第二話

「仕事とってきたよー!」
 宿屋でくつろぐリーンとキルに、カイルが朗報を持ち込んだ。
 二つあるベッド――一人はソファで寝るのである――のひとつにごろんと寝転がっていたリーンは、その知らせを聞いて黒髪が跳ねる勢いで身を起こした。
「でかした、カイル! どこに仕事なんて転がってたんだ」
 週に一度の招集会以外では、地道に仕事を探すしかないのが傭兵だ。役所や、金のある貴族の屋敷には依頼の種がたくさん転がってはいるが、口利きがないとそれらの仕事を得られないのもまた事実だった。
「んーとねえ、酒場で!」
「あほか! 未成年がそんなとこ行くんじゃねえ!」
 褒めてやろうとした瞬間のこの返事。リーンは思わず説教をかました。
 しかし厳密には酒場は未成年立ち入り禁止なわけではない。酒を出す料理屋、といった程度のくくりなので、酒を飲まなければいいのである。しかし酒場には傭兵や感じの悪い連中がたむろっているのもまた事実だ。その連中に見下されるのが嫌なので、リーン自身は酒場に近寄らないというだけの話である。
 そんな説教は歯牙にもかけず、「すみっこのテーブルで賭け事してる人たちっているでしょ、あそこに混じってさあ――」とカイルはご機嫌に説明を始めた。
 その場のノリと勢いでカードゲームに無理やり参加を認めさせ、十回勝負を三セットほど付き合いつつ親交を深め、ついでに馬鹿勝ちして金の代わりに情報を巻き上げ、仕事をもぎとった、らしい。
「不良だ……不健全だ……」
 曲りなりにも健全を気取っているリーンは、呆れて溜息を吐いた。
「何を言う。カードぐらいたしなんでいても構わないだろう。おれはチェスの方を好むが」
 今までおとなしく話を聞いていたキルが、さりげなくカイルの味方をする。彼のこれは、単にカイルを気に入っているための行為ではなく、リーンに対する嫌がらせである。
「あ、おれも好き! チェス面白いよね!」
「ほう、意見が合うな。誰かさんとは違って高尚な趣味がわかるようだ」
「誰かさんって誰だ!」
「おまえ以外誰がいる」
「なんだと!」
 壮絶に話が脱線した。
「っだー! 違う! そんな話をしてんじゃねえ! それよりもカイル、仕事をもぎとった、あたりのくだりが唐突すぎるだろう……」
 酒場でたむろっている連中、といえば傭兵の可能性が高い。そんな連中が賭け事に負けたとはいえ、素直に仕事を譲ってくれるわけがない。よしんば傭兵でなかったとしても、酒場に居るであろう傭兵たちが黙ってそれを見過ごすとも思えない。盛大にアピールして横から仕事をかっさらってしまうだろう。なんといってもカイルは弱冠十四の子供、お世辞にも有能そうな傭兵には見えない。しかも頭が悪そうである。
 そうと考えると同時に、リーンは少し反省した。自分がわざわざ寄り付かない酒場は傭兵の巣窟。となれば、仕事を依頼したい者が傭兵目当てに出向いてもおかしくはない。たしかに、仕事の話が転がっているはずだ。
 しかしカイルの場合、計算尽くなのか天然なのか見抜けないあたりがある意味たいした奴である。
「そうそう、それで横取りされそうになったの! だから魔法使って黙らせちゃった」
「なにー!?」
 カイルが使うのは風の魔法である。文字通り相手を切り裂いたわけではなくパフォーマンス程度だろうが、同じく魔術師のキルが言うには、魔法とはひどくコントロールの難しいシロモノらしい。カイルの魔力であれば、手元が狂って酒場ごと切り裂いてしまっても不思議はない。
 なんて無茶な野郎だ――とリーンは頭を抱えた。


「で、これが依頼の品か」
 リーンは大粒の紅玉がついた指輪を、太陽に見せびらかすように持ち上げて観察した。
「ん……あれ、なんか模様が入ってる」
「見せろ」
 興味を持ったキルが覗き込むと、リーンはすかさず腕を上げてキルの手を避けた。一時的な嫌がらせであり、気が済んだら見せてやってもいいかなとは思っていたが、「傷がついちゃったらどうすんの!」と珍しく激しい剣幕のカイルに奪い去られ、指輪は彼の荷物の中に収められてしまった。
 模様は、リーンも良く見てはいないが、宝石を固定した台座に掘り込まれていたようだった。異様に透明度の高い紅玉だったため、台座が透けて見えたのだ。
 今回の依頼は、この指輪を届けることである。隣町に居る相手方に渡し、首尾を報告すれば報酬がもらえる。
「楽な仕事でラッキー」
 鼻歌を歌いだしそうなリーンに対し、キルは納得のいかないような顔をしている。どうした、とリーンが声をかければ、「なんだか楽すぎないか……うまい話には裏があるというが」と苦い声を吐く。気にしすぎだろそんなん、とリーンは無理に諌めて先を急いだ。
 出発は昼過ぎだったが、街道は既に夕闇の気配が色濃く満ちていた。隣町までは直線的な距離はさほどではないが、間に険しい山道がそびえ立っているため、安全な迂回路を選んだのである。彼らとて腕に覚えはあるが、緊急性があるわけでもなし、わざわざ危険な方法をとることはない。
 このまま強行軍で進んだとしても、目的地に着くまでに夜が明けてしまうだろう。それならばここで休息をとったほうがよい、と判断して彼らは野営の準備を始めた。ただし、街道とは少し外れた森の方である。夜中に馬車などやって来て弾き飛ばされでもしたら敵わない。
「あーやっぱり馬車でも雇えば良かったよなー。どうせ帰りもこの道通るんだろ?」
 案の定、ぼやきだしたのはリーンだ。金もかかるし、半日歩く程度どうってことない、と軽く考えたのがいけなかったのか、と溜息を付け足した。
「いまさら言っても仕方ないだろう。カイルの言うことも一理あったしな」
 キルはうんざりした様子を見せる。カイルが主張したのは依頼品のことだった。傭兵に託すほど、恐らく高価な指輪。万が一見られでもして狙われても困る。それに――ここまでは考えすぎだと思うが――うっかり馬車から荷物を落としでもしたら取りに行けない、と食い下がられたのである。それを呑んだのは、さすがにカイルならやりかねない、とリーンとキルが思ったからかもしれなかった。
「しかし……やはり解せない」
 とキルは往生際悪く首をひねった。
「まだ言ってんのかよー、もういいじゃん寝ようぜー。寝ないんならおまえ先に見張りに起きてろよ。眠くなったら起こしていいからさあ」
 懐疑を覚えるキルに対し、リーンは面倒くさげに欠伸を放った。
「カイル、依頼を受けたときの状況を詳しく教えてくれ」
 振り向いたキルの目に映ったのは、見張りの協議にすら参加せずに、ぐーすか眠りこけるカイルの姿だった。
「こら、起きろ、人の話を聞け」
「うわ、起こすなよ、かわいそうだろ」
 カイルを揺さぶるキルと、小声で抗議するリーンの争いの末に、ついにカイルは「うう……」と呻きながら目を覚ました。
「ええと……なに?」
 目をこすりながら起き上がったカイルの目の色は、紫。
 あ、これもうひとりの方だ、と思ったリーンとキルは争いを放棄した。
「いや、もういい。寝てろ」


 ぱちぱちと爆ぜる焚き火の音のほか、人の気配を感じてリーンは目を覚ました。
 傍に立っていたのは二人の人物。一人は小柄で、もう一人は長身のようだ。覗き込むようにこちらを見ているが、焚き火とリーンの間に立っているため、逆光で顔がよく見えない。
「なん……だ、おまえら」
 火の眩しさに目を細めながら、リーンは身体を緊張させ、傍に置いてあった剣の柄を後ろ手に探る。誰も気づかなかったのか、と横目を走らせれば、カイルもキルもすっかり眠りこけていた。使えねえ――とリーンは心の中で毒づく。
「少年の三人組、碧髪、黒髪、金髪……間違いないように見受けられますね」ふむ、と長身の方が声を放った。意外と若い。「あなた方……紅玉の指輪を持っていますか」
「持ってる……けど……」
 寝起きで頭が働かないまま問われるままに返答し、それがなにか? と訊く前に、ひゅんっ、と音を立てて何かが飛んできた。リーンはとっさに地面に手をついて足を上にし、身体を反転させてそれを避けた。
「避けないで!」
「避けるわ!」
 悪態をつきつつ、やってきた第二陣をリーンは剣の鞘で受け止める。振るわれているのは棍。振るっているのは小柄な方の人物。棒術だ。
「隣でドンパチやってるってのに寝てんじゃねえ! 起きろおまえら!」
 リーンは例によってカイルとキルを蹴り起こし、三度みたび襲った棍の襲撃を、地面に付いた鞘の先を軸にして、横っ飛びに避けた。単純で直線的な動きだが、棍の先は粗暴に地面をえぐる。
「あの指輪を返しなさい!」
「なんか、誤解してないか!?」
「問答無用!」
 身体の捻りを乗せた襲い来る棍の勢いを、まともに受けては恐らく腕がしびれる。リーンは勢いを逸らすように斜めにはじき返していたが、カイルとキルが起き出したのを見計らって戦線を離脱した。
「とりあえず、逃げるぞ!」
 森に向かって駆け出すと、すぐにカイルとキルも付いてきた。キルはちゃっかり荷物をまとめていたらしい。
「待ちなさい!」
 すかさず二人の人物もあとを追ってきたが、先ほどまで焚き火の明かりを目にしていたはずだ。漆黒の森に迷い込んでは、いかに月明かりがあろうとすぐに目が慣れるわけではない。リーンはその間に相手の方向性を見失わせ、距離を稼ごうと思っていたのだ。さすがに自分たちも現在地がすぐ把握できるわけではないが、とにかく三人はぐれずにいればなんとかなると思っていた。
 はあはあはあ、とカイルの息が荒くなったのを聞いて、リーンは足を止めて振り返った。とりあえず、追っ手は来ていないようだ。相手が追いつくまでに、態勢を立て直す時間ぐらいはとれるだろう。三人共寝起きで頭が働かないあのままでは、歩が悪すぎたので、とりあえず離れたまでである。
「なんか……思ったんだけど……預かった指輪、おれたちが盗んだことになってねえ?」
「ええっ」
 リーンが小さな叫び声の方を見やると、カイルが怯えたように口に手を当てていた。いや――月明かりに光る目の色は紫だ。カイザーである。例によって状況がわからないだろうに一生懸命付いてきて、こいつも健気だよなー、とリーンは思った。
「状況についてはこれから整理することにして……あの程度の使い手、いくら寝起きとは言えおまえの剣で叩き潰せたんじゃないのか」
 涼しい声で、珍しくリーンを認めるような発言をするキルに対し、リーンは思わず声を荒げた。
「できねえよ、あれ女の子だったじゃん!」
 事実を強調したところで、状況は一向に変わる気配がなかった。


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