「とにかく、情報を整理しよう」
 キルのひと言で、三人はとりあえず、現状を把握することに努めた。
「あの女の子、指輪を返せ、って言ってたんだよな……向こうの持ち物がなんでかおれたちの手元にあって、向こうはおれたちが盗んだって思ってるみたいだった。男の方は……そうだ、おれたちが持ってること知ってたみたいなんだよな」
 三人組の少年、という情報を持っていた。
「やはり、いわくつきの依頼だったようだな。恐らく、その指輪は盗品だ。なんらかの理由で売りさばくことができなくて、あの二人組が持ち主かその依頼だかでそれを探していることを知った。だからおれたちに渡した」
「ん、繋がりおかしくねえ?」
「いや、合ってる。おれたちが持っているということで、あの二人にその情報を高く売ったんだ。おれたちを問い詰めたところでその指輪の出所はわからない。あの町に戻っても恐らくとんずらしてるだろうから、あいつらの足は付かない。こんなところか」
 そもそもからしておかしかった。高価な指輪をほいと渡してしまうその神経が理解できなかったのだ。まともに考えれば、指輪の受け渡しを頼むのではなく、護衛として雇う方が理にかなっている。指輪のことをわざわざ説明する必要がないし、三人が万が一指輪を盗んで逃げるという可能性を考えなくて済む。逃げないところで、その指輪が本物で彼らが正式に頼まれたという、なんらかの証となるものや委任状が必要だったのではないか。それがすべてないことがキルの疑惑の元だった。
 カイルが依頼を受けてから指輪を託されるまで、一日のブランクがあった。恐らくその間にあの二人組に情報を流したのだろう。三人が隣町の方向に向かうのを見送った上で姿をくらませば完璧だ。よしんば三人が指輪を持って逃げたとしてもなんらかの理由とやらで売ることが出来ず、三人が来ずに騙されたと思った二人組がやって来たところですでに奴らは町を出たあと、というわけだ。
 リーンは唇を噛んだ。経験のある傭兵にとってはお粗末な計画だ。しかし、世間知らずな少年たちなら騙せると踏んだのだろう。つまり、彼らは体のいいカモにされたのである。
「ふざけんなよ……」
 リーンが悪態をついたところで、辺りの空気を切り裂くような甲高い悲鳴が上がった。
「なんだ!?」
 既に三人の意識ははっきりと目覚めており、彼らはすぐに臨戦態勢に入った。
「あの悲鳴、さっきの女の子のじゃないか」
 先ほど寝込みを襲われたことなど忘れて、リーンは胸を痛めた。少女は、彼らとほとんど年が変わらないように見えた。どんな相手であれ、そんな幼い命が脅かされるようなことがあってはいけないような気がした。
「あっちだ!」
 声の方向を指差すキルに続いて、三人は駆けた。
「やだ、来ないで!」
 少女の怯えた声が響く。三人がそちらを見ると、月明かりに黒い影が浮かんでいた。炎のように揺らめいているが、宙に浮いたそれは真っ黒で、アーモンド形の白い形が左右対称に浮かんでいるのは目のようだ。
「魔物か」
「そうみたいだな……くそ、魔物は絶滅危惧種じゃねえのかよ! なんでこんなほいほい現れるんだ!」
 さっさと逃げればいいものを、少女は足が竦んで座り込んだまま動けないようだった。隣の青年も剣を抜くが、その構えからはあまり手練の者でもないように見受けられる。
「た、ぁああー!」
 リーンは鞘を払って剣を抜き、魔物に上段から切りかかった。充分に助走をつけ、木の幹を蹴って高さをかせいだその一撃は、確実に魔物に届いたはずだった。
 ――が。
「嘘。まじ……?」
 剣圧で一瞬揺らめいただけで、その魔物にはかすり傷ひとつ負わせることはできなかった。
 剣が、霧でも相手にしたようにすり抜けてしまったのである。
「うぉお、ちょ、キル、どうしよう!?」
「馬鹿が、この考えなしが!」
 口げんかを始めたところで事態に変わりはない。
「でも、剣の風圧で一瞬散らされるみたいだよ」
 その間だけ動きが止まる。カイザーは怯えながらも冷静にそれを見て取ったようだ。
「じゃあ、散らしながら逃げるしかないってことだな。ダメージを与えられないんじゃ仕方がない。立てるか?」
 リーンが少女に声をかけると、彼女は少し睨み付けてから目を伏せて首を横に振る。傍にいた青年が「失礼」と声をかけて少女を抱え上げた。
「どうして戻ってきたのですか」
 硬い声で言い放つ少女に、リーンは首をすくめてみせる。「だってしょうがないじゃん。女の子が危険な目に遭ってるのに見捨てて逃げるわけにもいかないし」
 とにかく、話はあと! ともう一度魔物を剣で散らしてから、彼らは駆け出した。
「カイルとカイザーって、寝たら切り替わるのか?」
「こんなときに、なにを暢気な」刺々しくキルが口を挟む。
「いいじゃんかよー、気になってるし」
 体力馬鹿のリーンはほとんど息も乱れていない。
「よく、わからない、けど、意識がないときに、切り替わるときが、多いみたい。やっぱり、寝てるときが、多いんじゃない?」カイザーは息を切らしつつ答える。
「ふーん、そうか……」
「何を考えている?」
 考え込んだリーンに、キルが訝しげに声をかけた。
「あいつ、風で散らせるんだろ? カイルの風だったらいけるかなって思ったんだけど。そうだ、カイザー、おまえ寝ろ。そんでカイルと交代しろ」
「着眼点はいいが、無茶を言うな」
「あああー、やっぱ無理かー」リーンが残念げに息を吐いたとき、
「止まって!」
 青年の制止の声が鋭く空気を貫いた。
「げ!?」
 振り切ったはずの魔物が目の前に浮いていた。どうやら進路を読んで先回りしたらしい。
 慌てて足を止めた彼らは、後ろから襲われるという危惧のために、もう一度背を向けて逃げようという心理にはなれなかった。
「もう一度散らすしかないか――そういえば、こいつに襲われると結局どうなるんだ?」
 疑問とともにリーンは一瞬後ろの面々を振り返る。
「馬鹿、気を逸らすな――!」
 キルの忠告に慌てて視線を戻すと、魔物がその黒々とした本体をこちらに突っ込ませてくるところだった。真ん中より下の辺りがばくりと開いたところは口のようだ。
「うおっと!」
 間一髪、リーンが後ろにのけぞってかわすと、魔物は方向を変え損なって木の幹にばっくり噛み付いた。
 げげ、とリーンは声を洩らす。木の幹の一部が、酸でも振りかけられたかのようにしゅうしゅうと溶けてただれたのだ。
「嫌だ! あれ顔食われたらどうなっちゃうんだよ!」
「そうならないようにどうにかしろ!」
 こちらに向き直った魔物は、再度口のようなものをばっくり開ける。
「お、思ったんだけど、あれに食われたら剣溶けちゃうんじゃないの……」
「抜かったな……さっさと逃げればよかった」
 既に手遅れである。


 もう何度目だろうか。
 キルとリーンは必死に魔物の攻撃を避けていた。魔物は、剣を持った彼ら二人を主に狙っていたが、少女たちを狙うときもあった。彼女たちは少し後ろに控えていたため、そちらを狙われたときは後ろから切りかかれば剣を食われない。それでどうにか散らしていたが、倒せるわけではないので彼らの疲労は溜まってゆく。
 魔物は日の光の前では動きが鈍るはずだ。夜明けまであともう少し。向きを変えるために首を振ったとき、リーンの目に汗に濡れた前髪が張り付いた。それが一瞬にして視界を奪う。
「しま……った」
「リーン、危ない!」
 魔物がそこを狙ったのに気がついて、カイザーが思いっきりリーンを突き飛ばした。
 横から掠めるような位置だったが、なんとか姿勢の低くなったリーンは魔物の攻撃をかわす。しかし勢い余ったカイザーは、頭から木の幹に突っ込んだ。衝撃で星が飛ぶ勢いである。
「うわあああ!」リーンが声を上げる。「か、カイザー! 傷は浅いぞしっかりしろ! っていうか起きろ、死ぬぞ!」
 リーンは慌ててカイザーを抱き起こす。魔物がじわりと近づいて、リーンは背中に汗が伝うのを感じた。ぶっ倒れたカイザーとしゃがみ込んだリーンには避けるほどの余裕がない。キルの位置からは、剣が届く間合いにはいなかった。駄目もとで正面から切りかかるか、とリーンが剣を正眼に構えたそのとき――
――来たれ、<風の刃>!」
 カイルの声とともに幾筋もの風が空気を切り裂き、魔物に襲い掛かった。魔物は途端に四散する。
「うおお、でかしたカイル!」
 カイルが目覚めたのだ。歓声を上げたリーンは、思わずカイルの手を握り締めた。
「うん、でもあれ――散らしただけだから、また出るよ」
「えっ」リーンは喜びの表現を止めて固まった。
――散らしただけでは死なんということか」キルの声に、
「そうそう。散ってもたぶん、しばらくしたらまた集まってくるよ。だから、キル――集中して」
――わかった」
 キルはゆっくりと頷いた。「リーンはあの二人についていろ」
 リーンが後ろに下がると、塵のように散っていた黒いものが段々とかたちを取り始めた。炎のような揺らめきが大きくなっている。もしかして、怒っているのだろうか。
「来たれ、<風の刃>!」
 カイルの叫びとともに風が一筋、魔物に向かって伸びた。今度は粉々にして散らさないように、動きを止める程度の風しか送っていない。
「キル、いまだよ!」
――来たれ、<炎の矢>!」
 キルの放った炎が着弾するとともに、魔物は轟音を上げて弾け飛んだ。
「た、倒したんだな……?」恐る恐る言うリーンに、
「うん、そうみたい。キルお疲れさま!」
 カイルはにっこり微笑んだ。


「とにかく……助かりました、ありがとうございます」
 街道に出ると、少女は最初の敵意を忘れたかのように礼をする。それはそれ、これはこれ、といったことのようだ。
「さあ、指輪を返してください。それがなにかを知らないわけではないでしょう」
「なにって……なにが? もしかしてこれに描いてある模様のこと?」
 なんのこっちゃ、と言うようにリーンは首を傾げる。
「あの……もしや彼らはなにも知らないのではないですか」青年がこそっと少女に耳打ちをする。
「知らねえよ、おれたちも騙されて押し付けられたんだからなー。でも返すよ、君たちのものみたいだし」
 カイル、と呼んで、リーンは掌を上にしてちょいちょいと指を曲げた。カイルが荷物の中から指輪を取り出し、その手に乗せようとすると、それをキルが横から奪い取った。
「こら!」
――ちょっと見るだけだ」
 キルは指輪を、白みだした空に透かす様に持ち上げる。見終わると気が済んだのか、リーンの手に返して溜息を吐いた。
「なるほどな……この指輪をおれが最初に見ていたら引き受けなかった」
「あなたにはこの意味がわかるようですわね」
 リーンから指輪を受け取りながら、少女はキルに微笑みかけた。
「町まで戻るんだろう、送ろうか?」
 リーンが少女に提案する。ここまで来たら、その町の方が近いし、なにより三人にはもとの町に戻る必要がない。ほかの二人を振り向くと頷いてみせたので、彼らも少女が戻る町へと進路を決めるつもりのようだ。
 しかし少女はやんわりと断った。「いえ、もう夜も明けました。危険もないようですし……別行動にいたしましょう」
「そっか。うん、わかった。それと、君の名前、訊いてないんだけど……」
 声をかけられて黙ってしまった少女を見て、リーンは慌てて自分たちの名前から名乗ろうとする。しかしそれを、少女は押し留めた。
「いいえ、今日は敵対する者としてお会いしました。今日はこのまま別れましょう。次に会うときは、友となれればいいと思います。そのときはきっと」
「ああ、うん、わかった」
 その場で、三人は少女たちを見送った。少し、休憩を取ったあとで、彼らもその先の町へ向かうつもりである。なにより、動き疲れたリーンとキルはへとへとで、睡眠を欲していた。
「あ、そうだキル……結局、あの指輪ってなんだったんだ」
「教養の欠片もないな、おまえは」
「む、なんだと……」
 どうしておまえはそういう言い方しかできないんだ、と毒づくと、キルは諦めの溜息を吐いて説明した。
「あれはただの模様でなく、家紋だ。レンテイル法国の紋章なんだ。あれは、王家の指輪だ。どうりで売れないはずだな……」
「まじかい……」
 王家の指輪であれば、売るわけはない。それなりの人間が持っていなければ怪しまれる。指輪を見られた瞬間に投獄されてもおかしくはないのだった。
「あー、そっかー……じゃあカイル、次はもっとましな仕事持ってきてくれよー」
「うん、わかった」
 一夜終わって安堵の息を吐いた三人は、とにかく寝ることにした。


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2009 04 23