返されてできないと思います」
 そう言われてやってみると、確かに押し返されるような感覚があって、上手くいかない。
 貴族には魔石の再利用という観点がなかったので、なかなか興味深い講義であった。


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2023 02 19