第三話

 街道の先の町にたどり着いたカイルたち三人は、とりあえず宿を取った。
 軽く仮眠はとったが、ひどく疲れていた上に野宿だったので、充分な休息とはいえなかった。そのため、その日一日は宿でのんびり過ごすことにしたのである。
 次の日、三人は買い物に出かけた。必要品はさほどなかったので、ほとんどは冷やかしの、観光のつもりである。
「なんでおれがソファなんだよ……前の町でもそうだったろ」
 宿を出るなりそう言って、リーンはむくれた。例によってベッドが二つ、ソファが一つの部屋を取ったのだ。もう一つベッドを希望するなら、四人部屋を取らなくてはいけないので、結局はそういう部屋に落ち着くのである。
「おまえはどこでも寝られるからな」
 平然とキルは言い放つ。キルとカイザーはベッド以外では少々寝つきが悪い。リーンは野宿でもなんでも、すぐに寝られるのが特技だ。
 そう言いつつ、野宿でも寝付いたらすぐに起きないくせに――とリーンは思った。彼らは警戒心が足りなさ過ぎるのではないか、というのがリーンの見解だ。しかし文句を言ったところでキル相手に口では敵わないので、言わないでおくことにした。
「とりあえず、暑いからどこかに入ろうぜ。あそこなんかどうだ」
 と言ってリーンはさっさと路地の店に入ってしまった。溜息を吐いて、キルとカイザーはあとに続いた。この日カイルは眠っている。
「見るからに趣味が悪いな……」リーンの程度も知れる、とキルは呟く。
 色様々な布を天井から下げた、店の中はいろんなものがごったに積まれていた。骨董屋だか雑貨屋だか、そういった類の店のようだ。謎の壷や手回し機や置物が、地面に置かれたり木の棚に並べられたりしている。壁からは額が下がり、脇にある群青色の大きな壷には傘が何本か差さっていた。
「お、ここのはなんだ」
 店の隅に置いてある、布を被せた大きな箱にリーンは興味を持った。手を入れてみれば、いろんなガラクタが詰め込まれている。「なんか掘り出し物でもありそうだな」とリーンは箱の中をかき回した。
「お客さん! 困りますよ」
 キルとカイザーが傍で見ていると、後ろから店主が現れた。
「これは触ってはいけないものだったのか?」キルが尋ねれば、
「いえ、そこにあるのは処分するつもりのものですので、損害はないのですが……しかしあまり良くないものも混ざっていましてね」
「あ、なんか手が挟まった!」
 リーンが小さく声を上げると、店主は見るからにびくっと肩を跳ねさせた。
「こ、困りますよお客さーん……」
「あ、いや、大丈夫、抜けそう」
 えいっとリーンが手を引っこ抜くと、右手の中指に緑の石が付いた指輪がはまっていた。
「ん、なんじゃこりゃ」見覚えのない指輪を引き剥がそうと、リーンが左手を添えて力を入れる。「抜けない」
 うわあああ、と店主が絶望の声を上げた。


「うう、かわいそうに、まだ若いのに」と店主はさめざめと泣き出した。
「あの、話が見えないんですが……」
「その指輪、すっごいやな感じがする」
 思わず冷や汗を流すリーンに、カイザーが深刻な顔で切り出した。店主も涙を拭いながら落ち着きを取り戻す。
「その指輪はひどく強い呪詛がかかってましてね、抜けなくなるんですよ。そのためにもう三人が指を切り落としてます。以前も教会で清めてもらったのですが、どうも駄目みたいでしてね、処分しようと思ってたんですが」
 恐ろしいことを言う。
「うわ、ええと、とりあえず教会に行ってみます……」
 リーンはそそくさと店から逃げ出した。あの店主に付き合っていると、こっちまで暗い気分になってしまう。
「壊しちまったらいいんじゃないのか」
 リーンはナイフを取り出して、とりあえずは強度を確かめようと指輪に押し当てて擦った。途端、ぱしっと鋭い音と共に青い火花が散り、ナイフははじき返されてしまう。「う、確かに呪いっぽい……」
「リーン、気をつけて。本当にその指輪、危険だよ」
「何に気をつけろってんだよ。抜けないなら嵌めたままでいるしかないんじゃねえの……おおかた、指をどうかしたっていう前の持ち主も、無理に抜こうとして指を痛めたんじゃないのか」とりあえず教会には行ってみっか、と提案したリーンに、
「無駄かもしれんがな」とキルがさらりと返す。
 む、とリーンの機嫌は更に悪くなったが、キルの言うことも一理ある。以前も清めて無駄足に終わったのであれば、そこらの教会では対処しきれない呪詛かもしれないのだ。
 しかし他に方法もないため、三人は教会に足を向けることにした。
「あ、こちらでは無理です」
 教会に行って指輪を見せると、神官が眉を八の字にして即刻断りを入れた。
「あの、無理って……」諦めが早すぎるんじゃ、とリーンは目で訴えた。
「そのレベルの呪詛は、聖水では払えないんです。百年前ならいざ知らず、この時代の教会には、それを払えるだけの力のある神官が存在しません。お気の毒ですが……」
 諦めろってことかい! とリーンは息巻いて教会をあとにした。
「この呪詛をかけた当人も、何百年も前の魔術師かもって言ってたな。まったく面倒な置き土産をしてくれる」
「そうだな、闇が封印されてから魔物すらほとんど数が居なくなってる。闇魔術の使い手なんて、もう絶滅してるだろうな」
「じゃあ、闇魔術に詳しい人に、解き方を聞くっていうのも難しいね」
 なんかどんどん大ごとになるなあ、とリーンは頭をかいた。
「とりあえず、今日はもう宿に戻るか。取れないぐらいじゃそんな困らないだろ」
 しかし、その憶測は誤りだったことをリーンは知る。


「いっ……!」
 その夜、リーンは痛みで飛び起きた。指輪を嵌めた指が痛むのだ。
 立ち上がろうとしたが、寝起きと痛みで足元がふらつき、リーンはソファから床に転げ落ちた。
「どうしたの!?」
 その音を聞いて、カイルとキルも目を覚ます。
「なんか、指が……すげー変……」
 ランプに明かりを灯し、その指を見て彼らは息を呑んだ。
 指輪を嵌めた指が、赤黒く変色していた。輪がぎりぎりと指に食い込んでいるのが見て取れる。
「この指輪、輪が少しずつ短くなっているみたいだ……なるほど、指を切り落とす、か……」
 リーンは自嘲の笑みをこぼした。血液の流れが止められたこのままでは、壊死してしまうだろう。そうでなくてもこのまま輪が短くなっていけば、その指が落ちるのも時間の問題だ。
「とりあえず、水もらってくる……」
 気休めであってもこの指を冷やしたい。そう言って、リーンは部屋のドアを開けた。指の付け根が熱を持ってじりじり痛む。咽喉も既にからからだ。唾を飲み込み、痛みでリーンの足が鈍る。
「あ、危ない!」
 カイルが慌てて腕を出すが、支えきれず二人とも廊下に倒れこんでしまった。
「大丈夫か」さすがにキルも駆け寄るが、
「だ、大丈夫なわけ……」
「何事です?」
 そこに第三者の声が割り込んだ。ぎっ、とランプを持った人物に部屋の扉が開かれる。どうやら、向かいの部屋の泊まり客を起こしてしまったようだった。
「すみません、なんでも……って、あれ?」
「あなた方は……」
 彼らはお互い目を見合わせた。部屋から出てきた紫髪の青年は、先日街道で行きあった二人組のうちの一人だったのだ。
「診せてください」
 青年はリーンの傍に膝をついた。既にリーンは、痛みで起き上がることもままならなくなっている。
「これは……」リーンの指を見て、青年の顔色がさっと変わった。「ファキ様! お開けください、緊急事態です」
 青年は隣の部屋のドアを叩く。それに応えて顔を出したのは、予想通り先日の少女だった。
 彼女は、視線を走らせるとすぐに状況を見て取った。
「とにかく、部屋へ運んでください。早く!」
 そう言って彼女は、自分の部屋のドアを大きく開いた。


「アーサー、聖水を」
 少女は青年に命じて聖水を取ってこさせる。
「聖水は効かないはずだが」訝しげにキルが言うが、
「いえ、呪詛を払うことはできませんが、一時的に効果を弱めることが出来るはずです」
 少女はリーンの患部から目を離さずに、受け取った聖水をその指に振りかけた。
「……っ」
 聖水に指輪が反応し、しゅうっと真白い煙が噴き出した。覗き込んだカイルとキルは息を呑む。リーンの指を締め付けていた指輪のサイズが元に戻ったのだ。しかし、それに抗うかのように、指輪はカタカタと震えていた。
 少女は片手の人差し指と中指を伸ばして、リーンの指輪に押し当てる。
――しゅよ、汝の主の下へ帰れ>」
 ばしんと青い炎が立ち、次の瞬間には、指輪は真二つに割れていた。
――と、取れた!」リーンは踊りだしかねない勢いで少女の手を握り締めた。「ありがとう助かった、君は恩人だ! まさか、君が呪いを解く力を持っているなんて」
「いえ、正確には呪詛は解くものではなく、使い手に返すものです。因果応報というものですわ。――もっとも、これほど古い呪詛ですから、術者は既に土の下でしょうけれど」
 ふうん、そういうもんか、と答えながら、リーンの顔は、どっちでもいいけど、といった風である。
「まだ動かしてはいけません。しばらくこのままでいてくださいね」と少女はリーンの傷ついた指を真っ直ぐにさせた。「――<光よ、癒しを与えよ>」
 小さな光が集まって、リーンの指を少しずつ癒していく。当のリーンは勿論、カイルとキルも、ほう、と感嘆の声を上げた。
「……なんか、おれの周り、魔法が使えるやつばっかりだな。驚きようがなくなってきたぞ」リーンは首をのけぞらせて天井を仰いだ。
「あ、そうだ、自己紹介まだだったよね! おれ、カイル=レオン=ライキル。よろしくね!」
 次に会ったときに名を教えあう、という約束を思い出し、カイルはご機嫌に声を上げる。
「キル=レイクだ」
「おれは、リーン=カオス」
 少女と青年はそれを受けて微笑んだ。
「ええ、次は友として、ということでしたわ。わたくしはファクシム=サース=レンテイルと申します。ファキとお呼びください」
「私はアースィンカル=セイス=パンテルと申します。アーサーとお呼びくださいますよう」
 堂に入った名乗りに、リーンはひゅうと息を吐く。
「へえ、ものものしい名前だな……って、レンテイル……!?」
「ええ、若輩者ですが、レンテイル王家の直系に連なる者ですわ」
「駄目じゃん、なんでお姫様がこんなとこいんの! っていうかお姫様自らが盗品取り返すとか無茶しちゃ駄目じゃん、それ以前に簡単に身分明かしちゃ駄目じゃんー!」
 うわああ、と混乱しきったリーンは頭を抱えて床を転げまわった。キルとカイルは意外と冷静にその事実を受け止めているが、リーンの態度に呆れて驚くことを忘れてしまったのかもしれない。
「ふん、しかしそのあたりはおれも気になるところだな」
 姫様相手でもキルの態度は尊大である。しかし、ファキとアーサーは気を悪くする素振りも見せない。ファキに至っては、ふふっと笑みまで見せた。
「お友達相手に偽りは申せませんわ。敬語も不要ですからそのおつもりで。それから、わたくしが国を離れているのは見聞を広めるためです。このところ、世の中がひどく不安定ですから」
「そうですね、ここ百年ほどで魔術師がほとんどいなくなりましたし、あちこちで国が滅びています。千年続いたラーナキーデル皇国ですら、十年前に滅びました」
「そうだな、確かに世界のあちこちにほころびが出来ている」
 アーサーの言葉に、キルが静かに頷いてみせる。
 そこに突然、ファキが爆弾発言を放り投げた。
「ええ……ところであなた方はどちらの王家の方ですか?」
「はあっ!?」
 あまりの発言に、リーンは思わず頓狂な声を上げた。
「待て、おれたちのどこが王族関係者に見えるんだ!」
「おれは違うぞ」
「おれも違うよー」
 三者三様に彼らは返事を寄こす。
「あらそうですの、わたくしはてっきり……」ファキは意外そうに頬に手をやった。
「……おれたち相手にも敬語は必要ないぞ、ファキ。そう思ったのは、おれたちが魔法を使えるからだろう」
――ええ、そうよ」
 目線で頷き合うキルとファキに、焦れたようにリーンはビシッと手を挙げた。
「待った! おれにわかるように説明してくれ!」
 ただでさえ魔法が使えない上に、リーンの仲間外れ感は最高潮である。
「んーとね、本当はもうちょっと居るんだけど、世界に魔術師が十人しかいないとするでしょ。そしたらそのうち八人が王族っていう割合なんだよね、最近では」
 意外と歴史やらに詳しいカイルが説明する。魔術の素質は基本的に遺伝する。強い魔力があれば強い力を有するため、人々の上に君臨する、つまりは王となる可能性が高い。古代そうして王となった血筋は、連綿と魔力を伝えていく。この時代、どこかで世界に異変が起きて、極端に魔術師の数がいなくなった。本当に強力な血筋以外、魔法が使えなくなったのである。――つまり、今現在残っている魔術師は、王になるほどの強い魔力の血筋のみ。自然、魔術師イコール王族の式が成り立ちやすくなるのである。
「なるほどなー。しかし、ここに三人も魔術師が、しかも同い年が揃うのってすごい偶然。おもしろいな」
「そだねー。強い力って引き合うっていうからね、これも縁かもね」
 にこにことリーンに笑いかけたカイルは、そのあと、ふあああと大きな欠伸を放った。
「そろそろ寝た方がいいわ。夜も晩いから。そっちの部屋はベッドが二つしかないんでしょう、リーンはこっちの部屋で休んでいくといいわ。顔色が良くないからまだ熱があるんでしょう」
「あ、うん……」
 ファキの提案に、リーンは驚いて歯切れの悪い返答を返す。
「じゃあ、アーサー、リーンの様子を見てあげてね。私はあなたの部屋を使うわ」
「承知いたしました」
 ベッドの縁に腰掛けていたファキが身体を起こし、辺りに解散の雰囲気が漂う。
――待てい! 少年の夢を壊すな!」
「まさかおまえ、ファキと同じ部屋で休めると思ったのか。頭が沸いているようだな、さっさと寝た方がいいぞ」
「な、なにおう……」
「おやすみー!」
 慌しく、銘々は就寝の準備にかかった。
 夜は更けてゆく。


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2009 04 29