「本当によろしいのですか」
 一階に戻り、商談室に入ったところで店員が恐る恐る問いかける。
 これは、エルフィリアを案じているのも嘘ではないが、本音は貴族相手に大きなトラブルを起こしたくない、ということだろう。売れ残り品を押し付けるぐらいならともかく、明らかなトラブルの種を売りつけてしまっては後が怖い。どう見ても、荒事のための購入ではないからだ。
 それならば最初から見せなければよかったのだが、貴族の要求に応えないのもまずい。見たところでお気に召さないと思っていたのだろう。
「構わないわ。こちらのお店だって、在庫処分はしたいでしょう」
 手持ちの予算が少ないことは言わずに指摘してやれば、さすがに期間奴隷を斡旋しようという提案はされなかった。
 犯罪奴隷は、奴隷商の規模によって一定数受け入れることが義務づけられている。需要が少ないので安価にせざるを得ない上に維持費が掛かるだけなので早く手放したいのである。実際、処刑してしまった方が手っ取り早いのだろうが、その昔、とある貴族が反対したのだ。――重大な罪を犯した者に、死という慈悲を容易に与えるのはどうなのかね、と。その後、彼は自分の妻を殺した男を買取った。どういう扱いをしたのかは記録に残っていない。今でもぽつりぽつりと被害者やその遺族が犯罪奴隷を買取るケースは見受けられる。
 とはいえ、奴隷商の負担は際限なく増えるわけではない。一定期間――凶悪犯ほど短かったりするのだが――売れなかった犯罪奴隷は研究所に実験対象として引き取ってもらえるのだ。拷問吏の練習用になることもある。基本的に彼らは極悪人ほど喜ぶが、そのことは良心や倫理の問題を意味しない。人道的な扱いがどうのという連中に絡まれると面倒なので、より絡まれにくい対象を選びたいだけである。
 奴隷たちはそれを知っているので、早めに誰かに買われたがるのだ。
 エルフィリアがこれらのことを知っているのは、生前の記憶だからというわけではなかった。貴族の家では奴隷を使うので、犯罪奴隷になる経緯ぐらいはなんとなく入ってくる情報ではあるのだ。
 エルフィリアは、契約書にサインをして店員に渡す。
「明日受け取りに来るわ。洗って身なりを整えさせておいて頂戴」
 料金は受け渡しのときに支払う予定だが、通常の四分の一ほどの額で済んだ。もしかすると犯罪奴隷の中でも安いのかもしれない。他の奴隷はやる気と躊躇いのなさがあったが、あの男は貴族嫌いでやる気もなく扱いにくい部類だとも言える。負傷している点でも評価が下がるだろう。身なりを整えさせるための支度金を払っても安い買い物だった。
 明日には早速金を作っておかなければと、エルフィリアの予定が決まる。
 実は、今日は元々軽く目星をつけるぐらいのつもりだったのだ。他の店舗を見てから決める程度の余裕はあった。それが、思いがけず契約までしてしまったことに自分でも驚いている。
 エルフィリアは初めて、衝動買いというものを経験した。
 それは、とても高揚することだった。


「これは魔石ですね」
「え?」
 質屋にいくつかの宝飾品を持ち込んだ際、鑑定士にそう言われてエルフィリアはその腕輪を手に取った。銀の土台に、四角錘にカットした赤い石がいくつか埋め込まれている。
 確か、五年ほど前の誕生祝いに二番目の兄からもらったものなのだが、あまり高値を付けられないと言われてしまったのだ。その理由が、宝石ではなく魔石だったからだ。
「魔石というのは、魔物から採れた石のことですわね」
 そのことは講義でも習う。魔物が死んだ際に、魔力がこごって石になる。主に、心臓部から取り出すことのできる石だった。魔物が大きいほど、サイズも大きくなる。
「魔石はあまりアクセサリーとしての需要はありませんのでね」
 魔石は、魔術具などの動力源として使われることが多い。どんな魔物からでも採れるので、ありふれているといえばありふれている。魔物の種類によっては稀少価値があるのだが、この石は違うようだ。
 そもそも、魔物の魔力が宿っている物を装身具として身に着けるということ自体、貴族の女性からは忌避されがちということだった。
「道理であまり聞いたことがないのですね」
 魔石のペンダントだとか、魔石のイヤリングだとか、聞いたことがないのは欲しがる人がいないからのようだ。宝石にあまり興味のないエルフィリアは、そういった事情に乏しかった。
 逆に兄は、珍しいものだと思って買ってきたのだろう。
「なるほど。ではこれは、質に入れずにおきます」
 エルフィリアはその腕輪を左手首に着けた。細身のもので邪魔にもならない。価値の低いものならまあいいか、というところである。
 金に換える宝飾品もさほどないので、無駄遣いは慎まねばならない。急な催し物や招待を受ける際のために持っているものなので、手持ちはそこまで多くはないのだ。最終手段として、家に帰れば補充できるものではあるのだが。
 ひとまずまとまった金が手に入り、エルフィリアは奴隷を迎えに行くことにした。


「あんたは焦らすのが好きなのか」
 迎えに行って早々、購入した奴隷から恨み節を言われてしまった。来るのが遅いということなのだろう。
「私にだって、予定というものはございますのよ」
 エルフィリアは苦笑するにとどめておいた。授業があるので早い時間には来られないのだが、あとでまとめて説明する方が良いだろう。思わぬ衝動買いになったので、週末などの調整を付けられなかったのは彼女の落ち度である。
 男はさすがに薄汚れた貫頭衣ではなかった。ぺらぺらで防御の薄そうな無地のシャツと下衣かいを身に着け、足にはサイズの合わないサンダルを履いている。髪艶はないが悪臭はしないので、指示した通り全身洗われたようだった。おそらく水洗いだろうが。洗った後で牢に戻すわけにもいかないので、窮屈な思いをさせられていたと見える。
 ここは、奴隷商店の商談室だ。
 エルフィリアはソファに腰掛けたまま、男を迎えた。店員が淹れたばかりの紅茶の香りが漂っている。
 男も座らせてやれればよかったのだが、誓約が済んでいないので物理的に不可能だった。どういう意味かといえば、足枷は外されたものの、後ろ手にされた両腕を武装した二人の警備員が掴んでいる状態だ。エルフィリアの傍に来たと同時に、床に膝をつかされている。
 誓約とは、契約時の条件を魔法によって遵守させる方法だ。専用の巻軸スクロールに血でもって契約する。特殊な加工をした魔物の皮を使っていて、燃えることも破れることもないが契約が終了すると破棄できるようになる。魔術具による契約だから契約魔術と呼んでもよさそうなものだが、原型となった魔法では道具を使わないためそのまま契約魔法と呼ばれている。
 店員が奴隷用の巻軸スクロールを取り出し、エルフィリアに説明を始めた。
「基本的なものはご存じかと思いますが、犯罪奴隷は少し違ってきますので」
 通常、誓約は両者の合意がないと結べないが、奴隷用のものは首輪を媒介にして強制的に結ばせることができる。魔力の要は基本的に心臓部だが、手首や足首ではそこから遠い。誓約に抵触した際、心臓にほど近い首の部分のこれが、魔力による縛りを実行することになるのだ。
 奴隷用の基本的な誓約は、害意をもって主人を傷つけないというものである。実行しようとした時点で手足が動かなくなる。ただしこれは物理的な害であって、精神的なものには作用しない。害意があることが前提なのは、自衛の必要があった際に動けるようにだ。そのため、偶然によるものまでは制御できない。もう一つは、主人からあまり遠くに離れないことだ。自発的にということなので、偶発的なものや主人の命令によるものは多少緩和される。
 犯罪奴隷の場合はこれに、主人に逆らわないというのが追加される。
 実質的に不可能というわけではなく、主人の意に反した行動をとると負荷が掛かるようになっている。これには魔力による個人差があって、気分が悪くなる、頭痛がする、心臓が痛む、眩暈がする、などである。この症状は時間と比例し、行動を改めなければ最終的には意識を失う。
 ただしこの「意に反した」というのは主人がはっきり意思表示していることが条件だ。言葉の裏を読んで、ということは要求されないし、主人がその場で反応している場合に限る。ついでに言うと、食事や睡眠の禁止など、生命活動に関わるものは定義できない。これは犯罪奴隷と言えど人権を、という理由ではなく、そこまで強力な巻軸スクロールの作成自体が許されていないからである。
 奴隷用の巻軸スクロールは作成も管理も国によって為されていて、誰がいつ購入したかがすべて記録されている。購入できるのも奴隷商だけで、そちらでも誰がいつ契約したかをすべて記録することが義務付けられているのだ。違法な契約などがあった際に捜査できるようにである。
 犯罪奴隷用の巻軸スクロールについては、悪用されないために判決時の命令によって個別に作成されることになっている。その際に血を通して魔力を採取されるので、他の人に使うことは出来ないようである。
 血判によって誓約を済ませると、エルフィリアは店員たちを追い出した。今後の話をするためとして、引き続き部屋を借りたのだ。
「とりあえず、座って頂戴」
 促すと、相手は怪訝そうな顔で向かいのソファに腰を下ろした。
 男は落ち着かなげに、嵌められた首輪を指でいじっている。あれは、変なところに当たると息苦しいのよね、とエルフィリアは思わず訳知り顔だ。平たいものではなく断面は丸い形になっているものなので、変なふうに首の皮が巻き込まれたりしないのだけはましだった。
「あなた、お名前は?」
――アルカレド。……あんたは」
「私は、エルフィリアと申します。あなたにお願いしたいのは、私の従者ということになるかしら」
 そう聞いて、アルカレドはぐっと眉根を寄せた。
「従者? 俺が? 喜んであんたの世話をするように見えるのか」
 苛立ちと、そして軽蔑だろうか。アルカレドの顔が不快げに歪む。
 犯罪奴隷になる経緯は主人の娘に手を出したということだったが、恐らくは何らかの理不尽なやり取りの結果、そういうことにされたのだろう。わざわざ不利益になる行動をとるほど頭が悪いようには見えない。だからこそ、これほど貴族を拒んでいる。罪が重いのは、主人の財産である娘と護衛を害したことになったからだ。
「あなたの態度は、それで通すつもりですか」
「お貴族様が、俺の態度が無礼だと?」
 それには答えず、エルフィリアは男の銀の瞳を見て、ゆっくりと問うた。
「あなたは、素のままの自分を私に開示したいということですか」
 ――それを聞いて、アルカレドの目の色がすっと冷静になった。


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2023 02 17