外出用の服が仕上がったころに、エルフィリアは奴隷商店へと赴いた。
 道行く人の目に留まりやすいように露店で売っているものかと思ったら、ある程度の規模からはきちんと店を構えているのが普通らしい。確かに、道端に並べるよりは箱状の建物に入れてしまった方が、鍵も掛けられて管理の点からしても扱いやすい。
 店に入ると、店員の一人が機嫌よさげに案内に出た。
「いらっしゃいませ。本日は、どのようなお品をお探しで」
 今日のエルフィリアは、胸元にフリルのついた白いブラウスに紺のフレアスカートという服装だ。生地は良いがシンプルなもので、刺繍も入れてはいない。特に貴族と知れる恰好ではないが、店員は疑問を持っていないようだった。そもそも奴隷の需要が多いのは貴族なので、店に来るのも貴族が多いのだろう。通常の商品のように、屋敷に呼びつけて買うというわけにはいかないからだ。
「成人男性の従者を。そうね、少し強そうな見た目だと良いのだけれど」
「何か、お望みの技能がございますか」
「……いえ、とりあえず、あるものを見せていただける?」
 エルフィリアは素知らぬ顔で返した。
 ここで、護衛ができるようなとか、諸々の手配ができるようなとか、具体的な希望を言えば期間奴隷が斡旋される可能性がある。奴隷には一般奴隷の他にもあって、期間奴隷と呼ばれるものは厳密には奴隷ではない。料金先払いの期間雇用なのだが、奴隷と同じような誓約魔法を掛けるのだ。何か技能のある者が、とりあえず手元に金が欲しいときや住み込みの仕事が欲しいときにこの手段を取る。期間が満了するまで辞めることはできないが、契約相手は選ぶことができる。
 ただし雇用主には相応の料金が一括で掛かる上、奴隷商にも仲介料を払う必要があるので今回は選べない。
 単純に金が掛かるからだが、予算が少ないことは悟られないでおきたい。足元を見られて、適当な奴隷を押し付けられる懸念があるからだ。
 奴隷は高級娼婦などとは違い、継続的に稼げる商品ではない。売らずに置いておくほど維持費がかさんでいくのだ。かといって値段を釣り上げても誰も買わない。わりと値段設定が難しい商品でもあった。その代わり、得意先ができれば定期的な補充や、新しく屋敷を立てるときなどにまとめて購入してもらえる可能性があるため、それなりに商売は成り立つ。
 店員の後を、エルフィリアは付いて歩く。
 階段を上がると、廊下に入る前に鍵付きの格子戸があった。廊下の窓にも鉄格子がはまっている。二階が女、三階が男ということのようだ。廊下を歩きながら、店員が腰に下げている鍵束の鍵がちゃりちゃりと音を立てていた。
 警備員が立っている部屋の中は窓もなく、まとめて人が入れられていた。床にはきちんと敷物が敷いてあったが、暖炉もなく、最低限の世話しかされていないように見える。
 奴隷には多大な手入れや教育を施した高級奴隷というのもいるのだが、ほとんど金持ちの道楽のようなものだ。通常はあまり手を掛けられたりはしない。これは虐げられているというわけではなく、単に維持費が掛かるからだ。手を掛ければその分、高く売らなければ元が取れなくなる。
 奴隷たちは皆、ぼんやりとした目でおとなしくしていた。あまり風呂に入れないからか、少しえた臭いがする。逃げ出さないように付けられた足枷の鎖がじゃらりと音を立てる。
 その音を聞いて、エルフィリアは――思い出した。
 両足に掛けられたかせは、間の鎖が足に引っかかること、足を持ち上げるたびに足首がこすれて痛いこと。人がいるのに誰もおしゃべりをしなくて息が詰まること。誰に買われるか不安なのと同じぐらい諦めていること。
 知らないのに知っている。知らないのに覚えている。
 いつもの記憶、生前の記憶だ。
 ふうと息を吐いて、エルフィリアは部屋を出た。臭いが遮断されて、少し息ができる。深呼吸をする。
 記憶は、エルフィリアの考え方に影響を与えても、感情が引き継がれるわけではない。記憶の主は、エルフィリアではない。
 たとえ、それが奴隷の記憶だったとしても。
 その記憶では、子供のころに親に売られていた。父親が借金をしていたのだ。成人前の子供は親の所有物とみなされるため、売られてしまうこともある。
「お気に召しませんでしたか」
 店員から声が掛かったので、エルフィリアは笑みを作った。
「そうね、求めていたものはないみたい。次を見せていただける?」
 そうして次の部屋も覗いたが、どれも似たようなものだった。
 基本的に、奴隷は大した技能も学もない者がほとんどだ。鍛えていないせいか、見た目も中肉中背で毒にも薬にもならないような者が多い。技能があれば、期間奴隷になる方を選べるからだ。条件付きだが、子供でも技能があれば大人と同じ価値があると見なされるので、親の所有物から外れることができる。
 だから奴隷の需要は、下働きなど数が居ればそれでいいようなところに安価で投入できるところにある。鉱員や土木作業員に使われていることもあるが、だんだん身体が出来上がってくるため、そのあたりの奴隷はこういう店には流れてこない。主人が変わることになっても、同業者にすぐ買われてしまうからだ。
 ときには敗戦国の人間が売られたり、賠償金の支払いができなくて売られたり――この場合は裁判所の執行命令が必要だが――することもあるが、食うに困って自ら奴隷になる者もいる。
 学も才もない者が、充分に食えるだけの仕事を得るのは困難なのだ。それが、奴隷として買われれば、給金はない代わりに寝る場所にも食べる物にも困らない。虐待や日常的な暴力は規制されているため、そう酷い目に遭うこともない。罪に対する罰を与えることまでは禁じられていないので主人によるところもあるのだが、貴族の家ならまず食料の質は良いし建物に隙間風が吹くこともなく、主人もわざわざ下働きの者を虐げるほど暇ではない。
 そういう者が一度奴隷になると、なかなか抜け出すことはできない。物理的に逃げられないこともあるのだが、主人の死などのタイミングがあっても結局はそのまま家人の奴隷になるか次の誰かに売られることになる。解放されることよりも、路頭に迷わないことを選ぶのだ。
 たまに教会や信者のあたりから奴隷なんて非人道的だという声が上がるのだが、代わりに彼らに仕事と住む場所を与えてくれるのかと言ってやると沈黙する。権力を持っている貴族が奴隷を使用している上に、そもそも当事者が解放を望んでいないのだから、奴隷制度の廃止にはなかなか繋がらない。
 そのため、子供の奴隷は孤児からは忌み嫌われている。孤児たちに共通する誇りは、親に売られることだけはなかったこと、自由だけは手放さないことだ。親に売られているくせに、自由がないくせに、飢えることなくぬくぬくと暮らしている奴隷が許せなくて、見下すことで留飲を下げているのである。
 そんな中で、ジムだけは自由を教えてくれたので生前のエルフィリアは感謝していた。彼女を焚きつけることもなく憐みも蔑みもなく、ただ自分の自由な未来を教えてくれた。
 奴隷にだって、誇りがないわけでも感情がないわけでもない。ただ、奴隷であることを受け入れているだけだ。
 だからこそエルフィリアは、主人の娘が嫌いだった。可哀相ねと同情し友達になれるわと仲良くしたがるくせに、奴隷である現状を変えてくれることはない。平等だという夢を見せた上で、主人と奴隷という立場を思い知らせようとする態度が嫌いだった。住む場所が分かれているのに、個人の領域をずかずかと侵しに来るようなものだ。呆れたのは、娘自身はただ慈悲深くて親切なつもりだったことだ。
 エルフィリアが家の使用人と親しくしないのは、そういう理由もあった。明確な立場というのはときに、人を守るのである。わざわざその境界線を乱すことはない。
「どれかお気に召しましたか」
 一渉ひとわたり商品を見て、気に入るものはないかと問われたが、返事はできなかった。
 無理に今日決めてしまうことはない。また後日訪ねても良いのだが、なんとなく立ち去りがたかった。
 それはたぶん、ある種の意地だったのだろう。過去を思い出して動揺したまま帰っては、なんだか負けたようで嫌だったのだ。せっかく来たのだから、嫌な思いをした分を取り戻しておきたかった。
「どうかしら……犯罪奴隷は置いていらっしゃる?」
 犯罪奴隷とは文字通り、犯罪を犯した結果奴隷に落とされた者だ。非常に安価ではあるが、どういう性質かは実際に見るまでわからない。何かしら技能を持っているかもしれず、粗野で扱えないかもしれない。
 それを求めるのは一種の賭けだった。


 犯罪奴隷は売っているかと訊かれて一瞬はっとした様子の店員だったが、すぐに案内を開始した。その足取りを見るに、さらに上の階のようである。
 犯罪奴隷は、罪を犯した者がなるというより、正確には一定以上の罪状が裁判で確定した者に対する刑罰である。めったにないことではあるが、ときに冤罪や禁固刑で済むはずだった者も混じっている。被害者が貴族だと、そういったところが捻じ曲がることがあるのだ。
 貴族が求めるような奴隷でないことは確かだが、めぼしい者が見つからなかった末の気まぐれだと思ったのだろう。まさかエルフィリアが安価な奴隷を欲しがっているとは思っていないようだった。
 その階は、他の階よりも薄暗かった。窓がない。そして、ここでは個室が与えられているようである。といっても部屋と呼べるものではなく、どう見ても牢屋だった。扉の高さは、出入りの際無防備になるように低く作られている。廊下の奥の方から、誰かがこちらに気付いたぴりぴりとした気配が漂っていた。
 足を進めると、がしゃりと枷が動く音が聞こえる。
「俺たちを買いに来たのはあんたか」
 下卑た声に目をやれば、四十代ほどの体の大きな男だった。こちらを値踏みするような目をして、薄ら笑いをしている。隣の房でも、関心を持ったかのようにがしゃりと音がした。ここにはどうやら四人の犯罪奴隷がいる。
「失礼な口を利くな。買うとは決まっていない」
 エルフィリアの代わりに答えたのは店員だった。貴族の場合、いちいち本人が返答しないのが普通なのだろう。だから彼女は、店員に向かって尋ねた。
「この者たちは、何のとがでここへ?」
 下卑た声の男が、げはっと笑う。
「お嬢ちゃん。俺はな、盗賊なんだよ」
 男は自慢げに言った。盗賊というのはアピールポイントであるらしい。
 男は盗賊だった。こそこそ盗み取る方ではなく、徒党を組んで略奪する方だ。何人殺したか、何を奪ったか、何人を相手に立ち回りをしたか、騎士を相手に殺せる実力があると、自慢げに滔々とうとうと語った。
 店員は、話を止めた方がいいのか迷うように目がうろうろしていた。
 隣の房の痩せた男は、女を何人も殺した。
 自身で集めた背骨のコレクションについて自慢し、解体は得意だとうっとりと語ったところで店員が止めさせた。
 こういうときは話の真偽よりも、相手が何を語りたがるかが判断材料になる。少なくとも、殺し自慢をするような男は嫌だ。
 しかし、初めから店員が止めなかったところを見ると、これを聞きたがる者もいるのだ。奴隷だって、買われるつもりではいる。だから積極的に関心を向けさせようとするのだ。
 犯罪奴隷を買うような連中は、荒事に必要としていることが多いのだろう。つまりそういう連中に対するアピールである。一般的に、犯罪奴隷を欲しがる人は少ない。誓約により危害を加えられないとはいっても、暴言をなくすことはできないし品のない者を傍に置きたくはない。他の使用人ともトラブルを起こさずにいるのは難しい。必然、それでもいいという連中しか買いに来ないのである。
 その隣は中年の肥え太った女だった。鉄格子にすがりついた女の指は、指輪の跡が白く残っている。
「貴族様、助けてください! あたしは何も悪いことはしていないんだ!」
「それの話はいいわ」
 一瞥したエルフィリアは、店員が話そうとするのを手で制してさらに隣の房へ移った。女の奴隷は求めていないので、話を聞く必要はない。
 最後の一人は、静かに座っていた。見たところ、二十代半ばぐらいの若い男だ。
「彼は、何を?」
 男はちらりと視線を上げたように見えたが、前髪が長くて表情はよくわからない。
 男の代わりに、苦々しげに店員が答えた。
「この男は元々奴隷ですよ。主人の娘に手を出して、捕まった時に護衛の一人を殺しかけているんです」
「……こう言っているけれど?」
 当の男が何も言わないので、エルフィリアは直接声を投げかけてみた。何か補足意見が聞けるかと思ったのだ。もしくは技能のアピールとか。
「そうだな」
 少し低めの、落ち着いた声だった。少し待ってみたが、それ以上は何も発さなかった。
「奴隷にしては骨があること。それに、護衛を殺せるほど強いのかしら?」
 からかうように言ってやると、男は剣呑な気配を纏わせて顔を上げた。首が動いた拍子に、前髪が覆っていた眼の色がちらと覗く。
 ――夜空の黒髪に、星たる銀の瞳。
 色合いには艶があったが、それを美貌と評するには硬い。彼には、色気のようなものを霧散させてしまう鋭さがあった。右目が潰されていたが、まだ新しい傷のようだ。それがどうにも凄みを増していて、威圧感がある。
「あなた、貴族がお嫌いなのね」
 おそらくは前の主人が貴族だったのだろう。貴族に飼われるぐらいなら死んだ方がましだとでも言いたげな気概が気に入った。奴隷なのに、誇りと自由を諦めてはいない。
――買うわ」
「えっ」
 声を上げたのは店員だったが、目の前の男も思わずといったように残った片目を見開いた。


next
back/ title

2023 02 15